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naki's blog

【特大号】私の波乗りの歴史_第11編_初カリフォルニア_ソルトクリークとクリスチャン_(3539文字)

10編からの続きです。

私の波乗りの歴史_第10編_凱旋帰国_(2447文字)

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カリフォルニアへ

雨の日も風の日も、

暑い日も深夜から早朝、お昼までの重労働のかいあり資金が貯まった。

で、その秋もハワイ、ノースショアに行けることになった。

その頃のボクはハワイの波こそが本物であると信じ、

なるべく長い期間をそこで滞在するように予定を組んでいた。

2年目、累積6か月となるノースショアの波は、

知れば知るほど神話的なものばかりであった。

ただ、トリプルクラウンが近づいてきて、

その混雑は異常なほどで、

レギュラーブレイクではサーフせずに、

タートルベイとか、モンスターマーシュや、

フレディランドに向かう毎日だった。

そんなある日。

ハレイヴァ以北のノースショアでは、

唯一のスーパーマーケットだったフードランドで、

アイスクリームを食べながら掲示板を見ていると、

「Mainland Roundtrip $100!」

そんな張り紙があった。

「もしかしたらアメリカ本土への往復航空券?」

そんな直感があり、

連絡用の電話番号が書かれた切れ端をちぎり、

クイリマの公衆電話からそこに電話してみた。

すると、予想通りの返答が返ってきた。

メインランド(アメリカ本土)、

つまりホノルルからロスアンジェルスの往復航空券があるのだが、

予定が立たずに行けなくなったので100ドルで転売したいと言う。

最近はチケットの名前と本人の身分証明書が合致しないと飛行機には乗れないのだが、

当時は券があれば乗れるし、

もし心配ならタウンの旅行代理店で手数料を払えば、

自分の名前の航空券に交換発券してくれるという。

小さい頃から『ピーナッツ』、

チャーリー・ブラウンやスヌーピーのマンガを見て育った私にとっては、

「アメリカ本土を見てみたい」

そんな夢があった。

ハワイはアメリカ合衆国内にあるので、ボクの入国はすでに済んでいる。

詳しい人に聞いてみると、

ハワイからロスまでは、新島から調布飛行場に行くようなもので、

IDがあればパスポートもいらないと言う。

この当時はインターネットもない時代であるので、

メインランドの情報は、前出したピーナッツ等のマンガとか、

「奥さまは魔女」といったテレビドラマ内や映画でしか知らなかったので、

実際に行った人は、メインランドのこんな噂話をしていた。

4リットルサイズのオレンジジュースが1ドル(当時の為替レートで137円程度)

海の上に観光用の橋(ピア)が延びていて、その脇でみんなサーフィンをする

高速道路が無料で、片側10車線の箇所もある

波はどんなに小さくても膝腰はあって、潮が入ってくる時間になるとたいてい胸程度となる

ローカルがオープンでフレンドリーだ

ガソリンの値段が1ガロン1ドル以下(当時の為替レートで1リットル35円程度)

サンクレメンテのサーフポイントは、自分が倍くらいに上手になったと錯覚するほど良波だ

家の中で誰も靴を脱がない(ハワイは日本式)

新品サーフボードの値段が250ドル(当時の為替レートで3万5000円程度)

