新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所:立春特大号】コスモス・サーフボード『サンディエゴ・フィッシュ』本当の歴史_(3088文字)

波情報は平均値を読む。

ここのスポットは、

「本日フラット」

とあった。

たまに美しい波はやってくるが、

およそ1時間に1〜2本程度なので、

情報としては役に立たないのだろう。

この波が来ることを信じて、

パドルアウトして1時間待ったとする。

いつか波がやってきて、

それに乗ることができればすばらしい記憶となる。

たったそれだけだけど、

Doと、

Not to Vは大きく違うものだとわかる。

さて、

今日はコスモス・サーフボード提供の、

立春特大号ということになっていて、

フィッシュというデザインに着目してみた。

サーフボードのフィッシュ・デザインというのは、

歴史的にも際だっていて興味深い。

1967年。

ロングボードをリ・シェイプして、

ショートボード・レボリューションが始まった。

とはいっても当時のショートボードは分厚く、

重く、

硬かったので、

現在で言うところのミッドレングス系のシングルフィンが、

サーフィンではちょっとしたセンセーショナル、

レボリューション(革命)だと、

そのくらいの熱狂度で受け入れられ始めた。

この1967年のことだ。

サンディエゴに住む16歳の少年が、

ロングボードを半分にしたのは、

このショートボード・レボリューションと同じ流れだ。

けれど、

違っていたのは、

そのステーブ少年は、

ひざまずいて波に乗るニー・ボーダーであり、

前年のパイポ・ボード世界選手権の覇者だったことだ。

短いボードならではの、

「揚力」に由来する愉楽は、

彼の直感的に短くなるだろう。

ピンテイルだと、

スイムフィンをつけてビーティングするにはやりづらかっただろう。

繰り返すが、

当時はロングボードのブランクスしか存在していない。

それは分厚く、

幅広だ。

少年は、

カーブした短いレイルラインを想像し、

そのようにブランクスにペンを引き、

ノコギリを入れたことだろう。

そしてやがてスティーブは、

短い物体を削り出した。

The Original Fish 4’6″

by Steve Lis

.

サンディエゴ・フィッシュの誕生だ。

この瞬間、

少年はサーフボードの歴史という項目に、

100年、

いや千年ものあいだ名を残すことになった。

このスティーブ・リズの

「サンディエゴ・フィッシュ」

が検証されると、

まさにそれはボブ・シモンズが提唱した

『基本的な滑走船体設計』

Basic Planing Hull Design

という要素を備えたものだったのだ。

もちろんこのときのスティーブ少年は、

そんな設計もシモンズのことも知ることはなく、

自発的というか、

直感に導かれた偶然であり、

そしてまた必然だったのだろう。

で、

スティーブはその完成品でパドルアウトすることになる。

サンセット・クリフスのいくつかのピークは、

急激に掘れ上がる波質だ。

しかも歴史に残る

『基本的な滑走船体設計』のボードだ。

安定力はすごかっただろう。

スティーブの輝かしい毎日が始まったことだろう。

このボードデザインに高反応したのが、

サンディエゴ大の生徒ジェフ。

スティーブのサーフ仲間というか、

同じホーム・スポットでサーフするホノルルからやってきたグッドサーファーである。

このフィッシュを気に入った彼は、

スタンドアップしやすく、

全長を5’1”へとサイズアップさせてスティーブにオーダーした。

それは初代4’6”と同じようにガレージの中で完成し、

ジェフは、

とんでもないほどのサーフ・フィーリングを得たという。

じつはこのジェフ・チン、

ハワイの伝説サーファーであるリノ・アベリラの親友だ。

里帰りしたジェフがこの5’1”に乗り、

リノがたまらず、

「貸してくれ」となったことはかんたんに想像できる。

そんなこともあり、

このサンディエゴ・フィッシュはあっという間に伝播していった。

1972年。

サンディエゴ・フィッシュは、

誕生からたった5年で、

『ISF世界選手権』での最重要アイテムとなった。

(ISF=国際サーフィン連盟)

