おはようございます。
水曜日をいかがお過ごしですか?
天気予報を見ますと、
関東地方、いや全国的に雨の予報で、
これで桜の満開に大きく近づくなあ、
と新聞を読みながら窓の外をチラリと見て感じていました。
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NAKISURFショールームがある原宿駅。
昨日はものすごい人で、
これはみなさんが春の息吹を感じて外に繰り出しているのだろうと察し、
さらには冬から春になったことを実感する。
『啓蟄』
という春の言葉があるが、
それは人にも当てはまるのだなあ、
と実感した原宿駅竹下口。
ショールームに行く際には、
俺はこの竹下通りを通らずに、
東郷神社経由で向かいます。
そうだ!
「それを地図に掲載しようよ」
と提案すると、ショールームスタッフの亮太が
「もうブログで書きました」
と言われ、早速その当該ポストを見たら、
俺と全く同様のルートがそこにあった。
https://www.nakisurf.com/blog/showroom/archives/7731
JRから来られた大人の方は、混んでいなくてもこれでぜひ。
お子さん連れでしたら竹下通りからドーゾ。
明治通りからの俺流行き方は、
ビームスさんの脇を抜けていくのですが、
それも含めた完全版を今度掲載してみますね。
神社の砂利をサクリシャリとさせながら歩くのは、
いつも清浄な気持ちとなるのです。
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さて、到着したてであまり書くこともないので、
この作品を撮ったときのことを少し。
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作者、つまり俺が立ちどまって、
この花ーープリメリアを撮ろうとするときには、
偶然も必然も一輪の車輪として捉えようとしている。
香りも彩度も作品から立ちのぼるようにさせ、
プリメリアからの主張を、色を、ひかりを、
風を、雨、大気のすべてを入れ込みたいと、
息を止めて、目を凝らしてシャッターを押す。
そしてその後
「撮れた!」
とこころの中で大きく叫ぶわけだが、
次の瞬間には目の前にある
“この小さな世界”
のあでやかな明滅を再確認し、
カメラ内部に記録されたその
『失われた時間』を透かし合わせて、
本物とは違う少ない情報量に失望する。
そして、その極のひとつひとつの粒子が目の前に見えるものと、
カメラ内部にあるのと同じ量を目標として、
またファインダーをのぞいては、
「こうではない」
「ああしよう」
とまた撮り始め、
それはただならぬ時間を費やすこととなる。
花ならまだいいが、
これが波となると、
撮れる瞬間はそれこそ1秒を20に分けて、
そのひとつしかない一瞬なので、
通り過ぎていってしまった被写体に想いを馳せている。
また、だからこそ波を追い求める日々が続いているのだろう。
コラムページに波写真をどう撮っているのか、
どう撮ったのかの一片について書いた
『コードネーム「セブンティーン、セブンティーン」の怪物波を撮ること』
を掲載しましたので、お時間のある方はぜひ。
https://www.nakisurf.com/column/column-32.html
そんなモノスゴ波の、
円滑に回転している輪の重量や速度、
そんなただならなさ、美しさを伝えようと、
イメージ群の配列や配置にあたる。
想像の世界では完璧に行えるのだが、
いかに俺が謙虚に、
敬虔に相対したところでもそれは、
『1秒の1/20というチャンスでしかない』
ということになる。
これを人間関係に当てはめてみると、
まさにぴったりとしてくるのが不思議で、
冒頭部分に掲げた竹下通り入り口の写真と、
プルメリア、
そしてこの波の写真は同列であることを知り、
「この世のいっさいがっさいが無であるのかもしれない」
と逆説的めいた寂寥感が俺を包むのであるが、
次に瞬間には、
人も花も波も、
生命全てのエネルギーから発生した何かに包み込まれ、
この世のすばらしさを伝えてきてくれるようだ。
そんなすばらしき2010年3月24日にありがとう。
雨にありがとう。
感謝の日にします。
今日もNAKISURFにお越しくださって、
ありがとうございます。
みなさんもすばらしい日にしましょうね。
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