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naki's blog

私の波乗りの歴史_第2編_サンクレメンテ近況_(3026文字)

昨日書いた

前編からの続きです。

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ホンセンに

そのシブヨセンを無事に通過した私は、

念願のホンセン(本戦)に出場資格を得た。

これは日本のどこかに予選を通過したサーファーたちが集まって、

それぞれの年齢別の日本一を決定するというのである。

会場は東京都新島、期間は8月21日から25日まで。

そう書かれたパンフレットが送られてきて、

その後半部分にあった予選通過者の覧には、

私の名前がセンパイや友人たちと一緒に印刷されていて、

それがじっとりとうれしく、

藤沢駅丸井地下にあったシュクリアというカレー屋で、

普段はレギュラーなのに大盛り70度を食べるほど浮かれていた。

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他の支部の予選通過者を見てみると、

クゲヌマや辻堂で見かける宇宙的なサーファーだった勝又さんの名前もあった。

彼が優勝候補の本命であろうと、

大井町競馬の予想屋のような気持ちとなり、

私がバイブルとしていた『サーフィング・ザ・マインド・コントロール』をめくり、

カカイさんのレイバックを練習しつつ、

デビル西岡さんのスケートボード流の練習も怠らなかった。

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新島の波に乗る

東海汽船は人やサーフボードを満載して、竹芝桟橋から遠く新島を目指した。

船内はどこに行っても人があふれていて、

ありとあらゆるところで酒盛りが始まっていた。

船旅が苦手な私にとって、

その環境は島流しのような旅で、

すぐに気分が悪くなってトイレに行くも、

同じ境遇の人がたくさんいて、

「吐きたくても吐けない」

そんな長い夜を通過して到着したのは、

信じられないほど透明な青い海だった。

ここは日本なのだろうか?

疑問符をつけながらたいそう感動して、

楽園という言葉を連想して乗った腰胸の波。

透明なガラス世界のようなチューブらしきものに入ったり、

まだ上手にできなかったダックダイブ(ドルフィンスルー)の重要性を感じたり、

そんな夢気分で食べるかじやベーカリーのコロッケパンのおいしいことといったら、

VIVA新島!

そんな気分であった。

羽伏浦

そのホンセンのヒートを勝ち進みながら、

大会三日目となった。

次のヒートのメンバーを確認してみると、

今も交流もある鈴木直人さんがいて、

そのことを思うと、やはり不思議な示唆である。

大会期間中は宿から少し離れていて、

自分たちで車を運転できなかったので一日中会場付近に、

つまりブレイク周辺にいることとなる。

各支部のテントは、

羽伏浦の崖状のビーチの上に設置されて、

それはまたそれぞれのホームブレイクに拠った基地の意味合いも強かったように思える。

そのテントの下で真夏の太陽から逃れていると、

不良先輩たちがぞろぞぞろとやってきて、

「お、ノリに乗っているフナキくん、ついに年貢の修め時だね。

次は伊豆の鈴木くんと同じヒートだぞグフフ。負けて当然だから思い切ってやってきなさい」

そう言われるほど、直人さんは当時から名を知られていた。

さてさて、そのゼンニホン大会のオオトリは、

個人種目ではなく、各支部対抗のパドルレースだった。

各支部から選出された5人は、

200cm以下のサーフボードで、

およそ150mほど沖に設置されたブイを廻って岸に戻ってきて、

リレー競技で雌雄を決するというものだった。

普段から長距離パドリングの練習をしている私にとっては、

こんな最高の競技があるのか!

そう感動しながらこの選手として立候補したのだが、

他の選手は疲れるからか、

誰もやりたくないようで、

いつものように不良の先輩たちが年下を指名して残りの4人が決められた。

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パドルレース

いよいよパドルレースが始まった。

私は立候補した手前もあるので、

先頭パドラーとしてブイに向かうことになった。

2m近いボードは大きく、

「パドルレースだから(ワックスは)いらない大丈夫だ」

そんないい加減な先輩の言葉がなぜか採用されて、

ワックスがあまり塗られておらず、

規則でリーシュは着用するべからずだったので、

レイルとデッキがやたらと滑って、パドリングするのはもちろん、

ダックダイブの際は、それは真剣にボードを沈めていった。

ショアブレイクを飛ぶようにゲッティングアウトし、

全てのストロークを全力でパドリングし、

さらにはセット波を喰らわなかった幸運もあり一位で戻ってくると、

あれだけやる気のなかった先輩たちが突然盛り上がり、

「お前、抜かされたらわかってるだろうな!」

そうやって次の選手が気合いを入れられて、ずっと一位が続いていった。

結局、アンカーが平塚支部と茅ヶ崎支部の遠藤くんに抜かれたが、

わが鎌倉支部はなんと上位入賞を果たし、

それは不良先輩たちが、

「パドルレース、かったりー」と言っていた弱小支部としては、

歴史上とても珍しいことのようで、

先輩たちに海の家でごちそうしていただいたのはかき氷の宇治金時。

そのおいしさは人生最高のものだった。

それから支部でのパドルレース熱が高まり、

誰を4番手に、

そしてアンカーにするのかを箱根駅伝のように談議されていった。

常に私は先頭パドラーであって、

確かこの3年後に悲願の優勝を果たし、

さらには支部優勝をしたのだから、

一生懸命やることは重要だと再確認できた全日本選手権でありました。

さらには私の新島熱が高まり、

時間が空けば伊豆下田港から火木土と直行便が出ていたので、

足繁く通ったことを思いだした。

夏休み期間以外は、

コンテストがなければ、サーファーは全島で20人以下という少なさで、

強い波に乗るにはこれほどのブレイクはなかった。

公民館で無料で使用できる卓球の腕をあげつつ、

さらには低気圧通過時の雨の日に一人だけで乗った得体の知れないほど恐ろしい波も通過し、

私の波乗り魂はこの島で燃やされ、そして磨かれていったのであります。

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全く終わる気配なく、明日に続きます。

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サーファーズ・ジャーナルに行った際に、

サーフ写真家では、

アート・ブルーワーと双璧をなすジェフ・デバイン大先生がいらした。

先生が1970年代に撮られたBlue誌最新号に扉&見開き掲載された

このワイメア岬ページを指し示し、

どのように行けば、ここにたどり着くのかを親切丁寧に教えてくださった。

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NATION工場でのデイブ・ネイラー。

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Seeaのデザインオフィス。

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こちらもSeea。

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春物、入荷しました。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/51444/51445/list.html

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少し前のことになるが、

キャッチサーフのディナーミーティングが、

国際営業部長のジョエル・マナラスタスとあり、

「どこでもNAKIの好きなところでいいぞ」

そう言うので、

迷わずアーバインの韓国焼肉食べ放題に行った。

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「よし食べるぞ」

そう思っていたが、

最近食べ過ぎると調子が悪いので、

腹八分目で抑えられたのは、

そろそろ自分も大人になってきたからだろうか。(笑)

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それではどうぞすばらしい週末をお迎えください!

今日もNAKISURFにお越しくださって、

そして長い文章を読んでくださってありがとうございました。

歴史編、どこまで続くのかが自分でもわからなくなってきました。

記憶をたどるのって楽しいものですね。

Have a great weekend!!