紫陽花の季節ですね。
土佐市宇佐町竜163にある
『青龍寺』の本堂に行ってきました。
後述しますが、如意山で撮ったものです。
如
意
なんてすごい名前の山だと感激しかり。
ここは真言宗、豊山派の寺院。
「豊山と書いて、ブザンと読みます」
妙齢の女性が妙にうれしそうに言っていた。
本堂まで長い階段を昇っていくと、
大師堂の前で男性のガイドが、
竜の渡しを伝えたという7人の話をしていた。
まさしくそれは『井尻八人衆』の伝承なのだが、
8人から7人へと人数が変わっていた。
調べてみると、
なるほど両方存在している。
人数が変わった理由をTVドラマとかの脚本の芯にしてみようか。
ちなみにその井尻八人衆の伝承は、
弘仁年間から伝わるもので、
じつに1200年も前のことが今に残りつつも、
あまり知られていない。
こういうことが重要だったりもする。
歴史という時間の中に溶解していた片(ピース)がある。
伝承の重み。
こちらが青龍寺の本尊、
波切不動明王の石像。
空海が、
唐の恵果アジャリより両界曼荼羅を授かることができたのも、
波切不動明王のおかげなのです。
というのは、
20年ごとに航行していた遣唐使船。
入唐へ向け、大阪港を経て、
那大津(博多)から延暦二十四年 (805年)に出航した。
大嵐に遭遇し、
もはやこれまでかとなったところに出現した波切不動明王。
波切りさん、
またはお不動さんが何をしたのかはわからぬが、
きっと空海たちが乗った船をダックダイブさせて、
いくつかの大波を乗り切ったのだろうか。
機関(エンジン)などはない時代。
動力の帆と櫂や櫓を確保し、
転覆しなけばなんとかなった時代だろうか。
ちなみにこのとき4艘あった船団は、
入唐時には2艘だけとなってしまった。
生存率50%の旅は過酷である。
さて、
空海は唐で両界曼荼羅を得て、
つまり当時の世界で最も偉大なる国の仏教で、
金剛界、
胎蔵界のダブル頂上を授かった。
しかも門下生が2000人もいた恵果和尚(阿闍梨)からである。
(恵果阿闍梨の死に際し、その遺碑も空海が書いた)
本来ならそんな英雄伝説ではなく、
言葉も文化も違う日本人が、
当時の世界最大10万人を擁する土地に行き、
仏教を二十年間かけて学んで、
言葉や書、
仏具や装飾品を伝えてきたというのが通常のこれまで。
けれど、空海の場合は、
密教界で瞬時に師匠へと昇りつめていく。
魔法のようだが、
いくつかの逸話において、
この灌頂(かんじょう。仏の位になること)が公正な判定だったと感じたのが、
空海は唐の玄宗皇帝へ書を献上したことを頂点として、
数々の重要な文献を唐に残していた。
(空海は、後の日本三筆のひとり)
その大物空海は、
唐の許可だけで日本側の許可無く、
「免許皆伝しました〜」と、
18年も早くやってきた遣唐使船で帰国してしまった。
だが、日本朝廷はその対応に困り果て、
空海の入京を3年間も許可しなかったという。
その後、
空海が天皇への拝謁をすると、
(当時は嵯峨天皇)
「空海よ、どの場にでも好きなところにお前の寺を建てなさい」
そんな勅が発せられ、
やがて空海は、独鈷山の一角を示し、
「ここでございます」
そう感得し、奏上し、
弘仁六年(815)に独鈷山に寺院を建立した。
青龍寺の始まりであります。
(現在は奥の院という名となっている)
唐の青龍寺と同じ名は、
恵果阿闍梨の大恩に報いるもので、
本尊に波切不動明王を据えたと推察されている。
まとめますと、
土佐青龍寺は、
弘仁六年(815)に空海によって開基されました。
本堂のある上段が如意山。
客殿が摩尼山の麓。
奥の院が独鈷山。
この薬師如来が、
本尊の波切不動明王を奥の院(如意山)から
本堂(独狐山)に移したという伝説。
弘仁(こうにん)時代は1200年も前である。
陰陽師以前のことだが、
世の中には不動明王や如来がいて、
夜には鬼が闊歩していたと信じられていた。
いや、もしかしたらいたのだろう。
EC SURFBOARDS THE COSMIC FONZER 7’2″
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令和の今も、
波には魔物が潜み、
人を生け贄にすると信じている。
そんなヒリヒリ感で乗る波は、
忘れたくても忘れることはできない。
さて、
ずいぶん前の千葉。
インポッシブル。
少し前に、
「勝手にポイントに名前を付けるんじゃない」
そうお叱りを受けたが、まったく解せない。
だって自分たちの遊び場に
「土管」とか、
「原っぱ」
「土手」
そう名付けているのと同じだと、
なぜわからないのだろうか?
誰が困るのだろうか。
何かと文句を言いたいだけであり、
全てに文句が言えると思っている人たちがいるのだろう。
変な世の中であります。
宗安寺のSO-ANのことをここで称えてきたが、
オーナーシェフのキヨシくんが聡明で、
いつもありがたいお言葉を賜るのだが、
「いまや日本は、平和な北朝鮮です」
そんなことを言っていた。
やたらと妙を得ていて、
さらには正しいという悲しき事実。
立ち上がりましょう。
討論会などしましょう。
論議しましょうと言っても、
相手が現れるのかどうかも不明であります。
【思想的かつ実用的なテクニック編】
キックアウト。
これまではラインを外すだけのキックアウト。
そんなことをしていた。
だが、
フロウ(飛翔)は、
着地も大切だという観点を得た。
波斜面からふわり外れると、
裏側の斜面に少しだけ滑ることができるのは、
あまり知られていない事実だ。
ゆるやかな下り坂。
斜面ふんわり。
そんな感じで滑走を引き延ばす。
まだ滑る。
ここまで行けた。
パドリング20漕ぎくらいは進んだと思う。
ちなみに海面ではなく、
水面下を進んでいく滑走。
惰力の方が合っているかも。
小さなことだけど、
こんなことを楽しむのもサーフィン。
Happy Surfing!!
◎