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【空海特集】青龍寺の由来をざっくり_【思想的かつ実用的なテクニック編】パドリングアウト・キックアウト_(2330文字)

紫陽花の季節ですね。

土佐市宇佐町竜163にある

『青龍寺』の本堂に行ってきました。

後述しますが、如意山で撮ったものです。

なんてすごい名前の山だと感激しかり。

ここは真言宗、豊山派の寺院。

「豊山と書いて、ブザンと読みます」

妙齢の女性が妙にうれしそうに言っていた。

本堂まで長い階段を昇っていくと、

大師堂の前で男性のガイドが、

竜の渡しを伝えたという7人の話をしていた。

まさしくそれは『井尻八人衆』の伝承なのだが、

8人から7人へと人数が変わっていた。

調べてみると、

なるほど両方存在している。

人数が変わった理由をTVドラマとかの脚本の芯にしてみようか。

ちなみにその井尻八人衆の伝承は、

弘仁年間から伝わるもので、

じつに1200年も前のことが今に残りつつも、

あまり知られていない。

こういうことが重要だったりもする。

歴史という時間の中に溶解していた片(ピース)がある。

伝承の重み。

こちらが青龍寺の本尊、

波切不動明王の石像。

空海が、

唐の恵果アジャリより両界曼荼羅を授かることができたのも、

波切不動明王のおかげなのです。

というのは、

20年ごとに航行していた遣唐使船。

入唐へ向け、大阪港を経て、

那大津(博多)から延暦二十四年 (805年)に出航した。

大嵐に遭遇し、

もはやこれまでかとなったところに出現した波切不動明王。

波切りさん、

またはお不動さんが何をしたのかはわからぬが、

きっと空海たちが乗った船をダックダイブさせて、

いくつかの大波を乗り切ったのだろうか。

機関(エンジン)などはない時代。

動力の帆と櫂や櫓を確保し、

転覆しなけばなんとかなった時代だろうか。

ちなみにこのとき4艘あった船団は、

入唐時には2艘だけとなってしまった。

生存率50%の旅は過酷である。

さて、

空海は唐で両界曼荼羅を得て、

つまり当時の世界で最も偉大なる国の仏教で、

金剛界、

胎蔵界のダブル頂上を授かった。

しかも門下生が2000人もいた恵果和尚(阿闍梨)からである。

(恵果阿闍梨の死に際し、その遺碑も空海が書いた)

本来ならそんな英雄伝説ではなく、

言葉も文化も違う日本人が、

当時の世界最大10万人を擁する土地に行き、

仏教を二十年間かけて学んで、

言葉や書、

仏具や装飾品を伝えてきたというのが通常のこれまで。

けれど、空海の場合は、

密教界で瞬時に師匠へと昇りつめていく。

魔法のようだが、

いくつかの逸話において、

この灌頂(かんじょう。仏の位になること)が公正な判定だったと感じたのが、

空海は唐の玄宗皇帝へ書を献上したことを頂点として、

数々の重要な文献を唐に残していた。

(空海は、後の日本三筆のひとり)

その大物空海は、

唐の許可だけで日本側の許可無く、

「免許皆伝しました〜」と、

18年も早くやってきた遣唐使船で帰国してしまった。

だが、日本朝廷はその対応に困り果て、

空海の入京を3年間も許可しなかったという。

その後、

空海が天皇への拝謁をすると、

(当時は嵯峨天皇)

「空海よ、どの場にでも好きなところにお前の寺を建てなさい」

そんな勅が発せられ、

やがて空海は、独鈷山の一角を示し、

「ここでございます」

そう感得し、奏上し、

弘仁六年(815)に独鈷山に寺院を建立した。

青龍寺の始まりであります。

(現在は奥の院という名となっている)

唐の青龍寺と同じ名は、

恵果阿闍梨の大恩に報いるもので、

本尊に波切不動明王を据えたと推察されている。

まとめますと、

土佐青龍寺は、

弘仁六年(815)に空海によって開基されました。

本堂のある上段が如意山。

客殿が摩尼山の麓。

奥の院が独鈷山。

この薬師如来が、

本尊の波切不動明王を奥の院(如意山)から

本堂(独狐山)に移したという伝説。

弘仁(こうにん)時代は1200年も前である。

陰陽師以前のことだが、

世の中には不動明王や如来がいて、

夜には鬼が闊歩していたと信じられていた。

いや、もしかしたらいたのだろう。

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令和の今も、

波には魔物が潜み、

人を生け贄にすると信じている。

そんなヒリヒリ感で乗る波は、

忘れたくても忘れることはできない。

さて、

ずいぶん前の千葉。

インポッシブル。

少し前に、

「勝手にポイントに名前を付けるんじゃない」

そうお叱りを受けたが、まったく解せない。

だって自分たちの遊び場に

「土管」とか、

「原っぱ」

「土手」

そう名付けているのと同じだと、

なぜわからないのだろうか?

誰が困るのだろうか。

何かと文句を言いたいだけであり、

全てに文句が言えると思っている人たちがいるのだろう。

変な世の中であります。

宗安寺のSO-ANのことをここで称えてきたが、

オーナーシェフのキヨシくんが聡明で、

いつもありがたいお言葉を賜るのだが、

「いまや日本は、平和な北朝鮮です」

そんなことを言っていた。

やたらと妙を得ていて、

さらには正しいという悲しき事実。

立ち上がりましょう。

討論会などしましょう。

論議しましょうと言っても、

相手が現れるのかどうかも不明であります。

【思想的かつ実用的なテクニック編】

キックアウト。

これまではラインを外すだけのキックアウト。

そんなことをしていた。

だが、

フロウ(飛翔)は、

着地も大切だという観点を得た。

波斜面からふわり外れると、

裏側の斜面に少しだけ滑ることができるのは、

あまり知られていない事実だ。

ゆるやかな下り坂。

斜面ふんわり。

そんな感じで滑走を引き延ばす。

まだ滑る。

ここまで行けた。

パドリング20漕ぎくらいは進んだと思う。

ちなみに海面ではなく、

水面下を進んでいく滑走。

惰力の方が合っているかも。

小さなことだけど、

こんなことを楽しむのもサーフィン。

Happy Surfing!!