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【テクニック思想編】最愛のデューク・カハナモクさま_(2286文字)

最愛のデューク・カハナモクさま、

今日はあなたの第127回目の誕生日です。

デューク(さま)の詳細は、

BLUE誌の巻頭コラムに先ほど書きました。

発売日、9月10日までお待ちください。

The beloved Duke Kahanamoku

at his home break Waikiki

.

なぜここまで私がデュークに傾倒しているかといいますと、

それはウナクネ式に由来します。

その経緯を簡単に説明します。

私はショートボードで波に乗ることを始めました。

それからは、

海で会うグレイトサーファーたちが自分にとっての教祖でした。

峰ヶ原の杉さんや、

鵠沼の勝又さんだったり、

茅ヶ崎の遠藤くん等々。

そうです。

自分の中でサーフィンは宗教のようになっていきました。

そんなとき、

教祖の中の教祖、釈迦の十番弟子とさえ言われていた横山泰介さんが、

サーフフィルム

『ストームライダーズ(VHS版)』を私たちに見せてくれました。

泰介さんはそのとき、一緒に当時新刊だった

泉昌之さんの『かっこいいスキヤキ』(青林堂)を持っていたので、

1983年以降のことだと今でもわかるのが不思議な記憶です。

そのビデオブームは続き、

次は『ザ・パフォーマーズ』という

クイックシルバー製作のチームライダー@ノースショア作品となりました。

それを見て、マービン・フォスターはもちろん、

コングもラビットも良かったけど、

リチャード・クラムのパワーカービングに心が奪われました。

そのフィルムを一緒に見たジョージ遠藤さんが、

「やっぱりさ、リチャード・クラムだよな」

そう言ったのを合図に私もリチャード・クラムのパワーカービングを心から敬い、

そして自分の波乗りスタイルへの決意もあって、

後輩たちに私を「リチャード」と呼ぶようにと伝えました。

なので、今でも七里のマンガくんが私のことをリチャードさんと呼ぶのは、

この理由によるものです。

そうやっていたら、

今度はトム・カレンがフリーサーフしているVHSを見る機会を得ました。

これは、ザ・サーフの紀藤さんが自主製作したもので、

その劣悪なる波での高尚なるマニューバー、

波の選び方、パドリングの仕方、ダックダイブの位置が啓示され、

またトム・カレンさまはリーシュをしていないので、

ボードを流した後での見事なボディサーフに驚き、

そしてトム・カレンさまは神格化したのです。

部原海岸では、

台風嵐波の誰もいない沖で神さまがボディサーフしていたことに驚愕し、

さらには春の新島羽伏浦に行き、

当時最高峰のバレル力とパワーカービングを現認し、

あまりの感動にそれからはずっとASPを見に行きました。

(当時日本では毎年、秋、そして春秋とASP世界選手権が開催されていた)

ただ世界選手権は予備日も入れますと、およそ1週間にも及ぶ滞在です。

車中泊するにも資金がありません。

当時ウエットスーツを私にサポートしてくれていた会社が、

「外人選手の世話をすればアゴアシ出してあげる」

というので喜んで行ったものです。

成田空港まで送迎した縁もあって、

ニッキー・ウッドやブライス・エリス、

アレックス・アッシャーたちはこの時に知り合いました。

ある年、

カリフォルニアから信じられないサーフィンをする金髪少年が部原に現れました。

マット・アーチボルドもマーティン・ポッターも知っていましたが、

彼の波乗りというのは、ハードコア&スピードエア系の資質に加えて、

トム・カレンの持つ優雅さと品みたいなのを併せ持っていました。

ブラッド・ガーラックでした。

ここで私は*後輩にガーラックのニックネームでもあるGERRと呼ばせましたが、

(*当時はコフナキと呼ばれていたカメ、シゲ、イトウ、マルちゃん軍団)

誰もそうは呼んではくれませんでした。

そのまま自分だけのガーラック時代は続き、

カリフォルニアに引っ越し、

やがてノースハワイに行くと、

カイポ・ハキアスのテイクオフに宇宙の表出を目撃した。

それは空海が、

「明けの明星が口から体中に入った」

というものだったことから、

カイポさまに弘法大師という贈り名を捧げた。

この頃から私は最上級のテクニックは、

「波に乗ること」だと考え始めたのです。

そのままクリスチャン・ワックと、

タイラー・ウォーレンの導きの元、

アレックス・ノストの、

シングルフィン最高峰の波乗りを見て、

波乗りは『クネクネだ!』と突然悟り、

彼を総帥に任命しつつ

『ウナギクネクネ派』というのを結成したが、

あまりにもマイナーだったので、

広報部長に名乗り出て今に至ります。

そのウナギクネクネ、

略してウナクネは、

波に乗ることを源としているので、

平穏な時代がやってきました。

そしてサーフボードのサイズも大きくなったり、

小さくなったり、

またはボードもフィンも必要ではないという達観に達しました。

私は歴史好きなので、

じつはトム・カレン時代から「サーフィンの父は誰?」

そうやって調べていましたが、

父はひとりしかいないことを知りました。

それがデューク・カハナモクです。

デューク・カハナモクは多くの人に

「安全に人が楽しく波に乗ること」ということを伝えました。

私はその考えに賛同し、

さまざまなメディアに彼の考えを広めています。

【夏休み自由研究のすすめ】サーフィンの歴史_「安全に人が楽しく波に乗ること」_(2032文字)

そんなこんなで、

ウナクネ派は彼のことを『開祖』として崇めているのであります。

(ウナギクネクネ広報部調べ)

そんなうれしい日。

どこでサーフしようかな?

どちらにしても記念日サーフとなります。

Happy Birthday Duke!!

そして豊かで永遠の思想をありがとうございます。

いつまでもハッピーサーフしましょう〜!