石田さんとは、
ドナルド・タカヤマさんつながりでカリフォルニアで出会った。
それからは、
よく「ミーティングしましょ」と公園で炭を熾し、
(公園に公共BBQグリルがある)
彼が獲った鮑とかを焼いて食べた。
カリフォルニアの大先輩であり、
兄だった。
優しく、
さまざまなことを私に教えてくださった。
昨年、
亡くなってしまったと聞いたときは、
あまりにも突然だったので言葉を失ってしまったほどだ。
去年の盛夏。
四国にやってきて土佐清水まで南下すると、
学くんや、ポイくん、
おみっちゃんという石田さんチルドレンや、
朋輩(古くからの友人)がたくさんいて、
石田さんがこの地を愛していたのがよくわかった。
Tyler Warren Big Dream Fish 6’7″
.
彼が大好きな波があるという。
そこは「東うねりが良い」とのことで、
その波に乗ってみたいと願っていた。
「南東うねりですけど、なんとかできます」
マナブくんからそんなメッセージが届いた。
「やった!両界曼荼羅です明日朝行きます!」
「領海です」
翌3時に起きて、
さてさてと、
がしらハウスから3時間ほど南下する。
須崎、
土佐佐賀、
黒潮町とやってきて、
四万十(旧中村)、
さらに足摺岬方面に行き、
学くんたちと合流し、
かくなる御波を拝見したいと見晴台の上に乗り出すと、
石田さんが波に乗っていた。
夢か幻か、
学くんの絶品うどんの魔力か、
果ては枇杷葉温灸が効いてきたのかがわからなくなった。
とにかくうれしい。
石田さんがあの日のままで、
長いグライダーをクネクネと操って、
不思議なことがあるとマナブくんを見ると、
驚いた表情のままサーフィンを見続けていた。
駐車場に行くと、
私の前に石田さんが乗られていたシルバーのプリウスがあったので、
「マナブくん、石田さんと同じ車ですぞ。これを証拠としないで何としますか」
そう迫ると、
「なんだ、おみっちゃんだったのか」
どうやらおみっちゃんが、
石田さんの意志を引き継ぐようにサーフしていらした。
パドルアウトして、
ご本人に
「石田さんが波に乗られているのかと驚きましたですはい」
そうお伝えすると、
「(石田さんは)”愛のセッションをありがとう”
と、いつも言っておられました」
まるで安倍晴明のような微笑をたくわえて、
おみっちゃんはそう言った。
(その石田さんグライドをされたおみっちゃんの9’8″シングルフィン)
.
愛のセッションとは、
「愛のあるセッション」のことで、
それはつまり、
ブレイクに入っている人たちの愛
サーファーたちの愛
友の愛
波の愛
海の愛
ということだった。
この岬波は、
うねりが太く(大きく)なると、
急流激しく、
さらには激浅部もある岩場なので、
勇であり、
体力もあり、
そして機知に富んだベテランサーファーでないと入れない。
よって、
波が大サイズとなると、
猛者か手練れしかサーフしていないというノースハワイ風味。
すばらしい愛のセッションがここ土佐清水で出来た。
[石田さんの岬はすっかり夏色になりました。
愛のセッションをありがとうございました]
そう心の中で言うと、
トンビがピーと鳴いて、緑の岬にこだました。
それが石田さんからの返事だと思えた瞬間、
波をかぶったかのように視界が滲み、
口が塩辛くなった。
Catch Surf Skipper Fish 6’6″
Special Fins
.
そんな時間を通過しつつ現実世界に戻ってきた。
原稿仕事。
先日書き終えたBlue誌は、
本屋さんに並んでいて、
7ページ目に掲載されています。
よろしかったらぜひ。
今回の歴史号に私が焼き付けたのは、
空とは何?
空とは波ではないか?
「その波はやはりまた空に戻る」
波の持つ永劫性からの輪廻感を味わっていただけたらと思います。
現在の締め切りを整理すると、
フーディガイドby8ホテル
空海通信
ウナクネニュース
天声鯖語
38フィートの週末
NALU誌のコラム
こんな状況であります。
さて、サーフ界のサブカルチャーであり、
異端児のウナクネ式には、宣伝部がある。
その部署のひとつに
「文筆&編集人部」がある。
そこにいるのがテラさんこと寺内さん。
テラさんは鰻はもちろんのこと、
魚偏には詳しく、
側線で感じるほどの世界をけたたましく発信しつつ、
グライドのことも短から長まで分け隔てなく知り尽くし、
日本の初期サーフにも詳しく、
[サーフ界10大インテリ]
とされる岡田修平さんの三大弟子の一人がテラさん。
かくしてテラさんは文学界はもちろんのこと、
私たちの掲げるウナクネ界の偉人となった。
寺内さんの若かれし日は、
硬派一徹印のサーフ誌の編集をして名が上がり、
あっという間に編集長になったと思ったら突然バスプロになった。
バスプロとは、
バスボートでガーと出撃して、
ゲリヤマやマグナムで通したり、
叩いたり、
トップで狙い撃ちというあれである。
そんな花形バスプロは、
突然サーフ出版業界にフッカツしてNALUの編集長となった。
私が手がけたタイラー・ウォーレンのフィッシュストーリーとか、
もちろんこのコラムの依頼を受けた経緯も全て寺さんの長期計画のひとつであり、
画策であり、将来だった。
さらにテラさんは、
キムタクを専門誌に引き込みんだ。
それができる理由は各地に散らばるテラさん派の協力だろう。
逸材、妖怪、奇才、秀才、英才、強靱、偉人、
天才たちがテラさん世界で歌い、踊り、そして書く。
その芽が結ばれ、各地で寺さん流派が増える。
(名前の表記が変わる理由を英三文字で答えなさい。10)
テラさんは現在はフリーランスとなり、
硬派だったり忖度もできる幅広い文体で、
各業界を稲妻斬り(監修千葉周作師範©赤胴鈴ノ助・武内つなよし)し、
またはさっとと猫撫でしている。
その寺内さんが次号のNALUコラムを依頼してくれたので、
すぐにささっと書き、
初稿を送信すると、
「読みました。」
そんな返信が返ってきた。
そして、こう続けた。
「自由の象徴だったサーフィンは、
いつの間にか保守的な世界になって、
身動き出来ないくらい不自由になってしまいました。
悲しいことです。
淀んだ水には魚は住めません。
魚もサーファーも、
流れがあり、水通しのいい場所でこそ、大きく育つのです」
そんなことを私に教えてくれた。
諸手を挙げて同感である。
(この鯖を38匹買った際の価格を求めよ。10)
話は石田さんに戻る。
その石田さんチルドレンの筆頭である学くんを中心に、
奥さんの淳子さん、
隆一くん、そして奇跡のタローマン。
最高なる人たちです。
この学くん、
そしてベンチュラセイジが、
私にほぼ同時に送ってきたのがこの画像。
早明浦ダムであるという。
これを上から見ると、
どう見ても龍そのものだった。
この尾の位置に以前行った淵があるという。
それにしても四国は龍だらけである。
Happy Surfing!!
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