メリー・クリスマスと言いながら空海のお寺に行くのは、
私が日本人であるからで、
クリスマスのなんたるかを知らずに、
こちらもわからぬ真言を読む。
こんな日本人はどのくらいいるのだろうか?
本日は、
NAKISURFの誕生日です。
14年前でサンクレメンテで誕生しました。
私の元々は、
プロサーファーであり、
そこでたくさんのシェイパーと知り合いました。
サーフボードの良いものもたくさんありました。
(ロゴが反転して封入されたボード。
わざとではなく、グラッシング工員の単純ミステイク。
当時のアメリカ製はこんなボードだらけでもありました)
当時、
サーフボードには、
日米の価格差がありました。
メルセデス・ベンツもアップル・コンピューターも日米差がありました。
ネクタイもブランデーも。
そのアメリカのサーフボードを直接販売して、
価格差を埋めようと誕生したのがNAKISURFです。
最初の難関は質。
当時のアメリカ製は、
美術品という観点から見ると粗悪に近いというか、
価格がそうであるようにそれなりでした。
アメリカ人にとっては、
自転車やスケートボードと同じ遊び道具です。
私たちのように「刀」だとか、
「心」だなんて誰も思っていません。
説明してもわからない遺伝子レベルの話です。(笑)
ただ、
あの時代のサーフボード製造業では、
唯一オーシャンサイドにあったドナルド・タカヤマにその認識があり、
確か工員のほとんどが日系人だったのも説明が付く。
ボブとかホシザキという威勢の良いおじさんがいました。
サンクレメンテに戻り、
白人に向かって、
こちらが真摯に膝を突き合わせて、
「サーフボードは名刀になりえます」
そんな話をしていました。
14年前のアメリカでは、
サーフボードは、
クリアのショートボード、
サンディング・フィニッシュで400〜500ドル程度のものだった。
(現在の同コンディションは600〜700ドル程度)
そんなこんなでようやく完成し、
梱包を施し、箱に詰め、
ロス・アンジェルス国際空港まで陸送し、
エージェントに輸出の色々をお願いし、
成田空港で通関し、
関税&手数料を払い、
成田から陸送し、
渋谷区原宿か、
千葉県東浪見、
または神奈川県茅ヶ崎市の
NAKISURFやHRSさんでそれぞれ検品し、
修理箇所があれば直し、
そして再梱包して
箱詰めして佐川急便で、
心待ちにする人に向けて出荷されていきました。
または直接発送所まで取りに来てくださった方々もいました。
当時のガソリン価格は、
レギュラーで1L/110円程度。
航空、陸送共に今と比べて輸送費も安かった。
こうしてみると、
サーフィンを取り巻く物価は、
14年間で140〜150%増しとなった。
当時はショートボード全盛で、
そうでないボードとの比率は、
99対1程度だったと思う。
サーフ民という言葉が妥当かはわからないが、
その過半数が上達主義であり、
その頂点が競技であり、業界がそれを支えていた。
メディアも若かれし頃のケリー・スレーターのボードを計測し、
多くのサーファーたちがそれと同サイズに乗っていた。
そんなペラペラのサーフボードに疑問を抱くようになり、
ノースハワイに引っ越すと、
カリフォルニアや日本とはまた違った世界が拡がっていました。
サーフィンをするためには、
卓越したオーシャンマンでないと、
命は虫のように消え失せるという達観が植え付いた。
D師範。Shane Dorian
.
そしてノースハワイでは、
カイポ・ハキアスからの教え、
アンディ・アイアンズとのイナリーズ、
長老フレディとのミニ、ログ、
そして子どもたちとのセッション等で、
サーフィン世界の拡がりを知ったのです。
そしてサンクレメンテでかけがえのない友人となったクリスチャン・ワックが、
「さまざまな浮力のサーフボードに乗リマス」
そんなことを実践してくれた。
「良波でなくとも浮力があれば楽しい」
そんな知られざる史跡のようなものを発見し、
自身でも大きなボードを踏み込むと、
そこにはタイラー・ウォーレンがいて、
そしてアレックス・ノストがいて、
ジョエル・チューダーとシェーン・ドリアンがいた。
じつはみんないたのだった。
フィンを外したり、
大きくしてみたり、
この世界は実験的な構造で、
ショート時代のように、
「ああ、5’8″にはAM3だな」
そんなことは決めつけずに自身で、
波質やボードボリュームなどからフィンを探すのも楽しかった。
すると、
波質などは下手をするとどうでもよく、
波が悪いところは空いている。
下手をすると無人だとも知った。
それまでは良い波を追いかけていたので、
サーカスのようにどこに行っても知った顔があり、
全員がその中で切磋琢磨していると思っていた。
「ショートボードの波質」
そんなものにこだわらなくなると、
視界が明るく開いた感があり、
「サーフィンはさらに楽しいもの」
そんな毎日となり、
NAKISURFと共にそれらを表現しました。
逆真会、
D先輩、
がーたんは、
現在
それぞれ、
ドラゴン・グライド・プロダクションだったり、
D先輩は各地の達人となり、
がーたんは二郎くんに代替わりしましたが、
基本は同じです。
ミニフィンのコンテストをしたりもしましたね。
そういえば、
私がノーズライドに傾倒していたとき、
サーフィンのカルト・マニアからこんなお手紙をいただきました。
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こんにちは、
ブログ拝読させていただきました。
中略
ノーズライドで”feel the glide”だと思います。
ぼくはどんなサーフボードも乗ります。
ロングボードに向いていない波では、
スラスターやフィッシュにも乗ります。
日本は、
パワフルなハワイやオーストラリアに比べ、
ロングボード向きの波が絶対的に多いですね。
小波日は、
ロングボードでのんびりトリムして、
ノーズライドするのが最高です。
ということで自分はノーズライダーを推すnakisurfのスタンスを応援します。
ーーーー
こういう人もいるのだと、
感じ入って、
ワンパ—からログ、
パドルボードからBMXまで乗る池田潤ちゃんを
『グライド・アテンダント』として起用したりしました。
あれから年月が経ち、
いまだにショートボードが、
90対10の割合を占めていますが、
たった1%から10%まで割合が上昇しているのは、
先ほどの物価とは真逆でうれしくなるのです。
なぜうれしくなるのかと言いますと、
サーフィンしていて、
他者にも良い波を乗ってもらいたいのです。
浮力があれば乗れる波は倍増します。
コンテストは、
誰かが自分より良い波を乗るというのは、
負けを意味しています。
でもフリーサーフは、
私より良い場所に他者がいたら譲ります。
だって、
全員がグッドバイブスでサーフできたらどんなに楽しいことか。
長々と想いを書いてしまいましたが、
どうにも止まらなくなりそうなのでまとめます。
NAKISURFは、
これからもハッピーサーフィンをお伝えし、
このサーフィン世界を取り巻く環境をさらに良くしていきます。
それは精神的なことだったり、
そして護岸等の具体的なことも。
滑走について、
サーフィンについてさらに研究していきます。
歴史、科学、文学、工芸、思想、哲学、危機管理、
法学、文理、芸術、国際、体技、工学、医学、等々。
15年目のNAKISURFをよろしくお願いします。
スタッフ一同
NAKISURF主宰 NAKI
船木 三秀
今日もNAKISURFにお越しくださり、
ありがとうございました。
Happy Surfing!!
Dream Ride!!
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【巻末リンク:13周年記念】
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