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【サーフィン研究所特大号】タキローの森_おいしいサーファーズ岬の食べかた_(2609文字)

「(昨日ここで)”清浄なもの”と書いていたではないですか」

瀧朗とそんな会話をした。

「サーフィンとはつまり孤独とか、

超脱に際するということなんでしょうかね」

そんなことからはじまり、

ビート・ジェネレーションにまで話は飛び、

私のこれからは、

ケルアックの『路上』(On the Road)みたいにロール紙に書けばいいとか、

「でも読むときはスクロールだな。

スマート時代の画面はそれこそ”路上”の原稿か」

みたいなことをつぶやいていた。

ジャック・ケルアックを引っ張り出してきたのは、

きっと彼が昨日西浜で受けた心の傷みたいなものだろうか。

「日本のサーフ界のこれからは、

自由奔放な生活を追求し、

民主主義の特徴である個人主義を見据え、

自発的な創造性を追求するべきではないでしょうか」

そんなことを言うので、

この同調主義がしみこんだ日本では、

もはやそれは革命ともいえる意識を掲げなくてはならないよと、

そんな論議を少しやりあった後、

私はだしぬけに何か大切なことを知らされたような感覚となった。

瀧朗は村上春樹が好きで、

いわゆるハルキニストである。

私は仕事柄多くの文体を使うが、

ハルキさんの文体を借りて瀧朗を表現すると、

下記のようになるのだろうか。

瀧朗の考える世間の質は「絶望」である。
彼は絶望性の中で呼吸をしているようにも見える。
彼の絶望性が僕のシンパシーを喚起する理由は同時代性の中に求められる。
僕と彼は同じジェネレーションに属する。
十代、
そして二十代とサンディエゴとハワイのドラスティックな価値転換の中で過し、
湧き出るようなカウンターカルチャーを皮膚で体験し、
そしていま日本で沈黙を強いられている一派である。
だから——というわけでないけれど、
僕には彼が絶望というフィルターをとおしてサーフィンを語ることも、
反権威というかたちを借りた暫定的な幸福が、
圧倒的なまでの全体主義という闇の力によって潰されていくというプロセスも、
メタファーのような中間的認識抜きで、生理的に共感できるのだ。

とまあ、

ハルキ文体で瀧朗を表現したのは、

NALU誌のコラムを脱稿したフォロースイングというか、

余韻から書いてみた。

こうして普段書かないことを書くのは、

大雨のせいでもあり、

またはこの大気の密度のせいかもしれなかった。

そうやってハルキ先生文体をひきずっていた。

さてこれは別日、先日。

英語で言うとOther Dayとなる。

私たちはサーファーズ岬でサーフした後、

逗子サーファーズでランチをしようということになった。

超流行の兆しを見せている『ハイライン』で乾杯し、

アガベ100%のすばらしさをナルちゃんに力説した。

ちなみに私たちが寒そうなのは、

北風サーフィンで冷やしに冷やしてしまったからだ。

先週まではトランクスでやっていたが、

そろそろフルスーツ時代になるのだと覚悟して、

アーバン・アイランド・ソサエティに真冬用をオーダーした。

ちなみにナルちゃんとは、

サーファーズのオーナーであり、

38年も前に私を伊豆白浜に連れていってくれて、

青い海というものを見せてくれた人だ。

カルちゃんは飲む方のアガベではなく、

観賞用のアガベに夢中になっているようだ。

「新しいジャーナル見たか?」

そうやって、

サーファーズ・ジャーナルの日本版の最新号を持ってきてくれた。

ここにはさ、

俺たちの青春が詰まっているんだよ。

そうは言わなかったけど、

私の記憶にはそう焼き付いている。

これは誰ですか?

「ヌマさんだよ」

「え!ヌマさんってこんな時代があったんですね」

「当たり前だろ。君にも若かった時代があるように、

全員にもそんなときがあるんだよ」

ナルちゃんはそう言いながら笑った。

ほぼ五十年前の写真には、

湘南葉山のカルチャーが焼き付いているようだった。

ここによく登場するアーバン・アイランド・ソサエティのガラさんも、

準主役となって洋之介くんの回想とか、

西岡(NISI)さんのことや長者ヶ崎を語っていた。

「あの大きなスケートランプを見たか?」

ガラさんはこの後、

アーバンでこんなことを言った。

「はい見ました。外人ハウスというのがあったんですね」

「あれはさ、オレん家なんだよ。本では外人ハウスになっているけど、

あれだけは森下くんがちゃんと確かめて書いていないとわかったね」

「へーそうなんですね。それにしてもすごいハーフパイプですねあれは」

「おうよ、天辺(てっぺん)からドロップするのをジェットコースターと言うんだけど、

5mの高さからそれをやるのはエアーよりも恐ろしかったね」

「すごいことをしていたんですね」

「怖いよ〜。でもさ、ブルっちゃダメなんだよ。

気合いを入れて真下に落ちていくんだ」

「ローラーコースターとは違うんですね」

「ローラーコースターはさ、

サーフィンの技で横に行きながらかける技なんだよ。

だから全く怖くないけど、ジェットコースターは怖かったね〜」

そう言って遠くを見ていた。

西岡さんもすでにこの世にいないし、

特集の久保田さんも、

そして洋之介くんもいないけど、

もしかすると、

このときはガラさんの周りにいるのかもと感じた。

サーファーズ自慢のフィッシュ&チップス。

これにメキシコ・レッドソースとケチャップを混ぜ合わせ、

付属のタルタルをつけてほおばると、

メキシコで食べた平目のチップスを思い出した。

私の夢にまで出るのはこの「サーファーズバーガー」。

この愛好者たちに話を聞くと、

たいていはアメリカのバーガーの決定版だと言う。

なにを持ってアメリカのバーガーかとしばし考えると、

インアンドアウト・バーガーのさっぱりというよりも、

ドライブインでの逸品バーガーに由来するのかもしれない。

ジャーナル誌ではないが、

「葉山のタコ」のカルパッチョ。

魚介類とサーファーズとなると、

横山泰介さんを思い浮かべるが、

タイスケさんは奄美かどこかの島に行かれていると聞いた。

横須賀文学人と言えば岸さんだろう。

それこそ私がサーフを始めたときからのハッピー・グレイトサーファーであるし、

いまもどこかでSUPや海遊びを教える一流師範である。

MOMAのパーカーを着るのは美佑(みゆ)ちゃんで、

彼女はこれから代官山と大阪ミナミで個展をするとあって、

今週金曜日からの予定が付けば、

サバットを飛ばして東京に行きたいねと法王と話していた。

Happy Surfing and Happy Lifestyles!!