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naki's blog

『波』(2007年)_(2060文字)

これはノースハワイ島の逸波。

ここはシークレットなので、

よって公式名がなく、

それぞれがめいめいにこのブレイクに名を付けている。

私はここをイナリーズと呼ぶ。

ノースハワイ島の銘波は、

ただの良い波ではなく、強力であり、

 

セクションも長く、そして波の底から掘れ上がる、

サーファーにとっては激烈極上の、

もしかすると怪物にも成り得る波。

ハワイ諸島の沖には気象海上ブイがあり、

そこから届くうねりの高さと角度の情報をまとめていくと、

いつどんな波がどこにやってくるのかがわかる。

日本の北、アリューシャン海域で猛烈に発達した低気圧があり、

そこから発生した大うねりがこちらに向かってきていた。

イナリーズは北から入るうねりが良く、

小さくなると西から入ってきたほうがいい。

波は角度というのがとても大事で、

少しでも違うと全く違う波質となり、

波に乗ることすらできなくなることもある。

うねりのソース、

つまりこの波の源は冬の嵐で台風以上に発達した低気圧なので、

天気図でその移動速度とか、変化を記録していた。

最大に達したそれは、北の海に24時間以上も停滞していたので、

うねりの角度はそれと同じ時間は変わらないことを知っていた。

常に最良の波、最上の波、最高の夢を想い、

波が近づいてきたときに”大舞台に立つ”という気持ちになり、

その反面で海を畏怖しながら”その時”を待つ。

波に想い焦がれて30年が過ぎた。

湘南の波からはじまり、

千葉の波、はるか南にある島の波、日本海、東シナ海、

南太平洋、インド洋、カリブ海の波にも乗ってきた。

人生の大半を費やした後、イナリーズの夢波に行き着いた。

朝陽に煌めきながら弾ける美しい円弧。

その神々しさを見てからというもの、

連日夜明け前に無人の暗い浜まで行くようになった。

雲を見て、風向きをチェックしてブレイクの前に立ち、

轟音からうねりの強さを感じる。

ウエットを着て、

それは重いSLR(一眼レフカメラ、Single-lens reflex camera )を持ち、

波打ち際で足ヒレを付け、カメラのリーシュを手首に巻いて、

水平線を見てゆっくりと息を吸い、

そして吐きながらちょっとしたお祈りをする。

外気よりも温かい海水を足に感じる。

泡波が音を出して近づいてくる。

波の下に頭から潜る。

カメラを持つことで、自分の浮力が思ったより少なく感じる。

足ヒレのキックで浮き上がると波に向けてのドラマが始まる。

視界いっぱいにそびえ立った泡の下、

怖じ気づくような波がやってくる。

得体の知れない波に向かって幾度も潜っていく。

これが明るければそこまで怖くはないが、

どこまでも無人で、しかもまだ暗い。

ゆっくりと、

ひっそりと泳いでいればいつか波が消え水平線が見える。

沖に出たのだ。

岸からの位置を確認して、

私たちがバーと呼ぶ最良の地形までさらに泳ぎそこで波を待つ。

強烈な流れに逆らい続けているので、

自分の呼吸を荒らさないように、荒れないように泳ぎ続ける。

波がやってきた。

カメラをかかげる位置と、レンズの水滴を気にしてシャッターを押す。

通り過ぎる波。

シャッターは秒間10コマを写すが、

欲ばってバレル内を一枚でも多く撮ろうとすると、

抵抗を受けたカメラが引っぱられ、

腕が肩からちぎれそうになる。

波を撮し、そしてそれに乗る毎日。

さて、アイザック・ウォルトン(Izaak Walton)が書いた

“The Compleat Angler”(『釣魚大全』1653年)

というのがあり、

その第一章に「釣りの芸術性について」と書かれてあった。

だが、

波乗りに対しての芸術性についてはどの文献にもあまり書かれていない。

私も苦闘しながらもそのことーーつまり芸術性を表現しようとしているが、

なかなかそこには行き着けない。

よく写真は「今を切り、そして撮る」とされているのだけど、

波は太古から姿形を変えていない。

そしてそれはこの先も同じだろう。

永遠不変の中、

私たちはカメラを選び、露出、画角を変えて、波の迫力、

その美しさ、影や凹凸を余すところなく写し表現している。

ここであることに気づいた。

それは「波と雲は似ている」ということ。

雲の泡のような拡がりとか、

そらに浮かぶ壮大な感じが波のようだ。

ただ雲には乗ることはおろか、触ることもなかなかできない。

波は乗ることができるし、

それぞれの性格と特徴を持ち、さらには伝説波というのもある。

究極の波の稀。

その稀は、さらなる究極の、どこまでも美しい波をも含む。

そんな稀波を探し求めてしまうのが私たちだ。

まだ見ぬ波を求めて、海を渡り、雲をも越えて、旅を続ける。

それに対して皮肉を込めて“彷徨(さまよ)い“と名付ける人もいるが、

それはあながち遠い表現ではない。

だが、

波乗りは人生を彷徨えるほどに熱中させることができるのも事実で、

私はまだ見ぬ波を求めて続けて生きている。

私たちを現実と想像世界の両方で魅了し続ける波。

それほどまで美しいもの、大きなものにサーファーたちは今日も夢を見る。

(了、2014-8-15)

初出 OFF SEASON MAGAZINE