新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所特大号:炎上承知の真実】波乗りとは、サーフィンとは?_(5382文字)

Tyler Warren 1973 Bonzer

Amami Oshima

.

これは少し前の台風からのうねり。

それにしても冬によくもまあ、

ここまでの波が立ったと、

今さらながら実感している。

「最大風速75m」

猛烈激風を発生させた台風2号からのうねりが、

この奄美大島の沿岸に向かってきていて、

結局は5日間くらいのグレイトサーフデーをもたらせた。

これは今日。

良く晴れて、

この4日間は快晴と呼べる時間が多くなった。

奄美大島はすっかり春模様、

もしかしたら初夏そのもの。

バックドア・リーフのゴジラさがここに写っている。

ここ奄美大島では、

レンタカーのキャンパーバンを作るプロジェクトをしている。

お題は軽バンのスズキエブリィ。

蚊帳風のネット、

そしてかなり快適なベッドが完成した。

話は変わって、

明治15年に柔術から柔道となった由来の講道館の話を読んでいるが、

当て身もあるし、

沖縄で発生した手(ティー=唐手、空手)や

ヤマト式合気道(後の大東流)、

そして殿中秘伝であった御式内までも内包した柔術。

つまり投げだけではなく、

殴る、蹴る、締めることが出来た総合格闘技だった。

明治という時代は、

それぞれが柔術で命をかけて戦っていた。

姿三四郎のモデルとなった西郷四郎や、

横山作次郎などは異常に強かったようだ。

その柔術の頂点に達していた講道館柔術が、

前田光世(まえだ みつよ)という柔道家を輩出した。

彼は、

1904年に柔道使節の一員としてアメリカに渡り、

メキシコ、ヨーロッパなどを経てブラジルに行き着く。

コンデ・コマ(Conde Koma)というリングネームで、

生死をかけた真剣勝負を2000戦勝無敗、

「人類史上最強の男」となった。

前田がカルロス・グレイシーに柔術を教えたのが1917年。

ブラジリアン柔術の萌芽である。

長くなったが、

クラシックの寵児であり、

古代サーフィンを今に融合させたジョエル・チューダーは、

前田光世が伝えた史上最強の柔術、

そのワールドチャンピオンである。

そのジョエル相手に、

「例え彼でもノーリーシュなら殴る」

そう豪語する人が日本にいるようで、

調べてみると、

武道家ではなくサーファーだった。

とにかくノーリーシュが嫌いらしく、

なぜこんなことが彼に触れるのかが全くわからない。

(アレックス・ノストから聞いたが、鵠沼にも変な人がいるらしい)

