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naki's blog

【再び特大号】私の波乗りの歴史_第14編_ピアとドノバン_デウス&モダニカによるLuftgekühltイベント_(3002文字)

サンクレメンテ1988。

マット・アーチボルドことアーチ。

彼のホームブレイクであるTストリートで偶然見かけました。

ロックスターかムービースターか、

そんなオーラをまとっていて、

波乗りはポッツと同等、もしかするとそれ以上かも、

そんなことを思わせるほど弾けていた。

「フライボーイ」とは、

このアーチを指して付けられたネーミングです。

【ちょっぴり特大号】私の波乗りの歴史_第13編_Tストリート1980年代_マット・アーチボルド_ロスアンジェルス2016_(3159文字)

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サンクレメンテには、

ピアがあり、

日本で噂されていたようにグレイトサーファーたちが、

この横でサーフしていた。

波を上から見下ろすと、

それまで抱いていた波の仕組みの秘密が解けるようで、

長い時間をかけて波を見ていた。

ピアから戻ろうとすると、

無人のボロボロのバンが坂を下ってきた。

ゆるやかに蛇行運転していたので、

変だと思って運転席を見たらなんと無人だった。

「やばい!」

サイドブレーキの壊れた車が坂を滑落してきたのだと直感し、

とっさに街灯の後ろに隠れたが、

その無人バンはカーブの手前で減速し、

しかもふわりと曲がりながら「停車OK」のイエローラインに停まった。

ラジコン?

どっきりカメラ?

そんなこと想像をしていたら、

無人車の運転席のドアが開いて、

長髪のインディアンの子どもが降りてきた。

「波どう?」

そう聞いてきたので、

「なかなかいいぞ。でもその車どうした?」

そう答えたら、

ニコリとしてまたバンに乗り込んで、

Tストリート方面に走り去っていた。

13歳の時のネイザン・フレッチャーだった。

Nathan_Fletcher

まるでマンガのエピソードみたいな日々が過ぎていった。

またピアにサーフ見物しにいくと、

今度は長身長髪の、

1000%ロックスターみたいなのがサーフしていた。

マット・アーチボルドのオーラが鈍く光るようなものとすると、

彼のはネオン管が弾けるような明るさで、

しかも目が覚めるほど高速の波乗りだった。

クラシックにソウルアーチのボトムターンしたと思えば、

波のトップでフィンを抜いて、

そのまま泡の下まで一直線に滝下りするように降下していく。

当時は、ピアの上にギャラリーが多かった。

あの辺りの不良サーファーが、

時間つぶしに波乗りを見て、

野球場のように汚い言葉のヤジを飛ばしては仲間と大笑いしていた。

ボクのような日本人サーファーが入ったら何を言われるかわからないので、

そこでは波乗りしようとなどは思わずに、

見るときでさえもフィッシャーマンズというレストラン側の柱に隠れていた。

この日の彼らは、

一切ヤジらずにその長髪のロックスターに対して口笛で声援を送っていた。

そのロックッスターは、リーシュもしていないのに、

ピアの柱周りでも大胆に波のトップにボードをぶち当てていく。

「バッチーン」

ものすごい勢いでリップにぶち当てたのはいいのだが、

そのままワイプアウトしてしまい、

ボードは木製ピアに吸われるようにしてぶつかり、

レイルから鈍く、嫌な音が出た。

「どうするのだろう?」

心配そうに見ていると、

海面に浮き上がってきたロックスターは、

次の波でボードまで一直線でボディサーフし、

かなりの度合いで壊れてしまったであろうボードで再度パドルアウトしていき、

それからもずっとサーフしていた。

あのうるさいギャラリーでさえも固唾を呑んで見守っていたようで、

静かなのが少し不気味だった。

で、このロックスターがドノバン・フランケンレイターだった。

JohnCallahan002

彼とはその後、

ほぼ同時にノースハワイに引っ越したりして、

それは長い友人関係になっているが、

このときのボクにとっては、

湘南の海の向こうがこんなことになっているとは、

丸井プロからでは推し量れないほどの感動的なシーンがあった。

他にも

クリスチャン・フレッチャー

ディノ・アンディーノ

アンディ・フォーメンコ

ジャスティン・ロバートソン

サイモン・セバーソン

シェーン・ベッシェン

ジョシュ・バクスター

ジェフ・クレーマー

Christian+Fletcher_Larry+Flame+Moore+Photo

という達人、

または妖怪、怪人たちがいて、

クリス・マケロイやミジェット・スミスたちが彼らにボードを提供し、

コールことコール・シムラーはその彼らの兄貴分として、

サーフボードシェイプの修行をしながら、

エルカミノリアル通り南側で、『ザ・サーフスポット』

というサーフショップを運営を1983年から始めていた。

Cole_Simler

そのサーフスポットのTシャツ(左)

中央は28年前だかのコール。ブロンドだったのを知らなかった。

右はクリスチャン・フレッチャー。

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さて、それから28年後。

私はなぜかまだサンクレメンテにいて、

週末は双葉通信社は鈴木猛さんの計らいで、

デウスのLAイベントに招待された。

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デウス秘蔵っ子であり、

エースのグラフィックデザイナーであるカービー・タックウエルによるアートポスター。

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Luftgekühltとは、

ドイツ語の形容詞で「空冷式の」という意味だという。

なるほど、

空冷式エンジンのお祭りなのだとわかった。

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場所はLAの倉庫街にあったモダニカ。

同行してくれた超が付くほど車輪マニアのOさんによると、

ここはミッドセンチュリーの家具で世界的に有名な会社であるという。

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なるほど、

ハーマン・ミラー社の正規品であるイームズチェアが多くあって、

ファッション好きな人たちは歩けないほど興奮していた。

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今回のイベントのポルシェのバケットシート風のロッキングチェアと、

前出したカービーによるイームズチェア。

ウエブサイトで限定だか抽選販売しているそうです。

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ムービーの撮影が入っていたり、

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デウスのデア総帥(Dare Jennings)と、

サファリ誌大帝Sさんの親密な会話。

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こちらが天才カービー。

星のカービーか、スーパーデウスか。

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私のニューシューズにも星がありました。

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私をここに連れてきてくれた鈴木猛さん、

そしてサファリ大帝のSさんとデウス元帥のOさん。

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1976年式の空冷&長距離スタイル。

美しいフォルムにぐっとくる。

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1968年式の早瀬佐近モデルの星なし。

(©サーキットの狼)

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室内でもレアポルシェが展示されていて、

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この舞台装置に興奮した私の写真術も冴えるのであった。

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フットドラム、ギター、そしてボーカルと、

文字通りワンマンショーのすばらしい音楽を奏でた

ブッチ・ウオーカー(Butch Walker)のビートを堪能し、

こういうことはデウスならではの真骨頂だとさらに感銘を受けた。

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その天才ブッチ。

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さらには、

コーヒーマニアのあいだでは、

世界一おいしいコーヒーを淹れると噂されている

「ヨッシー」さんにお会いできたのであります。

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不思議なことです。

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ポルシェのオーナーたち。

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パーティナイトの夜は更けてきて、

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タイキくんの運転で無事に帰ったのだが、

酔った頭で見たのは、

ほぼ深夜の5フリーウエイで

オスカー・マイヤーのホットドッグ号。

酔っぱらいすぎて見た夢だと思っていたら、

しっかりと自分でインスタグラムにも投稿していて、

証拠写真があるのが不思議だった。

それでは、回想編がそろそろ終わりますが、

明日に続きますね。

すばらしい春の日をお過ごしください!

Have a great day!!!