ボンザーを初めて見たのはいつだったのか?
そして、
日本のサーフィン界が冒した完膚なきまでの大失敗。
この春は、
そんなことを交互に考えていた。
あの時はみんな必死だったのかもしれないし、
サーファーがサーファーを取り締まるだなんて、
思いも付かないことが起きたが、
なぜそうなったかという確かな答えは手に入らない。
とにかく戦時中のようなプロパガンダによって、
サーファーたちは、
政府を信じきって進んでいく気持ちの統一感と、
連盟の肩書きというものが持ち得る力のすべてが、
あらゆるビーチで頂点に達していくようすが、
日本中に存在するサーフブレイクにのなかに見てとれた。
千葉北などは、
サーフィンをさせないように木刀を持って見回っていたらしい。
この事実を誰も書いていないのは、
何かが怖いのだろうか。
または、
別段気にもしていないのかはわからないが、
日本のサーフ界は数十年にわたって、
特権階級を各地の誰かに与え続けた結果でもある。
これは悪しきことが、
新型コロナ騒動で頂点に達した瞬間だった。
協会や連盟は、
自分たちがサーファーたちを統治していると、
信じているのがおめでたいと言っているのだ。
サーファーが享受してきた豊かさは、
こうして統治者を多く輩出して、
他国から二歩も三歩も後退している。
いまあのときに逆もどりし、
追体験的に想像のなかでふりかえって俯瞰してみると、
世界のサーファーからは信じがたいほどにかけ離れた、
超SF的な、
ある意味では悪夢的と言ってもいいほどの、
桁はずれの同調圧力を後ろ盾とした暴力があったことがわかる。
まちがいとか不幸とまでは言わないにしても、
常軌を逸していびつな状態だったのだということを、
感染とはあまり関係ない辺鄙な地方のさまざまな報告が伝えてきた、
日本という興味深い不思議なローカリズムは、
このようなかたちでひとまずその権力の頂点をこのときに知ったのだと、
悔しいけど痛感してしまう。
本当の喜び、
デューク・カハナモクというサーファーの遠い分身があるが、
それを受け継ぐ人が少なくなった。
だが希望もある。
その分身は少ないが、
確かにいるということだ。
反面教師として、
もっとも偉大な力をいまも保ち続けているのは、
私見によれば、連盟の告知だ。
彼らのとらえかた、
ものの考えかた、
思想や行動のシステムなど、
すべてを根底から修正しなければならない事態にさしかかっても、
そしてその時が遠く過ぎてもまだ、
日本のサーフ業界はこれでもかこれでもかと、
サーファー同士ではあるまじき指令を無反省に続けていた。
その命令を受けたサーファーたちは、
犠牲者は、
ついつい、
反射的に受け手に回ってしまった。
今までのようにだ。
しかし、もう気づいている。
ではどうするか。
ここからが、もっとも重要な日本のサーフィン界だ。
追記:
サーフィンは虚空に浮かんだ架空のものだ。
すばらしい波に乗ったあと、
残ったのは、
夏の陽ざしに、
使うことのできなかったツイン・フィンだ。
もはやファンタジーとしてのリアルさの名残りと思い出。
今の私にはテイク・オフのとき、
迷いも疑いも全て捨て、
トップから漕ぎきって、
立ち上がり、
一瞬飛ぶようになり、
それからレイルが波ウォールにめり込むかどうか、
そんなスリルの名残や思い出すらどこにもないのだった。
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#みんなでサーフィンを変えていく