そのことを発端として書いたのが先月号のNALUの私コラム。

まずは、

「なぜジョエル・チューダーがノーリーシュを善しとしているのか」

ということについて誰も何も考えていないのではないだろうか。

同様にJOBがバックドアでリーシュをしていないことに、

どこかの波情報サイトが触れた途端に炎上していた。

「リーシュしろよ」

「危険だ」

サーフィンを少し知っていて、

海がどこにあるか、

ノーズやフィンの位置がわかる程度のサーファー風の方はそう言うが、

バックドアでボードが流れてくる場所からパドルアウトするサーファーは皆無だし、

そんなところでゲティングアウトしたら、

それこそ笑いものとなる。

バックドアでボードを流すと、

パイプラインからププケアに流れ出る強烈なカレントを泳ぎきらねばならない。

そんな凄腕サーファーが、

そんなところでサーフィンをしているのに

「ノーリーシュだから残念です」

自分のルールを持ち出して尊敬できないのはどうも変だ。

真木蔵人さんのTV番組(アベマ)でも

「リーシュしろよ」そんなコメントが目に付いた。

そのサーファー風の人は、

「リーシュしろよ」

というのを、規則だからと言って

「メガネ着用」

「シャツのボタンは上までしろ」

「唐辛子を50gかけろ」

「寝るとき帽子かぶれよ」

これが正論だと、

世間は自分の味方だと、

上から目線でそう言ってくる。

もし上記のことが規則だとしても、

見ず知らずの人にそう強制していることに等しい。

まあ、

そのくらいノーリーシュの人が、

平気でボードを流しているという背景もあるのでしょう。

冒頭に書いた史上最強の前田光世の2000戦無敗ではなく、

3本に一回は蹴り出してボードを流して、

照れ笑いというのがリーシュ派には気に入らないのでしょう。

NALU誌の人気連載『男の水平線』では、

著者小川徹也さんは、

リーシュをしない派=オーシャンマンたちの立場を代弁し、

「俺たちはボードを流さない」

「お前らと一緒にするな」と書いていたが、

まさにその通りであります。

サーフィンは真剣勝負です。

もしも、

もし流したら命がけで泳ぐ。

他のサーファーはボードが流れてくるところでパドルアウトするな。

同じことがいつかの逗子サーファーズ岬で話題となった。

ここでサーフィンはするのは良いのだが、

同じ位置で波が崩れるポイントブレイクなのに

どこでパドルアウトしていいかわからず、

他のサーファーを妨害する箇所でパドリングしている。

20m横、

チャンネル側にずれたら、

ダックダイブの必要性は皆無というほどのパーフェクトブレイク。

簡単に言うと、

交通量の多い国道等で歩道ではなく、

車道を這っているような危険なサーファーたちが、

「ボードが流れてきて危ない」

「規則を守ろう」

と言っていることもわからない。

規則というか、

波の大原則すらもわからないで、

目上の人に正論だと思って挑んでくる。

下手をするとこういう人に殴られる。(笑)

同様にこの話になったときに、

「保母さん帽をかぶり、

クロックスを履いて浜ぎりぎりまで足を保護しつつ、

少しでも無理だとボードを蹴り出す軟弱サーファーと一緒にするな」

そう言っていた先輩がいたが、

これは勝手に決めたルールという正論のようなものがあり、

支部だとか、

ローカル(海の側にいて、なぜか意味がわからない人たち)が、

そんなことを持ち出してきているので、

お互いの意見が喧喧諤諤(けんけんがくがく)となっている。

危険だと言われると、

一瞬、どれが正論かわからなくなっているが、

よく考えると変だと気づくだろう。

波乗りは安全だなんて誰が言ったのだろうか?

先日も台風うねりがまだ残るブレイクで、

チャンネルに浮かび、

ふにゃふにゃと、

ただ逃げているだけのサーファーたちがいた。

その内の一人は、

横を通ったときに、

こんなの喰らったら死んでしまうと言っていた。

実際にインサイドの泡波に引っかかっただけでパニックになっていたが、

もし沖に流されて、

セットがシフトしてきて、

真上でブレイクしたら100回中100回溺れてしまうだろう。

そんなサーファーたちが10人もいた。

中には外国人もいたから、

「こっちでやりなよ。そこじゃ乗れないよ」

そう言うと、

あきらめて上がっていった。

「経験だから」

とか、

「近くで波を見たい。チャンネルにいれば安全だからと聞いた」

そうは言っても海には流れがあって、

誰もまともにパドリングすらできないので、

あのインサイドのか弱い流れにすら負けて、

流されていたではないか。

さらにはライディングラインにいて、

近くを通ろうとすると、

パニックとなって、

こちらに向けてボードを放り出してきたり、

もうさんざんな人たちであった。

この中で誰かがリーシュを切ったとしよう、

あの強烈の流れの中、

陸まで200mは軽くある。

泳げないだろうし、

そうなったときに彼らは一体どうするのだろうか?

