
JR上総一ノ宮駅前にあるタカラ亭は、
昭和の風合いを残す名店だが、
味と価格にもタイムスリップ感がある。
上総醤油の郷愁によって、
幼少時の真っ赤な夕陽が、
時空を超えてカットバックしてくるのだ。
ここは定食の選択に松・竹・梅とある。
上・中・並ということだが、
波にも松竹梅があったらどうだろうか。
松は、パイプラインの爆発系と、
リンコンやスナッパーロックスに代表される長い波壁を特徴とする岬波系としてみた。
待てよ、
ビッグウェーブも愛好者には松だろうし、
ケリー・スレーターのウェーブ・プール『サーフ・ランチ』も人造波のトップだ。
パーフェクトかつ長距離の岬波を模しつつ、
1本525ドルという値にもクラスを感じる。
竹は、
各サーフスポットの上質デイとしてみた。
それぞれのブレイクでの最良の潮位、
風向き、
うねりの角度と波サイズが最適なのを竹波とする。
そして梅は、サーフできる全ての波とした。
波の頻度や質によって階級分けすると、
ピラミッド型のグラフとなった。
頂点に上波があり、
さらに先端付近は極上波となるのだが、
これらの波に乗ることができないと、
頂上世界は感じられないことにサーフィンの持つ奥深さがある。
また、
この図表は、
それぞれのサーファーにもあるものだ。
松=上を自身の最高位に置きかえて、
刷新していくのは楽しい。
サーフ・スタイルとはよく聞くが、
それぞれに神も象徴もあるのが宗教と似ている。
サーファーには、
スタイル(派)と思想があり、
そこにも多勢=マジョリティ、
少数=マイノリティという図式がある。
私はマジョリティからマイノリティに転身したサーファーである。
昔は、
全体主義であり、
流行のサーフボードに乗り、
トレンドやベーシック・マニューバーやアクションを求めていた。
のみならず、
マジョリティ・メディアが伝える適正浮力の計算をしたこともあった。
けれど、
競争や全体主義は、サーフ世界には必要のないものだと悟り、
オルタナティブ派に出家していまにいたる。
閑話。
「みにくいアヒルの子」というアンデルセンのストーリーがある。
知らない人のためにあらすじを書いてみる。(ネタバレ注意)
アヒルの群れ。
他のアヒルと異なった姿のひな鳥が主人公だ。
周りのアヒルからさんざんいじめられて逃げ出すが、
他所でも異なっている=醜いといじめられる。
冬の終わりとなって、
命を投げ出そうとひな鳥が水地に行くと、
自分がアヒルではなく、
白鳥であったことがわかった…。
教訓は、
醜いとアヒルたちにいじめられても、
あとで立派な白鳥となって見返す、
という価値が逆転する爽快感だ。
このひな鳥と、
私たちオルタナティブ・サーファーが重なった。
道具でもなく思想でもなく、
クリエイティブかつ自由なこころの波乗人を私はオルタナティブ・サーファーと呼んでいる。
宇宙の根本(膨大=ビッグバンや素粒子全てを包括するもの)や、
真理そのものに向かうため、
燃え盛る炎の中に飛び込むがごとくパドルアウトし、
魂と一体となる境地を実感するために修行を積んでいる。
現実を肯定し、さまざまな迷いの雲や闇を払い、
私たちは波に向かっている。
波に乗るということは、
日常の中で非日常を感じ、
心を整える手段でもある。
この世の光と闇、善と悪。
相対的な世界を超えた何かを得る。
道徳や行動の土台となるものがサーフィンだと気づいた。
このコラムの100回目の原稿を書きはじめると、
サーフ日が1万5千日となったと記した日。
Happy Surfing!!
(了、04/15/2025)

Blue.誌の読者には、
エンスー(エンスージアスト、enthusiast、マニア以上)がいるので、
純朴かつ渾身なる気持ちで書いてきた。
毎号かかさず依頼してくれるT編集長にあつき御礼をここに。
そして最初に依頼してくれたH元編集長にも深い感謝を記したい。
「100回目なので好きに書いてください」
ということなり、
私の文体でこの稿をしたためてみた。
サーフィンとは、
秘法であり、
それを得るための修行であり、
儀式なのかもしれないと、
さらにまとめてみた。

