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【特大号】サーファーのジェンダーフリー化を_”I shall be released”_(4167文字)

Tyler Warren

■サーファーのジェンダーフリー化を

良く聞くことがあって、

「ショートボーダーは強くてウナクネは弱いんだよね」とか、

「ショートボードでないと波乗りとは言わない」と聞くようになりました。

そういう価値観を語る人がやってくるたびに「違いますよ」と解除しています。

おなかが減るのにショートボーダーもウナクネ式の人が関係がないように、

悲しいやうれしいにロングボードもウナクネも関係がない。

強い弱いにローカルやウナクネは関係ない。

その時、余力のある人が弱っている人を助けるだけ。

ローカルでも弱っている人がいるし、ウナクネでも強い人もいるよ、と。

Christian Wach

■ウナクネはアプリみたいな存在

日本では、

サーフ界のOS(基本ソフト)がショートボードだとしたら、

ウナクネはアプリみたいな存在。

小さい頃からそういう構図が内面化されつくしていますよね。

例えばフィンレスをするにしても、

私が言われたのは「変なことをされたら困る」と。

Chiba Katsuura, Yesterday 10am

.

その意味がよくわからないので聞いてみると、

「ここはローカルが守っている場所だから変な波乗りをされたら困る」

ということでした。

さらに意味がわからない。

守っているというのは、

サーファーや海遊びする人たちが団結して、

行政が意味のわからない堤防や津波対策の壁を付けないように

埋め立てや、わけのわからない護岸工事をされないように

そういったことに立ち上がり、

署名集めをしたり、

行政の説明会に出席し、

レジャー側からの意見を述べたりする立場であり、

ビジターサーファーが危険ではないようにしたり、

正しいマナーと、

サーファーのあるべき姿を示すことだと思います。

こうして活動しているローカルサーファーたちがたくさんいます。

そうやってローカルサーファーとしての尊敬を集める一方で、

いまだに武闘派というか、

そんな腕力で制圧している人もいて、

ローカルサーファー=怖い人たちという見え方もあります。

本来は、

「今日は流れが強いから気をつけてね」とか、

「初級者の人はこちらの堤防周りは沖に吸われて危険だからあそこがいいですよ」

「その前はエイが多いです」

そんな知識を伝える立場のサーファーだと思います。

または怪我した人がいれば、助ける。

そして良い救急病院に連れていく、または教える。

流された人を救助するということをしている人が真のローカルで、

本来は全員が敬われる立場なのに、

その立場を先取りだったり、

良いところ取りをするから怖がられるのでしょうか。

この発言、「変な波乗りをされたら困る」の根底には、

「自由=波乗り」

「個人主義=波乗り」という図式だったのに、

あるフィールド(サーフブレイク)上では、

学校指定の体操着や上履きの色のように

サーフボードの形やウエットスーツの色、

または形がローカルたちに指定されているように感じるときがあるからです。

以前言われたのが、

みんなウエットスーツを着ているのにトランクスでサーフしていたら、

「上手いからっていきがるんじゃねえ」

そんな言いがかりを付けられました。

聖式カルちゃんによると、

「あそこは言いがかり係がいるんですよ」

そんなことになっている。

その言いがかり係を数人擁するボスは私に

「海はみんなのものだから君たちがここでサーフしようと自由だが、私は反対だね」

そんな理不尽なことを言って、私たちを凍り付かせました。(笑)

またあるときは、

「楽しそうに波に乗っていた」とか、

「みんなと違う動きをしていたから」と叱られる。

そのとき叱られるのなら、反論のしようもあるけど、

半年後とかに他のことと重ねて言われると、

頭の中がススで真っ黒になってしまうようです。

話が逸れました。

ウナクネ式にはなぜ主体性を与えられないのだろうか?

これでは自由に波乗りをするだけで駄目だと否定されているようなものです。

私たちウナクネ派の夢は、

自由なスタイルや好きなボードでみんな楽しくサーフすること。

誰に聞いても「競争で一番になる」とは言わなかった。

でも、

私がそういう違和感を言語化できるようになったのは、

50代になってからでした。

■ショートボードとウナクネのフェアネス

ほぼ毎日波乗りをして30年数年経つけど、

昔と同じでまだまだ同じようなことが繰り返されているんだなあ、

と改めて感じています。

最近は、タイラー・ウォーレンもフィンレスをするし、

SEEAのカリナ・ロズンコみたいに女の子でもハングテンというのもあるから、

スタイルフリーを意識したようなものは出てきている。

でも、やっぱり「ウナクネはダメ」みたいなことをよく聞きます。

薄いボードに乗って、セットの波を待ち、

波の斜面をギザギザやって、真剣にというのが主流で、

彼ら側から言うとそうでないと波に乗るのはNGのようです。

競争でないのだから、

勝負ではないのだから、

サーファーに強い弱いはないだろうと、

これは解除しても解除しても、モグラたたきのように終わりがありません。

今の社会で言えば、多くのサーファーが多勢のシステムの側にいます。

つまりショートボード側からの意見が主流となります。

主流だからといって、

自由さの芽を摘み取っていいのでしょうか?

