
サーフィングが、
”競技”と呼ばれるようになってひさしい。
そして、
“ファクト・ファインディング”、
「事実を知る」
難易度が高くなった時代となった。

Youtube、
インスタグラム等のSNS配信、
「いま」を知るために動画が使用されている。

だが、
常に新章や新作が求められる一方で、
古風なものには人気がなく、
どこかに押しこめられていると感じている。

このページを読んでくれている人は、
文字に手ごたえを求める人だろうか。

動画配信が歓迎される一方で、
文章も歓迎される。

サーフィン競技やテクニックの滾(たぎ)りを感じたがる一方で、
「滑走」
という原始思想にはあまり興味がないようだ。

デボン・ハワードのミッドレングス動画もいいのだが、
自発的なものでなく、
商業意識に作用されての投稿なので、
心が動くサーフィンではない。
(デボン、ごめんね。
Devon, I’m sorry.
But you’d understand my metaphor, right? )

話を戻すと、
現代のサーファーは、
古の教え、
戒律、
習俗、
伝統よりもライフバランスを重視し、
スペシャリスト志向と承認欲求が強い。

また、
多様性や社会問題に関心が高いのだが、
ことサーフィンとなると、
(教育によって創り上げてきた)保守志向によって、
ゆるやかに全体主義に属するようになる。

そう、
サーフィン世界は、
基礎という権威が磁力を失っている。

きのうここに登場したハービー・フレッチャーは、
フレッチャー王朝の覇者であるが、
そこまで尊敬の念で見られているとは思えない。

たとえばだが、
もしデューク・カハナモクが、
タイムマシンで日本にやってきたらどうなるのだろうか?
大きな木片でサーフして、
「ロング禁止」と怒られるのだろうか。

これらのことについて正直に伝えたいが、
そうなるとこの時代の通信性は高く、
たちまちアンチたちを刺激し、
面倒なのは長年書いてきて知っている。
そこでアメーバのように形を変えて姿を隠している。

私だけではない、
タキローもタキビ神も、
そして円月シャッチョさんですらひっそりとしている。

だが、
これまでの40年間にさまざまなタブーに挑戦して、
ファクト・ファインディングに苦闘してきた。

精力と探求心を更新して、
鋭さと深さで読者に驚きと、
波乗りの持つ色気をあたえつづけたい。

デボンではないが、
暗喩も比喩も皮肉も文体から読み取ってほしい。

アンディ・アイアンズというサーファーがいた。
彼こそが本物であり、
そして、
27歳で早逝したジミ・ヘンドリックスのように人生を凝縮して生きた。

アンディはまるで怖れをエネルギーに変えるようにサーフしていた。
私もこうなりたいといつも感じている。

「新しい年が、
みなさまにとっての多様な表現が可能で、
すばらしい年となることをオン祈りします」
ドラグラ・タイムス新年所感より抜粋
NAKI / 広報部
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【巻末リンク:近代サーフィンの父&始祖】
【巻末リンク*2:正月三が日スペシャル】
【naki’sコラム】vol.62 The Thrill is Back. Life is Surfing._ハービー・フレッチャー2012_(12008文字)
Happy Surfing and Happy New Year!
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