新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所渾身号】低気圧からの太い波_波乗道に集う_Blue.104は永久保存版_キャッチサーフの歴史2_(2270文字)

Nacky on

Catch Surf® Special Skipper Fish

.

Takibi God on

Catch Surf® Odysea x Barry Mcgee Special

.

低気圧が沖を過ぎていった。

南東から始まったうねりは東北東に振れると、

突然秒数を増した。

周期=秒数は波の裾野の太さであるので、

通過時間が1秒変わると、

正面から見た波の幅が、

たった30cmとしても何トンもの体積が違う。

夕刻に太東に行くのは、

コミュニティの確認というか、

夜行性ネコの早朝にする行動のようなものかもしれない。

他の書き方をすると、

タマサキにやってくる太東サーファーも多く、

また私たちのようにこっちでサーフすることもある。

写真は、

今回のサーフミッションを終了したムーティの晴れ顔。

ムーティは、

長野小谷村からやってきたグッド・パーソンであり、

プロスノーボーダー、

天才施術士(マウントケア。同小谷村)で私たちのアイドルとなった。

アイドルといえばリンで、

次世代ジローの呼び声高いハッピーパーソンくんちゃん。

頭脳明晰で高い身体能力を組み合わせ、

私たちの記憶に存在を強く焼き付ける10歳児。

叔父さん役のポパイ・ケイスケもスノーとサーフの哲学に魅せられているが、

彼が掲げる波乗道(サンプルT)に一同感じ入った。

ナミノリミチかぁと、

再度感じ入ると、

Blue.誌最新号が投函された。

先日100号記念のパーティに出席したばかりだが、

時の移ろいは早い。

私の巻頭コラムが今号にも掲載され、

今回は波の値段について詳しく書いている。

ぜひ一読してください。

(ケリーのウェーブプール、一本あたりの値段も調べました)

Blue, #104 Top Contents 014/ 015

今号の誌面の詳しくは、

Dream Wavesとあり、

それは美しい保存版となった。

字数をさきたいので明日以降のここで。

【新編】

総計13000字となるキャッチサーフの歴史を昨年書き上げた。

キャッチサーフの日本総代理店であるキヨモさんが数々のメディアで展開してくれたが、

独占期間が過ぎたので、

キャッチサーフを創生から知るNAKISURFの読者に公開中です。

今日は2回目をお届けします。

2.

ビーターの登場。

Beaterとは、

Beat=叩く、ボロボロにするという語に、

比較級のerが付けられた造語だ。

詳細な造語とするのなら、

beat-erとしてみるとわかりやすいかもしれない。

意訳して、

「最上級のやられ役」としてみたが、

音感も字面もC級感がたっぷりと出た。

このビーターこそがC級の名を受けているので、

あながちダサ訳ではないかもしれない。

こんなすばらしいネーミングのサーフボードは、

れっきとした商品名で、

アベンジャーズのキャラクター同様に商標登録されている。

ビーターが発売されると、

噂というか前人気が高く即完売した。

それから入荷が数度あったのだが、

どのサーフショップに行っても商品として並ぶことはないほど、

超人気商品となった。

やがて全米の海水浴場でビーターを見ない日はなくなった。

子どもたちは自分だけのカラーを持ちたい、

またはコレクションするという目的で、

キャッチサーフ社の新色や限定カラーを待ちわびていた。

このとき筆者は、

海岸近くに住んでいたので、

子どもたちが抱えているのがビーターだらけになったことを目撃している。

そのくらい普及したのは、

アメリカの沿岸に住む子どもたちは、

ビーターが打ち出した

サーフボード
スキムボード
ボディボード

それら三位が一体となった浮力体の虜(とりこ)になったからだろうと推察してみた。

私自身も海好きの子どもがいたので、

よく一緒に行っては、

ビーターで*マンライを決めたことを思い出した。

(*マンライとは、満足ライディングのこと)

子どもたちのグループに目を入れてみると、

ビーターを持っている子はいいのだが、

次点、

いわゆる「空き待ち」をする友だちが多くいた。

たいていはビーターが砂浜陣地に戻ってくる前に手渡され、

ビーターは必ず海に浮いていたことをよくおぼえている。

浮力体が足りないのではなく、

他のボードは砂浜に置かれていて、

ビーター以外は人気がなくなるほど、

熱というか、

ビーター・ライド独自の世界が創り上げられていった。

または一人でビーターを持ってやってきて、

一心不乱で波遊びする子もいて、

そんなときは自分を重ねて応援した。

時を少し戻そう。

キャッチサーフ社は、

天才富豪のジョージ・アルゼンテ(George Arzente)が、

モーリー・ブギーの首領トム・モーリーを総監督としてサンクレメンテで創業した。

2008年には、

ボディボード業界のベテラン、

ジョエル・マナラスタス(Joel Thomas Manalastas)を

営業総本部長副社長としてパートナーシップを組んだ。

次の手は、

ボディボーダーであり、

メディア鬼才で知られるクリス・モンロー(Chris Monroe)を

マーケティング全権副社長として雇い入れた。

Photo by Chris Monroe @beefs_official

これが2009年のことだ。

このクリスこそが、

サーフYoutube界を沸かせているBeefであり、

いまもキャッチサーフ本社のジョージの隣の部屋にいる。

クリスはビーターの全米PRにあたって、

あるサーファーのことを思い浮かばせていた。

それは、

サンクレメンテのジョニー・レッドモンド(Johnny Redmond)のことだった。

(3へ続く)

Happy Surfing and Happy Lifestyles!!