ウナクネ。
これはウナギクネクネの略であります。
詳しくは下記のリンクにあり、
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/58069
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/53497
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/56620
さらには紙媒体ですと、
名書カラーズマガジンのコラムにある
『カラーズマガジンに捧げるウナクネ曼荼羅』が詳しいです。
ウナクネを簡単に要約してみます。
まずは私たちのしているサーフィングは遊びではなく、
徳を積む修練であるということ。
さらには、
「たとえ成仏したとしても、
さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが本質なんですよ。
大切なのはお釈迦さまにならい、
ただただひたすら波乗りにうちこむことが最高のこと」
これは昨年の12月、禅師が発せられたお言葉であります。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/59782
つまりウナクネ流派では、
サーフィングの時にボードを傾けて左右前後上下することを、
単なるターンではなく悟りだと定めている。
そんな流派。
そのリーダー、つまり総帥であるアレックス・ノストは、
誕生されたときに右手でサイドフィンを示し、
左手でセンターフィンの形をなぞらえ、
「天上天下唯BONZER独尊」
と話したとされている。
「これは全世界でボンザーが一番尊い」
と広く解釈されているが、
じつはこの場合のボンザーとは、
サーフボードのシステムではなく、
「ボン=梵、ブラフマン:宇宙を支配する原理」
「ザー=3、参。欲界・色界・無色界の三界」
ではないか、というのが最近の学説に多く見られる。
総帥は16歳で解脱、
それからというもの常に一切智智を備えたクネリ(瞑想)を積極的に行い、
世界は空(くう)、つまりウナクネであると観ぜている。
そのウナクネを観ずる修行法は、
それぞれウナクネ三昧(ざんまい=サーフィングに多くの時間を割くこと)、
無相三昧(寛大な心で衆勢と接し、COOLを貫くこと)と、
無願(無作=多くを望まない、ターンの数を減らす)三昧とを伴い、
この三三昧を三解脱門(さんげだつもん)という導きで後世に伝えようとしている。
簡単ではありますが、
これが一切の衆生を済度する教え(ウナクネ式)なのです。
このことを受けて、大正時代まで徹底されていた『最高敬語』を用いて、
今日のことを書いてみました。
総帥親しく教会岬を北越に巡幸し給う弐百五拾四度の西南西波に光輝を放ち
万民為に輪廻を祝う時は
平成弐拾七年弐月七日鳳凰をこの地に留めさせ玉ひて畏くも真鰻捻を行在所充て玉ふた。
波方には光照の近境悉く梵参の矢来を廻し各所に御友人を置きて
一面夕陽を照らし浄め総帥を待奉った。
午後四時過ぎ、総帥は龍顔麗しく教会岬にお着きになった。
(中略)総帥には本波にお出ましまして空なる成仏の火を点し、
総数里に亘る滑走を御自作された御召板で天乗あらせられた。
御聖情の厚き畏くも有難い行幸ここに。
総帥はこの朝にはリンコン岬に行かれていたそうで、
その帰りに教会岬という総距離480kmの岬移動。
双頭岬日。
総帥自ら製作されたというボンザーが眩しい。
タイラーの幼なじみのシェーンはロングジョン。
(私はネックエントリーにブーツなのに)
寒くないのがすごい。
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ウナクネ流派の究極の悟りを得た。
「梵我一如(ぼんがいちにょ)ターン」
これは梵と我(アートマン:個人を支配する原理)
が同一のときに出現するとされている。
これらが同一であることを知ると、
永遠の至福に到達するとされている深き滑走。
ディーン・シンプソンは、
ウナクネ流派の門を叩きに南アフリカから聖地礼拝にやってきて、
この無願三昧10(むがんざんまいTEN)を。
ウナクネ原理、真理の解脱とは、
『実体としての宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ること』
そのことによって、
波乗りは自由になり、
あらゆる苦しみから逃れることができるとある。
最近のメディアではウナクネのことを
「オルタナティヴサーフ」とマイルドに表記している。
しかしこれは思想や行動だけで、
行為を超越する段階に達するには至らないとされている。
私も特定の師匠(グル)=総帥に弟子入りして、
聖典ウナクネを学習する時期のようです。
それは夢、心と業(カルマ、karuman)の宿命を求める旅になるかもしれません。
ウナクネ万歳。
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