波は無数に、
そして今もどこかで数えられないほどブレイクしているはずなのに、
語る波、
そして語られる波というのは、
じつに少ないと思う。
世界中のサーファーが持つ想い、
願いを知らずに無垢な波は、
純粋にブレイクしていく。
波のことを表現する言葉は多くある。
漢字一文字で書いてみる。
“大小高低強弱温冷速遅奥前裏後前先底中上空…”
と止まらなくなった。
晴れた日の朝陽、または夕陽のときに波乗りしていると、
波の持つ多彩なる華麗さには驚かされる。
”うねりが持ち上がって崩れる際に放つ感動的な一瞬”を撮って、
黄昏時にワイン片手にその詳細をじっくりと楽しんでいる。
波の中にあるのは光の燦爛なのか、
それとも自分の想いの明滅なのかの加減がわからなくなってきた。
もしかすると幻想だったのかと思うのだが、
ここにこうして作品があるのだから、
現実、しかも自分が通過した一瞬には違いない。
けれど、
こうして陽が暮れてから画面で見る波は陽炎のようなもので、
ふわりと消えてしまうはかなさを持っている。
自分が消えてしまうのか、
それとも世界が消えてしまうのか。
そんな哲学的な時間に突入した頃に酔いがまわり、
そんなメビウスの輪のような思考が蒸発していく。
夜とはなんと便利なものなのだろうか。
もし夜がなければ、
この思考の氾濫はどこまでも拡がり、
そして溢れきってしまうのだろう。
感じるのは”波に乗りたい”ということ。
朝よ来い。
夜明けがやってきて、
俺の胸を猛らせてほしい。
そんなことを考えていた。
沈思や白想の夜の向こうには壮烈で、
昂揚なる朝がある。
そんなことを知ったのが、
奇しくもサーフィングと出会って31年目の日。
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