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【サーフィン研究所】DGPアマテラス大神_ポッツに蛸さん、ハルさん_川井さんに聞いたカラステング波発見の頃_NALU誌&Blue誌同時発売です!!_(2222文字)

Tyler Warren “ONE OFF – 2+1″ 6’5″

VEKTOR Tabs and the Famous Greenough 7.25”

Photo by @tunatunatantei

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忘れられない波に乗った。

佳い日だった。

パドルアウトすると、

弊社ナカガワがいた。

昨日は、

彼からの波情報でここに到達できたという、

いわば恩人である。

ピーク付近に(砂川)ハルさんがいらして、

ポッツのこと、

部原周りのチーム・オニール宿舎のあれこれについて質問した。

それらの返答はどれも興味深いもので、

大野薫さんのことを含めて、

あの年代に

「確かにあったけど、そこの記憶が薄れた」

という隙間が埋まった。

ポッツが数週間前に日本に来ていたとき、

ハルさんを探して、

わざわざやってきてくれたとハルさんは目を細めた。

ポッツことマーチン・ポッターもまたフレンドシップを大切にし、

そんなことも含めての一流二流のお話と、

鎌倉の先輩たちのお名前等々が出てきてうれしくなった。

さらに沖に進むと蛸さんがいらした。

お父さんの方である。

蛸さんは、

日本が誇る稀代のビッグ・ウェーバーなので、

勝浦湾のスラブ話から始まり、

その巻かれ方等々。

リーシュなどなかった時代に

「あの岬」でボードを流すと、

たいていはどこに行くのですか?

そう聞いてみる。

うねりの向きによっては、

到達地は同じですか?

または複数ですか?

そんなことを伺った。

蛸さんは、

1本波に乗ると、

砂浜にボードが付くまでキックアウトしない。

蛸さんは達人であり、

海の精霊のようでもあった。

すると、

波情報が100点を付けているのか、

人がわらわらと集まりだし、

許容人数の5倍ほどになってしまった。

具体的には最大で72名となった。

ここは5人から8人が、

ゆったりの定員のワンピークである。

これは仕方ないとなり、

沖波を待ちつづけて、

(長時間、波は来なかった)

ずいぶん経って、

自身の位置を確かめるため陸側に振り返ると、

何やら白髪でピカリと光った方が、

蛸さんと話しているのではないか。

長島茂雄さんか、

大谷翔平とか、

デレク・ジーター、

イチローさんやマイク・トラウトを例えとし、

サーフ界で言うと、

ジョンジョンとか、

ケリー・スレーターのキラキラと同じである。

タイラー・ウォーレンもキラキラ系であるし、

クリスチャン・ワックも同じである。

その「同じキラキラ」をまとっていらしたのは、

サーフ界のアマテラス大神とされる川井幹雄さんだった。

バックドア_ミッキー川井さんノースハワイ公演!!_エディ・アイカウと一緒にサーフ

川井さんには、

聞きたいことは山ほどありましたが、

やはり、

「伊豆の烏天狗岬を最初にサーフされた方」

として、

さまざまな方からその記憶を振り絞っていただいた。

これが実際に私がカラステング・ミサキ波を乗った日。

自身でシェイプした6’2″だったかな。

チャンネルにアッチーが見える。

伊豆にまた行きたい。

これはその当事者からお話を伺わなくてはならないと、

聞いてみると、

川井さんの記憶があふれるように、

そして鮮明に残っていた。

そこには、

(久我)孝男さんも出てきたし、

小川修平さん、

前述の蛸操さん、

そして堀口さん。

当時、

この波に乗る驚きたるや、

いかほどのものだったのだろう。

さらにはプレ・リーシュ時代のいろいろは、

『自転車の荷台ロープ』から発展していったとも伺った。

さらには当時の赤堤の波質の真実とは?

ヒデさんというサーファーが鴨川にいらして、

彼は、

「赤堤の沖から乗って、
マルキでプルアウトした」

と本人が多くの人に伝えるところだが、

それは、

どこまで信憑性があるのですか?

そう聞いてみた。

これは特集記事になるなと直感した。

編集者は、

ヒデさんの証言も入れつつ、

「ヒデさんサイド」として、

ページ内を25%程度囲めばいい。

サーフ雑誌の編集会議みたいになりましたが、

なぜなら今日はNALU誌、

そしてBlue誌の発売日です。

どちらも渾身かつ、

かなりドラグラ寄りの記事です。

まずはNALU誌。

巻頭は『ミッドレングス特集』であります。

ここでクリスチャン・フレッチャーが何と答えたか?

私はタイラー6ページをしたためつつ、

写真作品も15ページに渡り掲載していただいた。

さらに読み進めると、

「男の水平線」内で千葉県の寺内さんの疑問が明らかになったり、

山下達郎さんつながりではないが、

木村拓哉さんが、

ブラインさんでサーフ話をしていたのも良かった。

↑こちらがNALU誌で、

もっと書くと、

タイラー・ウォーレン特集の見出しは、

宮澤賢治であります。

こんなサーフ誌があったのだろうか?

きねといふより
一つの舟だ    
舟といふより
一つのさじだ 

美しい日本の言葉が、

サーフィンする人たちと共有できるうれしさ。

↓さて、ここから BLUE誌。

環境系の商品を扱う社がスポンサーにつき、

その特集記事というのが良かった。

サスティナブルであります。

さすがだと思いつつ、

私のコラムは変化球を交えつつのマリオ・ブラザーズで、

いわゆる渾身作です。(笑)

アンディ・ニエブレスがモデルをしていた。

かっこいい。

若き神である。

伊豆で神格化したのは、

前号のNALUに書いた。

あ、ここはブルー誌でした。

ヘア・カリフォルニアのカットコラムは、

私が撮ったトッシュ・チューダーでした。

あれ、

photo creditが安間くんになっていますね。(笑)

そんな誤植も含めて、どうぞお楽しみに!

Happy Surfing!!