ジェイの夢を見ていた。

大きなアウトドア・レストランにいると、
ジェイが目の前に現れた。

ヘイ・ジェイ!
ひさしぶりだ、日本に来たんだね!
「ロッキーショアのナキか!元気だったか?」
彼はしっかりと私のことを覚えていた。

ちょうどナルちゃんが、
石畳上の幅広階段を海側から上がってくると、
驚いたお顔でこう言った。
「君ね、
もしかするとこの人、
ジェイ・アダムスだって言うでしょ?」
そうなんですと、
ジェイをナルちゃんに紹介し、
これはサーファーズの伝説になるねみたいな話をして、

それからトロちゃんと、
タキロー&クリスチャン・フレッチャーコンビが、
法王が運転するサバットで現れて、
タキビ神と大瀧(詠一)さんは、
樽テーブルでバックギャモンをやっていた。

そう、
なかなかのパーティの夢だった。

だが、
こうして書き始めたのはいいのだけど、
あれほどまでに覚えていたはずなのに、
いまはどうしても思い出せなくなってしまった。
書きたいのだが、
本当にもう何もおぼえていないのだ….。

何かあったときに思い出すこともあるので、
そのときはこの続編として残そうと、
削除せずにここに記録する。

ジェイとは、
12年も前のいまごろのロッキーショアで会った。
無人の岩場の夕方だというのがいまも忘れられない。

検索すると、
ジェイはプール(ボウル)で
バーティカル・スケートボード革命の礎を築いたお人だとあった。

それはすぐにクレイグ・ステシックによって、
『ドッグタウン:Zボーイズの伝説』となり、
ステーシー・ペラルタは、
ジェイを「現代スケートボードの原型」と評している。

マリブのレジェンドであるアレン・サルロは、
「ジェイは、
スケートボード界のジェームズ・ディーン」
だと言ったのが忘れられない。

これらは、
そのジェイと私のふたりだけのセッション画像である。
当時インターンをしてくれたユフィか、
または見学されていたマコちゃんが撮ってくれたものだ。

ジェイは、
この後すぐに冥土に行ってしまったが、
夢の中では、
今もあの日のままでお元気そうだった。
R.I.P. Jay🙏

ナキサーフも、
ジェイのようなハードコア・サーファーがいる。
勝浦港前の銘板前で、
サーフを文字通り、
死ぬほど愛するK・ターくんのことだ。

ターくんがタトゥーデザインが欲しいです。
メキシカン・スカルでと、
ドラグラこと、
ドラゴン・グライド・プロダクションズに依頼があった。

ターくんならば、
「サーフか死か」が信条だろうとなって、
完成したのが上画像だ。

あまりにも良かったので、
私がかかげるハッピーサーフではないが、
ターくん世界の人にも喜んでもらえるように、
このジャケットを製作することにした。

私などは、
サーフと死は隣り合わせていないが、
ハードロックは壮絶な生き方を望む。

夢に出てきたジェイと、
このメキシカン・スカルが重なった。

予約分だけの商品と書いたが、
在庫できない事情もある。

このような刺繍入りジャケットとなると、
単価が高く、
サイズ別に注文すると、
それはおよそサーフボード数本分となってしまうので、
予約分だけ製作することにしました。
どうぞご容赦ください。

【ギンサバ・サンデー・リターンズ】
ギンサバミチの夜考察その12
第三次稿 第33回タキビシン海岸6より

叢祠の角を右に曲つて、
キヤラバンはだんだんゆるやかになつて、
間もなく湖のやうに見える海が右にあらはれ、
それがだんだん大きくなつてひろがつて、
二人は丁度タキビシン海岸停車場の前に來てとまりました。

本日はこの文章についてお話を伺おうとしていましたが、
華厳さんの体調が思わしくないようで、
来週に延期させていただきました。
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【巻末リンク:ジェイと会った日】
【巻末リンク*2:ギンサバ考察の元本33】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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