こんにちは、
関東地方は積雪だそうですね。
春に向けて季節は進んでいるようです。
先ほどノースハワイの写真ファイルをバックアップしていたら、
手つかずのフォルダーを発見し、いくつかの作品を得た。
これがその一枚。
朝陽のふくよかさ、ノースハワイの美しさ、
そしてイナリーズ波の重さが表現できている気がします。
波写真は大好きなので、
こういうものを自分で撮ることができる、
そしてここにいた幸せを感じていました。
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これからしっかりとCOLEサーフボードの話をします。
なぜならば、
今日はオーバーヘッドのグラブルズで、
COLEのカーブボールに乗って、
まるで夢のような完璧なセッションを得たからです。
そして、コールとの出会いから、
自分がサーフィングを始めたときまで記憶は鮮明に蘇り、
そしてそれがたっぷりとあふれてきたのです。
それでは、書き始めます。
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1980年になりたての頃、
私はサーフボードで、波に初めて乗った。
確かその頃はロングボードというものはあまり見ず、
「ほぼ全員がショートボード」
という時代だったのだろうか、
誰もがショートで、
そのチョイスもショートボードしかしなかった。
これについて、
アメリカではどうだったのかを確認したかったので、
ハービー・フレッチャーにインタビューしたときに聞いみると、
「あの頃はな、みんながショートボードに乗りはじめたんだ。
あのドナルドでさえだぜ。
ファー!それならオレはロングにこだわるぜ。
しかもロックンロール系で激しいのでな。
そんなことを決心した時代だったね」
こんな答えが返ってきたのを思い出した。
ドナルドとは、
故ドナルド・タカヤマのことで、
ハービーたちは創成というか、
サーフィング時代の膨張というか始まりを見てきたのですね。
そのハービーの一万字越えのインタビューは、
こちらのリンクからどうぞ↓
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/42772
Thrill is Back. Life is Surfing._ハービー・フレッチャー2012
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昔のサンクレメンテ写真を探すと、
デルマー通りから手前がオラビスタ、
そしてエルカミノ通りを見上げているものを発見しました。
山の上には一軒の家もない。
今度この位置から同じように写真を撮ってきますね。
車が詳しい人ならこの年を推定できるのでしょうが、
私はそこまで詳しくないのですが、
銀行のロゴやお店からきっと1960年代と推測してみました。
ハービーは、
こんなゆるやかな時代からアバンギャルドを貫き通し、
『そして今なお輝き続けている大師範』
だということに感動させられてしまった。
話を戻すと、
私が波に乗り始めて
ーーその1980年代からずっとショートボードに乗ってきた。
ちょっと前に
『フィッシュデザインから派生したミニボードブーム』
が自分にやってきて、
ごく最近にロングやミッドレングスにも乗るようになり、
先日「ショートボードの究極」
という触れ込みのライトニングキッカーに乗ったら、
その扱いやすさ、速さ、激しさに驚かされた。
その動画はここにあります。
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そして、
初めてコールボードに乗ったときのことを思い出していた。
1996年のことであります。
いつもマジックボードというものを探していた。
そのマジックボードが見つかると、
またさらにその後継を探していた。
当時はシェイプデザインコンピューターも、
マシンカットという概念もないから、
全てがハンドシェイプだった。
テンプレットでアウトラインを描いて、
ノコギリでクラークフォームを切りだし、
それからプレーナー(電気カンナ)で剥くように削っていた。
削りすぎないようにキャリパーという厚みの計測ハサミと、
テープメジャー、
そしてルーラーと呼ばれる金定規が頼りだった時代。
その中からすばらしいシェイパーは、
ことごとくマジックボードを誕生させて、
そうでないシェイパーは、
マジックボードの現れる日を祈ってブランクスと格闘していたのだろう。
さて、
私にとって、
コールのマジックボードと出会うことは突然始まった。
彼への最初のオーダーボード。
