Amamian Backdoor, Amami Oshima
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Backdoor, Amami Oshima
Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x Taj Barrow Pro 6’0″
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低気圧通過で、
オンショアからサイド風になることまでは書いた。
予測通り、
オフショアになり、
夢波もやってきたし、
Kin Chan at Backdoor, Amami Oshima
Tyler Warren 1973 Bonzer 6’4″
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キンちゃんは、
生まれてから一番だったという緊張感を持って乗った波もあった。
長くなるのと、
これまでのいろいろをここに積み残しているので、
昨日の顛末は近日中にどっさりと時間を使って書きます。
お待ちください。
B-Pass, Amami Oshima (East China Sea)
Bパス、奄美大島、東シナ海
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さて、
ここでキンちゃんが奄美にやってきた日に遡ります。
「俺さ、バックドアをやってみたいんだよね」
「かなり小さいですが、潮がある時ならできそうですよ」
「やった!」
そんな文体で満潮を待ってから向かったバックドア。
まんまとセットで腰くらいあり、
キンちゃんは感動的な視界を手に入れていた。
Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x JOB 6’6″
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見てください、
このうれしそうなお顔を。
でも激浅なので、
その視界に怯んで、
腰が引けていらっしゃるショットも得た。
「やばいよ〜。途中なんかさ、フィンが当たって飛ばされちゃったよ」
「あそこを避けていくと、インサイドへの道が開けます」
「上陸できる、と」
「そうです。上陸こそが無上の悟りですぞと、
スーパータキビシヤスが言っていました」
「むう——」
NATION EAGLE 6’8″
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ナッキーも浅いところを上手に乗っていた。
「あのさ、岩をよけるカットバックというのもあることを
サーフィン歴42年で始めて知ったよ」
「波乗りは地形に沿って乗るものでもあります」
「奄美はすごいね〜!」
「はい!」
「サラリーマンしてたらこんなことも気づかないよ。
奄美に来て良かった〜〜」
「きんちゃん、泣いているのですか?」
「なんかさ、歳を取ると涙もろくなっちゃって、すぐに感動しちゃうんだよ」
「良いことじゃないですか。感じられるのはすばらしいことです」
Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x Taj Barrow Pro 6’0″
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私のほぼパラレルスタンスは、
こういうときにその真価を発揮する。
波に乗りながら心の安らぎに達する。
その安らぎ=平穏によって得られる境地がこれである。
腰波のすばらしさ満喫。
さて、
さらに少し前ーーきんちゃんが来る前の話となるが、
Kキャンパーで奄美大島南部まで向かった。
嘉徳の手前から4kmを越えるトンネルが出現していて、
それを越えると、
突然古仁屋という町となった。
そこから東に折れるとこんな景色が現れた。
Setouchi, Amami Oshima
奄美大島瀬戸内町
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青の天国。
正面に見えるのは加計呂麻島。
ここも龍群がいる。
なぜ龍なのかと言うと、
奄美の岬は、
竜が伏せているように見えてならない。
左に見えるのは、
瀬戸内町蘇刈にあるアローバーズ岬。
この波を思い出すと、動悸は早まる。
しかも時が経ち、
記憶の中で伝説へと昇華しつつある伝説波がここにやってくる。
(リンク*1)
これは強い北西風から、
とても強い北風に変わった日。
Bパスに行くが小さかった。
ユウセイくんとすれ違ったので、
「どこでサーフするの?」
そう連絡すると番屋岬に入るという。
ではそこに行くねと向かい、
番屋岬のフォクシー波セッションとなった。
パドリングを累計2kmくらいし、
疲労困憊で上がってくると、
ジャイアンたちがやってきた。
「え、もう上がっちゃうんですか?」
「乗りすぎて疲れたよ」
「もう一回やりましょうよ〜」
懲り懲りするほどパドリングをした日であった。
右から前出のユウセイくん(碇山勇生プロ)、
ジャイアン、
ヒルマさん、
そして名瀬の名店ポノポノのゆうじくんは、
特製NAKISURFカレンダーを持っての記念撮影となった。
ありがとう〜!
この夜は、
原因不明の大病から復活した緑くんが、
タンカンと共にやってきて、
夜更けまで波乗り話に興じた。
ジャイアンと緑くんは親友でもあるので、
緑くんの最高の笑顔を見た夜でもあった。
奄美は最高よ〜!
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【巻末注釈リンク:アローバーズ波】
Happy Surfing!!
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