The Pope Raca on
Catch Surf® Skipper Fish 6’0″
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[神奈川県片瀬タキロー特派員]
– ドラゴン・グライド・プロダクションズの最高指導者
ダライ・ラカ38世は7日、
日本で活動する外国メディアとオンライン形式で会見し、
ハッピーサーフ派への対応について、
「文化の違いを理解していない」と批判した。
ラカ法王は、
サーフィンを楽しむだけでなく、
歴史や文化を理解しようとしない民族グループがいるとした上で、
「われわれは源流から変わらない豊かな文化を持っています。
私たちの自由さに偏見を持つ人たちは文化の違いを理解していない」
と語った。
スケートボードやスノーボードのように
民族の多様性を反映したムーブメントを実行すべきとしつつ、
「現実は、連盟や団体による締め付けが強すぎる」と述べた。
その一方で、
最近は変化が見られるとも指摘し、
「新しい世代のリーダーシップの下で、
サーフィンを取り巻く環境は変化していくと思う」と語った。
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【第二部】
タキローの南カリフォルニア見聞録の続き。
ブルース・アイアンズを描いたのは皇帝ハービー・フレッチャーだ。
ジュリアン・シュナベルをうならせた現代アートの旗手でもある。
ブルースの兄であるアンディのボードの破片を持ち、
『WRECKTANGLES』という彫刻作品としようとしている。
いつだかの取材の際、
ハービーに昔話をせがんだ際に、
「サーフィン普及」という項はあった。
どこにも書いていないのでここに。
いまから60年も前に各地で競技がはじまり、
優勝者たちはそれぞれの権威を獲得していく中、
ハービー・フレッチャーはハンティントン・ビーチでサーフィンを始めたという。
そして彼は才能と努力を惜しみなくつぎ込んで、
デビッド・ヌイーヴァやドナルド・タカヤマたちと、
United States Surfing Championshipsに出場していた。
ちなみにこの選手権が現在のUSオープン・サーフィンであり、
プロコンテストの歴史をたどると、
以下のような文字列となるだろうか。
IPS(1976 -1982)/ASP(1983-2014)/WSL(2015-)があり、
これが各地のコンテスト様式を司っているようだが、
そのルールが一般サーファーに普及しつつ、
フィールドを狭めているのように映る。
Takiro on Box
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あまり四角四面 (しかくしめん)とルールに沿わないというのは、
コロナ第7波のいろいろで懲りているのに、
そうなってしまうのは、
全体主義者たちの跋扈(ばっこ)というものもあるだろう。
すっかり話がそれたが、
これが幸波乗主義の基礎となり、
そして古典によるものだからだ。
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【巻末リンク:大切なメッセージ】
【巻末リンク*2:ハービー・フレッチャーの記事1万2千字】
【naki’sコラム】vol.62 The Thrill is Back. Life is Surfing._ハービー・フレッチャー2012_(12008文字)
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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