Cosmos Surfboards
The Glider 9’8”
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私は、
波から受けた感動によって真理を感じた。
何の真理かというと、
生きるための存在価値のようなものだ。
これまでも幾度もそんな感というか教えがあって、
迷う私を原点に連れ戻してくれた。
やはりサーフィンはすばらしい。
大人気シリーズの
COME WITH MEがロングスリーブで登場しています。
「ハッピサーフ法王が、あなたを迎えに来た」
そんな意味のグラフィック。
ちなみに千葉北の水温が現在19度。
今年はまだまだ温かい。
【新編】
総計13000字となるキャッチサーフの歴史を昨年書き上げ、
キャッチサーフの日本総代理店が数々のメディアで展開されていった。
独占期間が過ぎたので、
キャッチサーフを創生から知るNAKISURFの読者に公開をはじめました。
今日はその3回目をお届けします。
「オリジナル・メンバーの成立」
ジョニー・レッドモンド
2009年。
キャッチサーフの副社長、
PR課の部長に就任したビーフことクリス・モンローは、
海水浴場でも規制内で安全にサーフできるボード、
*ビーターの全米PRにあたって、
Tストリートのジョニーのことを思い浮かばせていた。
*(誤解を恐れないのであれば、
Beater=ビーターを破壊神と意訳してもいいかもしれない)
ジョニー・レッドモンドは、
ボディボードの上にスタンディングするというカテゴリーでは、
クリス・ワードもベッシェンズ、
アーチボルドやフレッチャーズよりも抜き出た天才サーファーとして、
そしていい奴だということで、
同じサンクレメンテ高校出身のクリスの記憶に深く刻まれていた。
サーフタウンのサンクレメンテは、
世界でもトップクラスのサーフレベルだ。
なかでもメインブレイクのTストリートは、
サーフ界では特級聖地だと断言できるほど、
たくさんのグレイトサーファーを輩出していた。
サンクレメンテというと、
ローワーズやアッパーズ、
またはチャーチがあるトレッスルズを思い浮かべるだろうが、
Tストリートは、
駐車場に近く、
優良サーファーのための密接なるファームとしての役割を担っている。
トレッスルズではない。
(著者注:トレッスルズの役割は、
自身のリミットを解放するためのサーフブレイク)
西向きの海岸Tストリートは、
トレファグラー・ストリートが省略されたものというものだと言われている。
余談だが、
Tストリートには、
他にもいくつか有力なネーミングの由来もある。
そのくらいの人気ビーチだ。
Tストリートは、
ピアを北に従え、
沖にあるシールロックと、
複雑なリーフ&サンドの海底ボトムを持ち、
ありとあらゆるウェッジや、
クロスオーバーとショアブレイクにサーファーたちは日々磨かれ、
輝かしいほどのサーフ能力を身につけていくのである。
ここで名が知られるということは、
つまりは世界レベルで知られることになる。
ジョニー・レッドモンドは、
高校卒業後はアリゾナ州にいたという。
ジョニーがいたのは、
サンクレメンテから車で8時間程度のフェニックス(内陸)だ。
クリスはジョニーに連絡を取り、
「あなたの未来がサンクレメンテにあります。
キャッチサーフに就職してサーフ三昧です」
そんな条件にジョニーは、
「海に戻れる。また波に乗れる」
震えるほどうれしかったという。
それから数ヶ月後、
ジョニーが、
キャッチサーフ社の「開発員」としてサンクレメンテに戻ってきた。
これで天才創業者ジョージ・アルゼンテと、
国際営業副社長のジョエル・トーマス・マナラスタス、
広報副社長のクリス・モンロー、
商品開発副社長のジョニー・レッドモンドという四天王が揃った。
すぐにジョニーは、
プロト・モデルのビーターに乗った。
幅が細かった。
柔(やわ)かった。
そしてジョニーは、
このプロトモデルであらゆる波に乗った。
日中を想定してオンショアでもサーフした。
元々ボディボードでサーフできるので、
ビーターのプロトモデルに乗ることは容易(たやす)かった。
けれど、
フィンレス・サーフィンというのは、
何かを抑制することによってトラクションを得るもので、
常に引き算が要求されるクロスボーディングとなる。
その引き幅を最小とすれば、
マジックボードが誕生する結末もイメージできていた。
そうなれば、
全米の、
いや世界各地の海水浴場エリア(ブラックボウル)で、
これが最強ボードとなるだろう。
ジョニーは、
このモンスターボードの制作に携(たずさ)わることができる喜びに震えたという。
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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