どこも波がなさそうだったので、
キャッチサーフのオディシーを持って、
サンオノフレに行った。
あいにく満潮で、ほとんどブレイクしていなかったが、
たまに来るセットに乗って、
どこまでもゆるやかに遅い滑走を楽しんでいたら、
ラホヤのデヴォン・ハワードがラインナップにいて、
しばし日本話をする。
俺のスポンジボードに目をやり、
彼の視線がゆるやかになったのを感じていた。
「最新鋭でなくても乗れるし、
ターンのときに制御を失うのもまた楽しいんだよね。
これが車だったら大変なことになるけど、
サーフだったらワイプアウトするだけだから」
俺たちは、そんな自問自答みたいな会話をした。
デヴォンが言うには、
この水温は南カリフォルニアでは、
35年ぶりに温かいらしい。
それでも23度くらいしかないので、
トラックス&タッパでは、
セッション後半頃から猛烈に震えて、
プチアラスカサーフトリップを味わった。
天気が悪いです。
ちょうどイトイ先生の
「誤釣生活」
という本を読んでいて、
その一節がとても印象に残り
この表紙画像の下に引用させていただいた。
(やはり文章はオフィスで書くのが一番書きやすい)
【前略】
ゲーリー氏と、私は、どうやら釣りに対する姿勢が違っていたようなのだ。
私たちのバスボートの船長であるゲーリーさんは、目的が明らかで確かである。
大きなバスを、できるかぎりたくさん釣る。
一方、私の方は、目的があいまいでハッキリしない。
できることなら大きいバスを、なるべくたくさん釣りたいナ?、
なのである。
【中略】
ゲーリーさんの釣りは、勝負であり、戦闘であり、
凝縮した人生そのものなのだ。
熱心でなかったら、死んでしまうというくらいの「すべて」なのだ。
私の釣りは、趣味で娯楽で、息ぬきで、遊びで、人生の円グラフのうちの、
ピザのひと切れ分みたいなものらしい。
【後略】
□
俺も昔はゲーリーさんのように、
パドリングの練習を半日もしていたり、
冬のハワイに向けて、泳ぎまくったり、
真剣に、命をかけて沖に向かっていた。
しかし、
いつもイトイさんのような遊び心は持ち続けていたから、
この説は、
両側から稲妻が体を貫いたように響いた。
「ゆるく軽くサーフする」
「遊びで息抜きのサーフィング」
最近はそちら側へシフトして、
それだからこそのボックスであり、
ビーターなのだと確信するのだが、
いざ波が出るとゲーリーさんのように猛烈に、
真剣に人生をかけてパドルアウトする自分もいる。
これはどちらが正しいのか。
答えはもちろんどちらも正しい。
さらに言うと、
個人プレイの極みであるサーフィンは、
極端な話、
人に迷惑をかけなければ、
ワイプアウトするのも自由、
沖に出られずに、あきらめて帰ってくるのも自由。
もっと言うと、
波の強弱や大小で、棄権しても誰にも迷惑をかけない。
NGは、
沖に流されて救助されたり、
人に危害を加えたりすることくらいだろうか。
俺はこうして遊びでやるサーファーたちも応援します。
同時にターンを突き詰めて、
膝の絞り方、
波の降下位置や意識の持ち方を気にする人もサポートします。
波乗りって、
本当に多種多様だと思うし、
あと100年後も多くの老若男女をも魅了し続けるものと信じているから。
波乗りは「生き方」。
そんなことをサーフ歴30年を越えた諸先輩センパイたちから聞くことが多いです。
旧い車がかっこいいように、
歴戦のサーファーのようにふくよかで、
幅が広い遊びとタタカイでありますようにと祈った夏の夜。
デザートを食べるのも緩い生き方の象徴だと思う。
こうして二人乗りも。
ゆるくやさしく、
楽しく、幸せに。
それではまた明日!
今日も来てくださってありがとうございました。
少しは涼しくなりましたか?
■