波に散るか、夕陽に満たされるのか
初出自(Blue.2021/11巻頭コラム)
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土佐のはずれ。
およそ12秒以上という周期のうねりが台風から届いていた。
どの波情報社の予想よりも上回ったパワーの波がやってきている。
このうねりの下にもっていかれたら、
百戦錬磨の猛者や達人たちも、
セレブリティ・サーファーであろうが、
誰も逃れることができずに波という魔獣の爪、
または牙に強烈に叩きつけられる。
もしこれを普通のサーファーが受けると、
溺死への特別急行に乗ったのと同じ感覚になるだろう。
波に乗るということはこれほどまでに危険であり、
その奥に潜む深遠なる理由がこれだ。
波乗りを競技とし、
深遠さもを〈ビッグ・ウェーブ〉だとか、
ジョエル・チューダーが参加できるルールと拡大し、
純正というか、
真正サーフィンまで取り揃えてスポーツですと、
巷ではずいぶん昔からやっている。
だが、
私はサーフィンはスポーツではないと思っている。
スポーツというより精神世界的なものでとらえている。
武術、武道と考えるほうがしっくりとくる。
魔獣波の下、
やけに冷たく、
またはからみつくような熱い大気を吸い込み、
波の下に沈んでいくことを想像すると、
宮本武蔵や生涯無敗の前田光世が浮かぶのは、
波乗りでの負けもまた自身の〈何かの終了〉に直結しているからだろうか。
前田光世は、
嘉納流柔術を会得して日本を飛び出し、
欧州各国、
南米に渡り無敵のコンデ・コマと呼ばれた男だ。
この柔術青年が相対したのは、
正義と悪、
そして無秩序と不条理が続くような条件で全勝無敗だったという。
サーフィンにとても似ている。無敗でないと無敵にはならず、
同時に敗ければそのまま散る覚悟を肚にすえていたのだろう。
だが、
波に乗ることとなると、
波、
海という相手は敵でもなく、
自分自身であり、
自然からの教えはときに因縁に化身するような驚異となり、
そして真理そのものだ。
驚異と真理の源を生みだした台風は北に去りつつ、
魔物だったころの名残を東うねりとして吐き出していた。
太陽が沈むころにはうねりはすっかりと弱くなり、
数日すると完全に消失し、
あたりはまた静かな海となった。
高気圧は、
低気圧(台風も含め)と対を成す事象だ。
低気圧は中心に向けて風を収束させるが、
高気圧は外周に強風がある。
低気圧の風は上(空)を目指すが、
高気圧の風は海や大地、
地球表面に吹き出す下降気流だ。
この高気圧、
空から海に叩きつける風がうねりを創りだした。
ただそれは腰くらいの深さの海に20cmくらいの高さのささやかなものだった。
私は10フィートのサーフボード、
体積120リットルという大きな物体を漕ぎ出してうねりと合わせ、
そこに出現する起伏に引っかけて滑り始めた。
立ち上がると、
視界が拡がるのと同時に夕陽がまぶしかった。
ささやかなる波は、
確実に陸地に向かって動いていて、
また波の持つ全ての原則を備えていた。
レイルに抵抗をかけないようにひっそりと乗っていく。
まっすぐのようであるが、
波の芯の動きに合わせ些少に加重を揺らがせていく。
サーフ専門誌では〈トリム〉と表記されるものがこれだ。
このトリムが永遠に続くと感じたころ、
浜が近づいてきた。
シングル・フィンが砂底の起伏を拾い、
足の下で「ジッ」と音を立てた。
このことを予期していた私は、
反射的にノーズ側に加重してフィンを持ち上げた。
フィンが砂から外れたのか、
海底が深くなったのかはわからないが、
さらにユルユルと乗っていき、
やがてサーフボードのボトム、
腹部分を浜に乗り上げた。
それからしばらく遅速滑走の余韻と記憶にひたり、
ようやくボードから降りると、
陽に照らされた水がとても温かく感じられた。
オレンジ色のシルエットになった松原を背に、
私に向かって友人が両手を挙げていた。
満面の笑みを浮かべたその顔には、
海と遊ぶ歓びが大輪の花を咲かしたように光り輝いていた。
夏の終わりの一瞬が永遠に感じられた日。
(了、2021/10/26)