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naki's blog

私の波乗りの歴史_第7編_パイプラインの波_(2169文字)

第7編です。

私の波乗りの歴史_第6編_(2955文字)

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パイプラインの波

パドルアウトすると、

ボクと7’6″ガンは左から右への流れがすごく、

一瞬でエフカイ側まで行ってしまった。

それは想定内なので、

そのままその泡群を無心で突き抜けていた。

ハワイの滞在も2ヶ月となったので、

気力体力、そして日焼け共に充実していた。

インサイドセクションでラインナップすると、

サイモン・ロウがテイクオフしていった。

彼のサーフスタイルは好きなほうではないのだが、

ここパイプラインのチャンネル側から見る彼のドロップといったら鳥肌が出るほどすごく、

これが世界一級品の匠技なのだと、深く大きく感動した。

次のオフショアを受けて切り立つような波にテイクオフしたのはポッツ。

あれだけ波が立ち上がってしまうと、

ポッツでさえもボードにしがみつくように波の中に入り、

テイルのエッジだけでボトムまで急降下するようにバレルインしていた。

ものすごい世界である。

「今までのサーフィンを50とすると、

ここは5000000兆とかそんな宇宙的な単位を使用するべきである」

そんなことを考えていた。

インサイドにいたのだが、ボディボーダーたちがやたら多く、

彼らは切り立ちすぎてサーファーが行けないリッジに、

さし乗りしていくので、

こんなガンボードのサーファーには乗れる波はどこにもなく、

セットが来れば沖に、右にと逃げて、

それはまるで波乗りではなく、

波逃げというのがふさわしいものだと思っていた。

そうやっていて1時間が経過しただろうか、

派手な、黄色と緑のボードとウエットをまとったリアムがやってきて、

「あなた、ナミ、乗りたい?」

日本語で、瞬きもせずに真剣な顔でそう言ってきた。

「イエス」

そう答えると、

左手で手招きをしてきた。

リアムにくっついてパドルアウトしていくと、

もうバックドアの沖の位置で、

そこにはハワイアンふたりが大きなガンで波を待っていただけだった。

なぜかやたらと落ち着いていた私は、

シャカサインを出して挨拶したら、

それはうれしそうな笑顔を返してくれたので、

とてもうれしくなって安心してしまった。

水平線が動き、そのすぐ後にやってくる波群。

怪物みたいな水の塊が、

下の浅いリーフに当たって、

ものすごい勢いで波となっていく。

リアムにとっては、この波でさえも遊びのようなものらしく、

フワリとパドルするだけで波に乗っていって、

それはまるでみんなにお手本を示しているようでもあった。

それから2時間のあいだは沖でセットを喰らいつつも、

他のサーファーの波へのアプローチを詳細確認していた。

どうやらコブがあって、それが重要らしい。

(今は波の芯としてみなさんにここでそれをお伝えしております)

3本に1本くらいはそのコブの位置がわかってきた頃、

「フナキ!GOGO!GOフナキ!」

そうリアムが叫んでくれた。

コブの位置を確認して、

ボードと自分のバランス最良の位置で集大成パドリングをしていき、

波が近づいてきて、

振り落とされるようにテイクオフするとき、

横にいた陽に灼けた白人サーファーが、

うれしそうにこちらを見ていた。

分厚い波壁がぐるりとしたら張り付く、

それだけを考えてボトムターンしていった。

気付くとエフカイ側まで来ていて、

無傷のボクがいた。

自分の状況を整理すると、

あの波はバレルにはならなかったが、

きちんと壁面を伝いインサイドまで乗って、

キックアウトしてパドルの姿勢になったまま放心していたのだった。

もう1本乗ろうと思ったが、

心が疲れてしまっていて、

「上がろう」

そう思って上がっていき、

うれしさ半分、

驚き半分のままビーチパークのシャワーに向かって歩いていくと、

当時サーフィンライフを中心に写真を撮り、

天才と称されていた土屋高弘さんがいて、

こちらを向いてニヤリと笑い、

「船木、写真あるぞ」

そう言ってくれた。

天に昇る気分である。

ちなみに土屋さんは、

写真家だけの世界選手権があったら優勝候補と噂されるほどの波乗りの腕前で、

大好きな伊豆の人でもあったので、

そんなことも含めて飛び上がるほどうれしかった。

土屋さんから20mほど向こうには、

前出した私を嫌う写真家の人がいたが、

彼はわざとこちら側を見ないようにしているようで、

その体がオフザウオール側を向いていた。

とにもかくもお世話になったスポンサーへの無料宿泊の条件である

「写真を残すこと」が出来たかもしれない。

さらには自分の乗ったこのパイプライン波が写真になっているかもしれない。

そう感じながら浴びるシャワーから見る景色はいつもに増して虹色が濃かった。

ありがとう土屋さん。

ありがとうリアム。

ありがとうパイプライン。

ありがとうハワイ。

ALOHA!

そんなことを感じて、

23歳になりたての私は、

いつもに増して、ハワイの神さまに深くお祈りするのだった。

funaki_pipeline_1988

©Takahiro Tsuchiya 1988

当時のスポンサーに感謝を込めて

Brewer Naganuma Surfboards

Fit Systems

10 Feet Cord

Astro Deck

Manuverline

多大なるサポートをありがとうございました。

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8に続きます。


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