歴史的には、

このときデビッド・ヌイーヴァが準優勝したとある。

このときのことをもっと詳しく調べてみると、

ファイナルに出場したヌイーヴァは、

弱々しい風波で、

圧倒的なターンを見せ続けた。

けれど準優勝だ。

当時を知るサーファーによると、

この世界大会は、

「呪われたイベント」として記憶されているという。

決勝ヒートを見た全員が、

ヌイーヴァが優勝したと思った。

だが、

暴動や報復を恐れたジャッジたちが、

デビッドへ優勝得点を出すことはなかった。

または主催者によって得点表が隠されたのかもしれない。

そして、

この世界大会は、

ヌイーバではなく、

ジミー・ブレアーズが優勝した。

詳しく書くと、

このときデビッド・ヌイーヴァは、

すでに天才サーファーとして名を知られていた。

ただヌイーヴァは、

前述したスティーブの

「オリジナル・サンディエゴ・フィッシュ」

を自身がデザインしたと主張し、

ヌイーバ・モデルとして販売していた。

さらに書くと、

この世界大会の開催地は、

スティーブ・リズが住むオーシャン・ビーチだ。

ヌイーヴァは、

このフィッシュ・デザインを盗んだとして、

地元サーファーから猛烈な抗議を受けていた。

そのデビッド・ヌイーヴァ式のビングだか、

ダイノ・フィッシュは宿泊先から盗まれた。

のみならずそのボードは、

まっぷたつに折られ、

ピアの欄干にかけられて、

「デイブ(ヌイーヴァのこと)幸運を祈る!!」

という逆説的な暴言が大きく書かれ、

ナイフがボトムに深く刺さっていたという。

そんな状況でのサーフィン選手権となると、

暴動になる寸前だったのだろう。

それにしてもよくもヌイーヴァは、

この状況で友人から他のフィッシュを借り、

パドルアウトして波に乗ったものだと、

その反骨心にも感心させられた。

繰り返すが、

これは1972年のサンディエゴだ。

しかもパーティ・タウンのオーシャン・ビーチならば、

サイケデリック全盛だっただろうし、

もし彼を優勝させたら、

ジャッジや関係者にも危害があったのかもしれないと推察される。

The Cosmos Surfboards

San Diego Fish 1972

.

それからフィッシュの歴史が始まったが、

ボンザーと同じように一度廃れ、

MRがツインフィンとして復活させた。

だが、

そのMRボードは似て異なるもので、

サンディエゴ・フィッシュでもなく、

モダン・フィッシュでもなかった。

サンディエゴ・フィッシュに目を入れると、

近年で最も強烈なのが1990年ごろの、

トム・カレンによるJベイのライディングだろう。

カレンは、

奇しくもスティーブと同じサンディエゴのスキップ・フライがシェイプした

サンディエゴ・フィッシュに乗って、

世界中のサーファーにこのボードの可能性を知らしめた。

そんな系譜のいろいろを、

Jベイの超Gターンみたいなメリメリ感と、

激しい歴史をサンディエゴ・フィッシュは持っている。

このデザインは、

いまから55年も前に完成したものだが、

これから100年間も姿を変えずに乗り続けられるはずだ。

コスモス・サーフボードなら時代の追体験ができる。

スティーブ・リズが、

サンセット・クリフスで受けた輝かしい日々も、

そしてトム・カレンがJベイで受けた超Gのスクエアなターンも。

【コスモス・サーフボード/歴史の追体験ボード】

https://www.nakisurf.com/brand/cosmos/

【巻末リンク*2:専門誌に書いたフィッシュ研究】

【特大号】フィッシュ・ボード完全版_タイラー・ウォーレンへのインタビュー(NALU2015年10月号掲載)_(5265文字)

【巻末リンク*3:8年前のフィッシュ研究】

タイラー・ウオーレンのNALU表紙ストーリー_ドッキーとクリスちゃんとでサンドイッチランチ_カイラボードのエアブラシ_NATION工場_ブライアン・ミラーとサーフライン_ツナくんとロスアンジェルスに_ジョエル・マナラスタスの次ボードはドリーム・クラッシャー_ピザ型デッキパッド!?_(2295文字)

【巻末リンク*4:コスモス・サーフボードの種子】

【サーフィン研究所】ミッドレングスの頂点とは?_(1378文字)

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!