なので、私のブログはもちろんですが、

対談等でも

ショートボードとウナクネのフェアネスということは徹底して伝えています。

先日、

「ショートボーダーとか、ロングボーダーという言葉を使うのはやめよう」

とコラムで書きました。

サーファーは全て対等な関係であるべきなのに、

なぜ属性を表す言葉がいまだにこんなに使われているのか、と。

コンテストで勝ったとか、有名だから、

ボードやウエットスーツのブランドだとか、

サーファーが住んでいる場所は関係ない。

サーファーに主従の構図があるのはおかしい。

ショートボーダーとかロングボーダーなんて呼ばず、

さらにはローカルなんて言わずに、フェアであるべきです。

でないと、

もしそのローカルが守っている場所が護岸工事等で、

波に乗れない場所になる計画があっても、

阻止するための署名にはみんな参加してくれません。

「普段は来るなと言っておきながらこんなときだけ私たちというのはおかしい」

ビジターたちからそんな声を多く聞いてきました。

■まず呼び方を変えよう

「呼び方なんてたいした問題じゃない」と言う人もいる。

でも言葉って本当に大切です。

サーファーでも「ショートボーダー」とか、

「ローカル」とか呼ぶようになってきた時から、

ローカリズムとかそういう関係が作られたのだと思う。

「なんだビジターか」とかと呼ばれていると、

そういう関係性が内面化されていく。

だから言葉の力を馬鹿にしてほしくないんです。

しかしビジターも海のことを良く知って、そして学んで欲しい。

誰がきちんと波に乗れるのか、

そうでないのか見極めて一緒にサーフしないと、

誰が乗ってきても一心不乱にテイクオフして激突しているのを何度も見てきています。

そんなのは初級者だけにしていただきたい。

10年サーフしていても、そうやって心が初級者の人が多いです。

もう2017年なのだから、

これまで当たり前に使われてきた言葉の賞味期限を見直したい。

「テクニック」なんかも、

波乗りを商品にするための言葉としか思えない。

■サーファーは解放されるべき

最近はこうした違和感をSNSで共有できる。

自分の考えを言語化したり、その守り方が分かったり。

まあ炎上しないようにね。(笑)

じつはそれはすごくいいことだと思っています。

とにかくウナクネの人たちには、

何かおかしいなと思ったら

「その違和感を言語化して考えて」と伝えたい。

自分の人生を作り上げていくのは自分自身。

主体性を持って生きて欲しいです。

「変なボードだから」なんて主流ではないことをたてにとって、

ウナクネを差別しないで欲しい。

「サーファーの格はコンテストの成績」とか言うのもやめて。

自分の人生は自分で決めるもの。

なので、サーファーのスタイルはその個々が決めるものでありましょう。

そんなふうに全てのサーファーにひとりの「人間」として話をしてほしい。

日本ではなぜか否定的にとらえられることがあるけれど、

私はウナクネニスト。

専門的な教育を受けたわけではなく、

自分で学んでたどり着いた自分の立場だと思っている。

ドノバン大先生が言った

「性差別主義者でない人はみんなウナクネニストだ」

という定義に賛同します。

ショートボーダーも「人よりも強くターンしてやれ」とか、

「これで何点付くか」とか、

「ぼくの適正浮力は31.1CL」

「これじゃドルフィンできません」

ということから自由になってほしい。

競争に興味のないサーファーだって、

勝手にサーフしたい人だって、当たり前にいる。

サーファーたちは、

望んでいない「主流らしさ」から解放されるべきだと思います。

ボブ・ディランが1967年に書いた楽曲に

I shall be released(自由になれる)というのがありました。

I shall be released
俺は自由になれるべきなんだ

They say ev’rything can be replaced

どんなものも替えられるって言うけど
Yet ev’ry distance is not near

全てがこんなに遠いのはなぜだろう
So I remember ev’ry face
Of ev’ry man who put me here

だから俺はみんなの顔を覚えておきたいのさ

この世をこんな風にしたすべての人の顔をね
I see my light come shining

俺は光がやってくるのを見た
From the west unto the east

こうやって西から東へ
Any day now, any day now
I shall be released

今すぐに、本当に今すぐ

俺は自由になれるべきなんだ

それから50年経っても人は、ウナクネ式サーファーたちは、

そのときのディランと同じように悩んでいることで、

この意識の根の深さを知りました。 (聞き手・瀧朗)

JAMIE O’BRIEN LOGS PIPE from Catch Surf® on Vimeo.