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【サーフィン研究所スペシャル3】ヨノピークの教え_キャッチサーフは少数派の願い_(2727文字)

この波は日本。

しかも波が小さいと言われる湘南です。

まんま冬のノースショア。

竜くんが、

海に入る前にツナくんのことを気にしていて、

「彼は大丈夫ですか?

ここは一瞬で岩地獄に引きずり込まれますよ」

「大丈夫。彼はああ見えてもハワイもやっているし」

「あ、じゃ大丈夫ですね」

そうです。

サーファーにとって「ハワイ」とは、

そんな一言で片付いてしまう魔法の一言なのでありました。

ただ、この場合の「ハワイ」とは、

「この危険な海でも大丈夫ですか?」

そう竜くんが心配してのハワイなので、

上の画像のようなコンディション、

つまり冬のノースショアということになる。

決して、

ワイキキでサーフしたからということではない。(笑)

ツナくんはその昔ノースハワイに来て、

激烈イナリーズと、

恐怖ホワイトハウスをやっているので、

この波に乗れるか乗れないかは本人次第だけど、

波を喰らって沈められても泣き叫んだりしないし、

リーシュが切れてしまったからと溺れてしまわないし、

岩場に入っても、

体中に傷は付くだろうが、

なんとか無事に脱出してくると知っていた。

これがその波。

湘南東に位置する伝説のヨノピークであります。

こちらが竜くん。

彼も洋之介くんと同じく、

両生類並に水中で活動できるワザを幼少のときに会得し、

今日に至るグレイトサーファーかつ、

優れた思想家として知られている。

さらに妙本寺の奥義も多数持つ。

竜くんの

昇龍天邂靂(しょうりゅうてんかいれき)は、

サーフボードが円弧軌道を描くのを起因とし、

巨大な竜巻を発生させて、

多数派を巻き上げるというものとなる。

この技はこのように魁!!男塾でも紹介されているので、

ベンチュラ・セイジたちもこの技を修行したことだろう。

ちなみにこの技を覚えるためには、

8年以上、

川に隣接した森で修行を積まねばならず、

ベンチュラセイジたちは仁淀川であり、

竜くんの場合は、

鎌倉滑川だったということが確認されている。

竜くんの兄、

豪くんは、

自転車で空を飛んで、

滑川を越えていく技を会得しているが、

詳しくなると長くなるので、

ここでは今は触れない。

とにかく竜くんは、

この技を各地の銘波でも修行し、

ついに『頃合い』という得心に達したとされている。

さて、

ここ最近の私のテーマは、

「各地に拡がる銘波をキャッチサーフで乗る」

というもので、

今までのところノースハワイ各地、

ロータイドのウルワツコーナー、

妖気クドゥング(バリ)、

逗子サーファーズ岬、

コスタリカ・プラヤネグラ、

奄美大島バックドア、

土佐高知青龍寺等々ということでありました。

さて、

あれも書いてこれも書いてとやりたいけど、

今日は、

キャッチサーフの大切なミーティングがある日。

キャッチサーフと私の出会いは、

彼らの創業にまでさかのぼることができて、

カラニがキャッチサーフ・チームに来る理由になったことだけど、

JOBもキャッチサーフの姿勢を気に入ってくれて、

晴れて同志となった。

彼らのことを同志と呼ぶのは、

キャッチサーフ社の思想を指している。

「単一主義となったサーファーを救う」

かっこよく言うと、

そんなプロジェクトなのであります。

そのサーフィンにおける単一主義とは読んで字のごとく

「一つのことだけを尊重する」

ということで、ここに具体例を示すと、

「適正浮力ナニリットル」であり、

「コンテストの点数」

「ブランド名、シェイパー名」

「NSAの級」

「勝手に決められたルール」(マナーは別)

「プロ資格」

「生誕地のサーフブレイク至上主義」

なんだと思う。

もっと色々と出て来るけど、

瀧朗や、

村上春樹さんのようにシニカルになるのもあれなので、

ここまでとするが、

要するにサーフィンには、

さまざまなスタイルがありますよ。

ということを世間多くに広めたい。

先日もウナクネ若頭であるケイスケがサーフィンしているとき、

知り合いのボディボードの女性に

「何で変なサーフィンしているの?」

そんなことを言われていた。

どうやらみんなと同じサーフィンをしないと、

彼女にとって変らしい。

そんなことは余計なお世話なのに、

その人は真剣に言っていた。

このことをケイスケに確認すると、

「あの人、フェイスブックとかで食い付いてくると、

ちょっとやそっとでは離れないので、距離を置いているんです」

そう言っていた。

悔しいが、

時間がなくなり、

心が痛む一例となるので、

私はその人から遠く離れて、

具体的にはタキビシピークまで移動していった。

私がサーフィンを始めた頃は、

サーファーはかっこ良かった。

自由で、

きままで、

肌のどこも髪も日焼けしていて、

枯れていて渋く、強く、優しく、

健康で体力もあり、

どこまでも泳げた人たちがサーファーだった。

それから40年近く経って、

サーファーは、

フォークダンスのようにみんなと同じにではならないし、

適正浮力だけど、

サーフレベルを過信申告したことによってまともな波には乗れず、

ラックがないとボードも地面に置けず、

潮水は肌に悪いと、

辺りが洪水になるほど(具体的には80リットル)使って、

真水を浴びまくる。

日焼けが嫌だからと、

真夏にフルスーツブーツグローブで帽子をかぶり、

あげくの果てには泳げません、

水が怖いですと言う。

言いながらもフェイスブックなどでは、

聞きかじった眼力を持って、

投稿の矛盾を指摘している。

怖いならサーフィンをしないでいただきたい。

個々で楽しむサーフィンについて、

どうでもよいことに意見しないでくださいと思いつつも、

面と向かって何も言えないでいる。

よって、

増殖しているのか、

今まで見えなかったのが目立つようになったのか、

少数派サーファーへの批判が相次ぎ、

多数派同士で徒党を組み、

よりさらに攻撃的になって、

どの方法を使っても単一主義に引き込もうとする。

またはコンテストの順位によって、

絶望して生涯サーフィンを止めたりするものも多くいまして、

いわれなき不条理もたくさん受けます。

例えば、

色つきボード禁止、

他県ナンバー禁止、

笑顔私語、

何々禁止等々を正論だぞと言われ、

そんな単一主義がはびこっているこの世の中、

サーフ世界。

それを変えたく集まった同志が、

キャッチサーフの仲間なのであります。

長くなったので、

ここまでとしますが、

私がキャッチサーフに乗る意味と、

キャッチサーフが好きなのは、

世界一の性能はもちろんのこと、

そんな単一主義からの脱出への扉を見つけたり、

開け放つ役目を担っているからだと信じております。

みなさんもどうぞハッピーサーフィンをお続けください。

言われなき弾圧には戦う姿勢を見せましょう。

そうです!

ライオンキングのシンバのように。

Happy Surfing!!