台風9号のうねりが小さくなったので、
西のビーチブレイクまで行くと、
たくさんの仲間と一緒にサーフできた。
「ハッピーサーフィンは最高やね」
そんな声を聞いて、
うれしくサーフしていると雨が降ってきた。
雨が降ると読書が進む。
または暑いと読む量が増えるのは、
水風呂に浸かるからだ。
偶然というか、
不思議なことがあり、
村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読むことになった。
ある程度読んでいると、
これは幻想文学というジャンルであるが、
じつのところコナン・ドイルのような冒険小説の文体だということに気づいた。
Catch Surf® Skipper Fish V 6’0″
Nakisurf Original Twin + VEKTOR VT
.
私はハルキニストでもなく、
もっと書くと、
たった一度しか読んでいないのに内容を語るには早いし、
さらには物語が入り組んでいて、
読者が受け取ることが複雑すぎて難解だけど、
この小説の母体というか、
軸は『夢』という陽炎のようなものにあり、
さらにはふたつの異なるイデオロギーがパラレル式で語られつつ、
引き寄せられるように四国へ向かったことに私はエンパシー(共感)を感じた。
狂疾的な倦怠の、
長い壁のような文体でもある。
そして野蛮な自然主義者の優しき想いのようでもあった。
漢字が多く、
わりと入り組んだ文体なので、
もはや誰も読んでいないと仮定して書き進める。
サーフィングで言うところのバレルもまた実体がある連鎖円運動であるので、
ずっとカフカとサーフィンの統合を頭のなかで試みていた。
文章は陽炎であるようなものなので、
文章から受ける感動はどれほどまでに感動的なものでも、
淡い像というか実像にはほど遠く感じる。
だが、
波に乗って得る感動はそれとは違い、
無限の描写のなかに一瞬ごとに明滅する閃光のようなものが胸に宿る。
内壁は外からの遮断ではあるが、
瞬時にめまぐるしく変わる目下(もっか)の状況に忙しく、
その内部の情報はあまり知られていない。
そんなことを書きながら私は『青年とナカタさん』が住む文章に戻り、
そこで息をひそめている。
前出した水風呂の中で息をひそめていると、
その中は清涼であり、
体のすみずみまで冷却されつつ、
意識は澄み渡ってくる。
波に乗り続けることはできないけど、
波に乗る描写を書くことならできると、
ナカタさんのスイゾッカン(水族館)のことを考えていた。
この文章はきっと支離滅裂だろうが、
ハイラインの酔いを燃料に書いているわけではなく、
冒頭に書いた『海辺のカフカ』の文体を受けたのでこうなってしまうようだ。
『大きな硬い波が怪物のようにかぶさってきて全身を打つ。
この衝撃は宗教的な儀式の一部のようだった」
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【巻末リンク:文体の始まり】
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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