どうしょうもないほど波が良い。
朝夕無風。
そして「日中はずっとオフショア」
という嘘のような夢コンディション。
長いバレルもあるし、
カービングセクション、
インサイドセクション、
岩だらけのボーンヤードエリアと通過して、
ショアブレイクまで行くと、
きっと300mから400mは乗れただろうか。
その集まるように、
ぶつかるように崩れる泡を避けながら、
インサイドセクションを抜けると、
今度はリーフの浅いバレルセクションがあり、
ここは浅いのでダックダイブの時に手をぶつけないように、
ゆっくりとコネクターを沈めていく。
そうやって沖まで戻ると、
またすばらしい明滅に乗ることができる。
そんな遙かなる波。
また今日も夜明けを見て、
そしていつのまにか太陽は彼方に行くまでサーフする。
自分のどこにそこまでの体力があったのかわからないけど、
土地のパワーを受けて、
夏に歓び、
あ、戻ってきた夏に気持ちが弾けているだけかもしれない。
でも現実は、肩が痛い、
肘だ、腰だ、ふくらはぎだとボロボロになった体だが、
こうして波乗りだけに没頭していると、
突然見えてくるものがある。
浮かぶものがある。
たった今、
『波我一如(はがいちにょ)』と得た。
はて、これはどんな意味かと自身に問うたが、
そこまではわからないので、
スーパータキビ師ヤスが起きてくるのを待ち構えて連絡してみると、
彼は少し考えた後(のち)、
「それはですね。波(全てを支配する原理)と、
我(個人を支配する原理)が同一であることを知ることで、
永遠の至福に到達しようとする思想ではないのでしょうか。
サヴァーダの究極の悟りとされています」
「タキビネコの悟りと同一なのかな?」
「はい、または自然が創り出す波こそが、宇宙原理と同一という理解があります。
それはまさしく真理でありまして、我(アートマン)は、
僕たちの身体の中にあって、実際は魂のようなものとして考えられています。
サヴァーダにおける解脱とは、
我が、全てに遍在する波と同一であることを悟ることによって、
自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができると伝えられています」
「すごいね。どこで勉強したの?」
「はい、三蔵さんのところで修行していました」
「まるで西遊記のようだね」
「そうなんですよ。僕が沙悟浄らしくて、
猪八戒がサバちゃんで、孫悟空は聖式カルちゃんとされています」
「なるほど、これで謎が解けたよ」
「何の、謎ですか?」
「天竺へ取経を取りに行く物語の大意さ」
「と言いますと?」
「天竺をさ、インドではなく、
バリー・マッギー始祖がいるサンフランシスコ、と置きかえてみたらどうだろうか?」
「なるほど、取経は経典657部とされていますが、
それをウネクネ経典とすれば、今の僕たちの立ち位置に納得がいきます」
「TVシリーズは孫悟空が主役だったけど、俺のブログは誰だろうかね」
「やはり聖式カルちゃんにもっと光を当てた方がいいかと思われます」
「三蔵に聞いてみよう」
「それがいいと思います」
Pura Vida!
◎