今では考えもつかないが、
私は1990年代にPSAA(現在はASP/USA)
というアメリカプロサーフツアーがあって、
それに参戦していたときに知り合ったジョー・マクナリティ、
そしてディノ・アンディーノ(コロヘのお父さん)たちが口を揃えて、
「世界一のショートボードを削るのがいる。
彼はちょうどサンクレメンテに戻ってきた。
一度でいいから彼のボードに乗ってみろ」
そんな案内と賛辞があって、
彼らの計らいで5’10″をオーダーした。
今思うと、それは現在で言うHPSだったのに違いなく、
スキップ・フライではないが、
かなりの時間が経ってから完成して、
ありがたく受け取り、
ボードキャリア付きの自転車でトレッスルズまで降りていった。
アッパートレッスルズの長い斜面の奧からそのボードに乗ると、
その比類ない速さと、切り返しの愉快さに驚かされた。
伸びるターン、その足へくっついてくる接着力は、
永遠に感じられるほどの熱いセッションだった。
「もう1本、もう1本」
と中毒的になって上がれなくなり、
予定よりも3時間も遅れて上がってきたときには、
干潮の玉石を踏みながら、
これこそがマジックボードの中のマジックボードだと感じ、
駐車場からコールのシェイプルームに直行し、
その興奮と感動を伝えに行ったことがまざまざと思い出された。
あれから20年近くの時が経つけど、
コール自身は何も変わることがなく、
ただサーフボードシェイプの究極にたどりつこうとしている。
「ライアン・イングルやタイラー・ウオーレン
という新進気鋭のシェイパーが出てきていますが、
それについてはどう思いますか?」
という質問を浴びせてみると、
「サーフボードで大事なのはフォルムとデザイン、
そしてラインなんだ。
才能ある彼らから学ばせてもらっているけど、
自分にできるのはこのラインをさらに突き詰めていけば、
きっと究極があるだろうし、
そこに行き着いたらまたさらなる高みもあるだろう。
とにかく体が動かなくなるまでシェイプし続けて、
ひとつの究極を得たい」
そんな熱い言葉が返ってきた。
それを聞いたとき、
自分が閃いたり、煌めいたり、
または昂揚するのかと思っていたけど、
そうではなく、
ただ淡麗な満足感が足の下からやってきて、
全てを満たしていくような感覚となっていった。
コールシェイプが今なお完成を求めていること、
そして今が2014年ということを確認すると、
小さな電撃を受けたようになり、
期待と決心、そして希望にあふれてきた。
たかがサーフィング、
つまり波に乗ることだけど、
真剣にやってみると、
サーフボードには深い世界があります。
A man who works with his hands is a laborer;
a man who works with his hands and his brain is a craftsman;
but a man who works with his hands and his brain and his heart is an artist.
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上記した本日のソルトクリークに行くと、
孤高の写真家デール・コベティッチがいた。
デールはめったに外に出ないので、
こんなところで会えたのは、
天才マックスが呼び込んだ偶然だろうか。
彼は自作RCヘリコプターを飛ばして、
ソルトクリークとグラブルズを空撮したのだそうで、
これがその彼の作品です。
photo by Dale Kobetich 2014
グラブルズは右側に見えます。
今日吹いていた南東の風はサンクレメンテだと横風ノーグッド。
ソルトクリークならほぼオフショアというコンディション。
この風の強さと向きが、
ノースハワイのトレードウインドみたいで、
かなりうれしいセットアップとなった。
昨日の夕方から届き始めた新しいうねりが幾方向から入ってきて、
いくつもの美しいピークを作っていた。
photo by Dale Kobetich 2014
そして終了してみると、
これまでにないほど完璧なセッションで、
無傷も無傷、
どこにも傷も、
ワイプアウトもないセッションでした。
マックス、ロボ、そしてアンディにありがとう。
そしてこれはみんなのセッションでもありました。
バレルこそING、
つまりサーフィングの究極だと思います。
全てにありがとうと感じている寒い夜です。
さあ、今日はお酒を飲むとしよう。
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