こんなことを聞いて、

信じられるものもあったが、

実際にはかなり誇張されているだろうと思っていた。

さて、夜の6時にホノルル空港をかなり遅れて離陸した小さなジェット機は、

予定通りロスアンジェルス空港に降り立った。

サーフボードが入った荷物を受け取り、時計を見ると深夜1時。

しまった。

この時間はレンタカー屋も全て閉まっているので、

どこか安全なところで時間をつぶしていようと思って、

空港の片隅にいたのだが、

黒人の警備員がやってきて、

「ここにはいるな、外に出ろ」と言う。

でもレンタカーがないと動けない、そう伝えると、

聞いたことのない訛りというか、英語に聞こえない言葉で

「ううfhげkhだshううdあ」

「エクスキューズミー?」

「ゆfhげkげhだshううdあ」

「エクスキューズミー?」

そんなやりとりを10回以上すると、

ようやく

「お前は外に出てレンタカーのバスに乗って行ける」

そんなことを言っているような気がした。

とにかく半信半疑で空港出口に出てみると、

ハワイとは違って冷気が体を伝った。

ただ深夜だというのに車の数が多く、

レンタカー屋のシャトルがひっきりなしにやってくる。

ハーツ

ダラー

バジェット

エンタープライズ

そんなロゴをまとったシャトルバスが走っていくのを確認していた。

実家のTVがナショナル製であったというだけで、

「ナショナル」という単語の親和性に引かれ、

その名前のバスに恐る恐ると乗り込むと、乗客は私ひとりであった。

空き地が拡がる辺鄙な場所に連れて行かれ、

掘っ立て小屋のような不思議なオフィスでレンタカーを借りることができた。

さすが大都市ロスアンジェルスである。

トーキョーでも深夜にこうはいかないだろう。

地図を開いて、

「サンクレメンテにはどうやって行くのがよろしいか」

そうレンタカー店員に尋ねると、

「サクラメントはここから8時間はかかるぞよろしいか?」

そうやって返されたのだが、

「サンクレメンテは、ロスアンジェルス空港から1時間くらい」

そう聞いていたのでこれは変だぞと直感し、

もしかすると私の発音が悪いからかもと感じて、

そのコンドミニアムがある住所を見せると、

「ああ、サン・クレメンティね。サクラメント(カリフォルニアの首都)かと思ったわ」

苦笑されながらフリーウエィ5号線の南方面を示してくれた深夜2時。

(そんなことがあって、私は今もサンクレメンテの発音や表記に厳しいのであります)

地図を見ながら運転していくと、

じつに簡単にサンクレメンテに到着した。

宿泊予定のコンドミニアムのフロントは施錠されていたので、

駐車場で時間をつぶしていたのだが、

安心したからか猛烈にお腹が空いてきた。

良く考えると、夕方空港でスナックを食べてから何も口に入れていなかった。

で、フリーウエイを降りるときにセブンイレブンを見たので、

そこに行くと、目つきの悪い黒人がいて金銭をせびられた。

(22年間ここに住んでいるが、あそこのセブンイレブンでは、

もっと言うとサンクレメンテ周辺でそんなことは2度となかった)

やはりメインランドは危険だと感じ、

その彼とは一切の関係を持ちたくないと、

とっさに「お金がない」と言ってしまった手前、

何も買わずに出てきて、そのまま駐車場に戻った。

それからややあって、夜が明けてきたので近所を車で散策すると、

カラフィアという道が海に出られそうだったので行ってみると、

腰くらいのダラヨレ・ダンパー波があって、

「まあサーフできる」そう思いながら、

その有名で、良波とされているブレイクはどこにあるのだろうか?

そんなことをずっと思っていた。

San_Clemente_old

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12に続きます。

さて、こちらサンクレメンテ周辺は嵐が来ていて、

ずっと南風が吹いている。

この南風、サンクレメンテ全域が横風になるのだが、

ダナポイントのソルトクリークはほぼオフショアとなる。

IMG_1176

で、カメラを持ってソルトクリークに降りていくと、

クリスチャン・フレッチャーがいた。

IMG_0056

最近ずっと会っていなかったので、

クリスチャンと話すことは山ほどあった。

スクリーンショット 2016-04-08 17.57.13

そしてハイパーソニックの短いカーボンストリップ距離版が完成したので、

その試乗を兼ねてパドルアウト。

ソルトクリークの南端は岩だらけのロッキーショア。

よって、その大好きな岩リーフ内からパドルアウトした。

スクリーンショット 2016-04-08 17.59.42

クリスチャンと私はピークを分け合っているが、

ハイパーソニックの異様なまでのテイクオフの速さがここでわかるだろう。

スクリーンショット 2016-04-08 17.57.49

エアをするために高速滑走するクリスチャン。

思い出すと、

上記した回想編のときに知り合っているのだから、

あれからすでに27年も経っていて、

なるほど私も歳を取ったなと、

そうしんみりしてしまった。(笑)

スクリーンショット 2016-04-08 18.03.00

Nation Hyper Sonic

5’10” x 18-3/4″ x 2-5/16″ Tri fin setting

でも波乗りは当時よりも上手に、

そしてハッピーにできていると感じている。

怪我もしなくなったし、

やはり経験の積み重ねというのは黄金だと感じた。

201504_Creek_3795

私は波を見ながら着替えるのが好きで、

ウエットをボードにかけ、

服のままブレイクまでやってきて、

脱いだものはこうしてバックパックに入れておく。

新しいレトロ風味のコンバースを撮りたくて、

こんな画を得て、少し経つと春の雨が降ってきた。

南カリフォルニアでは、

この時期の雨は珍しいのだけど、

去年が記録的な渇水で、水がほとんどない状態だったから、

ちょっぴりうれしくなった。

そして私とクリスチャンのセッションは際限ないほど続いていくのでありました。