そんなことを熊ちゃんと話していた。

リーシュが切れたときに、

サラサラと泳いで陸に戻ってくるのがサーファーであり、

そもそもパニックになる波なんかに入らないのもサーファーである。

それが前出したように

「リーシュしろよ」

そうすごんでいる人たちに限って、

しっかりとした波が立つと、

海には寄りつかなくなる。

または、

「大丈夫、安全だから」

そんな無責任な言葉を追い風として弱者をパドルアウトさせ、

その弱者は何もわからないままパドルアウトすると、

陸で見ていたときよりも数倍以上の波がやってきて逃げまどう。

または小波オンリーで、

胸以上は怖いと言ってサーフしない。

小波オンリーだから保母さん帽をかぶり、

髪の毛がまとわりつかない、

日焼けしないと言って喜び、

足が痛いからと言って波打ち際までサンダルを履いていき、

さらにはワックスが塗りやすいからと、

サーフボードスタンドを車の後ろに出してきて載せている。

さらにはパーフェクト・レフトの波でレギュラー側に逆走し、

「バックサイド苦手なんです」とのたまう。

もう一度サーフィンを1度見つめ直してもいいのかもしれない。

「かっこいいもの」

そんなことはない。

武道同様、険しい道である。

生きるか死ぬという世界のときもある。

根性も必要だし、

揺れる視界の中で、

ボードにしがみつく気力も胆力もなくてはならない。

きっと小波が、

適当なことを教えるサーフスクールが、

そしてリーシュが、

海で遊べないサーファーを創り上げているのだ。

波乗りの本質は波に乗ること。

その足裏を鍛え、

自分が乗るべき波を認識する眼力を持ち、

流れを読み、

そして潮と風向きを知る。

ワックスを塗るときは、工夫して塗る。

日陰になるように、

流木とかを使ってラックを作る。

それがサーファー。

けれど今は、

波情報を見て高得点のところに行き、

そこに書いてある推奨ウエットスーツを着て、

波のピークもオープンフェイスもわからないまま、

ただサーフィンのマネごとをして、

マナーもわからず、

抜けられない位置から「ヘイ」と言って、

良い箇所のサーファーを乗せないようにして嬉々としている。

ローカルと言われただけで跪(ひざまず)き、

その場を取り繕うことは上手で、

最新サーフボード(しかも浮力の足りないショートボード=乗れない)

を持って膝腰波に乗って、

人が前にいたから危ないと、

ボードをその人に向かって蹴り出しつつリーシュをつかみ、

その人に当たらないようにつかんだ紐の長さを調節できるだけで、

自分はサーファーだと思い込んでいるのではないか。

無論、

その人たちがサーファーだと思い込んでいるから、

「ノーリーシュ禁止」

そんなことを呪文のように言っているのではないかと落ち着いた。

さらには支部をあげてこのようなルールを決めたところもあった。

絶句。

すぐにこの支部長に連絡して話したが、

「危ないから」

「逆ギレされるから」の一点張りであった。

けれど、

そんなルールもジョエル・チューダーがやってきたり、

ジョンジョン・フローレンスやJOB、

ケリー・スレーターたちが来れば、

彼らはいつものノーリーシュでサーフすることになる。

そのときに「日本のルールです」

そう胸を張って自分でそう言うのか、

または前出したように、

「誰でも殴る」

それを実行するのかはお任せするが、

もう一度、今一度、

サーフィンの本質を見つめ直すべきだと思う。

そうするとあの保母さん帽も、

スレるからと着用していた競泳用パンツも、

リーフが痛いからとブーツを履いたのも、

ワックスやボードバッグの出し入れが楽だからという理由だけで、

ボードラックを持ってきて自車の周りに並べておくことが、

全て恥ずかしいことだとわかる。

サーフィンとは、

大自然を相手にする遊びで、

しかも荒れた海が良いときている。

もしそれを安全にさせたいのなら、

波の出るプールで監視員付き、

さらには浮き具付きでやればいい。

もしリーシュが絶対に切れないのなら、

それが命綱となるので必要なのかもしれないが、

そんなリーシュはどこにもない。

逆にリーシュをしていることで危険となることがある。

実際に知人の娘さんが、

海にあった障害物にリーシュがからまって亡くなっている。

そのこと——単面だけのことで他人を攻撃したり、

抑制させるのはサーフィン世界にとって、

日本のサーファーにとって危険なことだと思っている。

長くなったけど、

NALU誌にこんなことを書いて一ヶ月が経った。

「よくぞ書いてくれた!」

肯定的な意見も多くいただいたが、

「ファンだったのに残念です」

そうとも聞こえてきた。

そんなファンはサーフィンのファンではないし、

これこそがハッピーサーフィンの読み違いだと感じて欲しい。

波乗道が険しく、

純粋なのは、海の危険があるからだ。

真剣勝負の、遊びを越えた命の機敏であり、

ついには

「自然(じねん)の息吹を感じ、危険を察知する」

という超が付く能力が備わってくる。

だからシェーン・ドリアンとか、

ジョエル・チューダーたちがかっこいいのであります。

現代の日本は「これが危険です」というものがあれば、

Q. サメが怖いです。

「はい、これを使ってください。サメ避けです」

Q. 波に巻かれて苦しいです。

「はい、これです。水中ボンベを付けてくださいね」

そんなサーファーが増えることになるのだろうか。

武術で言うと、

顔と頭が全部隠れるフルフェイスのヘルメットをかぶって、

脊髄固定鉄板を入れて、

深海作業員みたいな防具を着用して、

空手のワールドチャンピオンだと言っても

誰も信用しないのと同じである。

私は、サーフィンの本質を伝えたい。

危ない日に

「チャンネルにいれば大丈夫ダイジョウブ」

そう言って他のサーファーを送り出したことはなく、

さらには泳げなくても大丈夫、

顔も濡れないので保母さん帽をかぶってもいいですよ、

そんなことを言ったことも1度もない。

サーフィンを今一度考え直してみよう。

息を大きく吸いこみ、

波の下に沈み祈ることもサーフィンの持つ重要な真実であります。

Happy Surfing!!