空海思想を読んでいた。
1200年前の妄想は、
土佐の青龍寺、
そして唐の青龍寺となって散らばっていった。
空海は遣唐使だった。
唐からの帰国の際に立ち寄った福江島(五島、長崎県)の、
【明星院】に空海由来のものがあるという。
その寺をGoogleのストリートビューで見ていた。
マップを開き、
空海はこの福江港に接岸し、
川の土手沿いの東面がある山の上まで登ったのだと断定した。
空海は1200年後、
もしかするともっと長いあいだを見通して、
「ここなら自身のメッセージは後世まで残る」
そう感得していたのだろう。
海は隆起もするが、
沈下もする。
さらに浸食や天変地異をすべて含めての数千年、
という見通しだったのだろうか。
私の、
平安時代妄想は、
寺門から本堂にまで行き着き、
迎えてくれた和尚のお顔が、
なんとラカ法王にそっくりだったところで目が覚めた。
決して眠っていたわけではなく、
妄想から現実世界に法王が引き戻してくれた。
平安時代初期のことを調べはじめると、
いやはやなんとも不思議な時代だと感じている。
この後は、
平安時代中期となって陰陽師の時代がやってくる。
安倍晴明の父ごろの陰陽師は、
朝廷各人の心まで入りこめるほど、
その妖力による権力を確立した。
(巻末リンクを参照ください)
だが、
暗躍というわけではないが、
朝廷内の立場を上げていき、
「安倍晴明後、陰陽師は世襲制となった」
そう書いてあった。
ご想像通り、
世襲ではどうしてもサンプル数が足りず、
陰陽道能力の低下は著しく、
そして滅んでいく。
もし滅ばなければ、
あの占星術と感覚結集みたいな「卦」は、
この時代にも重要なものになったのだろうか?
さらに詳しくは、
ドラグラ・タイムスのコラムに書いていきます。
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【本題:サーフィンの調整法】
私にも選手時代があった。
そのときの「サーフ調整」は、
「長く、重いボードに乗る」
ということをしていた。
サーフィンは、
ラインが重要だと感じるので長めのボード。
重いボードでターンできなければターンではないと、
70シングルフィンでパドルアウトし、
重く、
硬い乗り味のサーフボードで日々サーフしつつ、
月に3回程度ある本番(コンテスト)で57に乗っていた。
(70=7フィートということなので、約213cm)
これを野球に例えるとすると、
ピッチャーが遠投で投球調整するようなものだろうか。
とにかく、
その長いボードから短いボードに戻すと、
自分がとんでもなく上手になった気がした。
The Mid-length 2+1
6’8″x 19-5/8″ x 2-1/2″
Nakisurf Original Twin-Fins
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それから35年経ったいまも、
ボードを長くするだけでなかなか思うようにならない。
ほんの少しのタイミングが合わないので、
ここでも
「レイル圧の解放」という調整をしていた。
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【巻末リンク:1万字近くあるドラグラ陰陽師編】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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