パイプライン・マスターズを見ていた。
決して誰かに勧められたというわけではなく、
自発的に、見ていた。
ぼくは、あまり競技は好んでいない。
だからサーフ・コンテストなどを観戦する機会をもうけたりはしないが、
今年は、
ププケアというパイプラインの稜線を形成する丘の上にいることもあり、
なんとなく、
行ってみようと思い、ガレージから出ると、
下の道、
カメハメハ・ハイウェイが大渋滞していた。
それはまるで、
なにかのお祭りのようにあふれかえっていたので、
パイプラインへ向かうことはあきらめて、
WSLのライヴ中継で観ることにした。
この中継を観ていると、
現実でありながら、
フィクティシャスがきわめて強いハワイということで、
パイプラインの増幅した魅力があり、
それをインターネット回線で全世界に伝えていた。
ぼくはさきほど、フィクティシャスと書いた。
これは架空とか、虚構性という意味だが、
ハワイの魔法と、
サーファーの憧憬で、
もはや神話化されたパイプラインさえもアン・フィクティシャス、
つまり現実、
ライヴという説法でぼくたちに伝えていた。
フィクティシャスとアン・フィクティシャスのバランスがよく、
両極が引き立っているぞと、
ぼくはこの中継から思うのだった。
つぎに、
波に乗ることについて考えてみた。
それは、まさに人生そのものだ。
波に乗ることを中心に考えると、
車の運転ですら波乗り感覚で研ぎ澄まされていく。
音楽もしかり、
そして歩き方もである。
この面白さをわかりやすく書くとなると、むずかしい。
とにかく、全てがただ楽しいのだ。
それに、波に乗るのは重労働だから、気分もいい。
もしこの世に神秘があるのなら、
その神秘の具体的な例が波ではないだろうか。
波はいつも海岸によせているが、
まったくおなじ波はない。
この、ふたつとない、
しかも無限につづく波を生活の中心にしているのだから、
徹底したライフ・スタイルに近づいていく。
そのサーフィン中心の日々をつくりだすには、時間がかかる。
ぼくの実感では、3週間かかる。
都会生活のなかで付いてきたいろんなものをふり落として身軽になるためには、
いま思い立ってそのまますぐに、というわけにはいかない。
そして、
いったんそういう生活になってしまうと、
その心地良さというか、
健康的なライフスタイルはながく尾をひく。
それが快感なのだ。
サーフィンをやらないでいるのは、もったいない。
波に乗らないでいると、
第六感、
霊感というプラットフォームが消える気すらする。
わだかまりが心を抜け、
意識が広がる可能性を持っている感覚を知ると、
波に乗らないと、
気持ちが窮屈なままになってしまう。
寛容という言葉を忘れてしまう。
海の陽、
風が波を押す風景を忘れすぎたままでいると、
頭と体の感覚が、
弱っていくような気がしないだろうか。
自分が、
そういった風景のなかに、
ただなんということもなく普通に存在しつつ、
たとえば波に乗ったり泳いだり砂浜にいたり、
あるいは、
都会にまい戻って波や陽を思い出したりしているのは、
感覚上のよろこびだ。
Beater Photo by Catch Surf
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パイプラインの話に戻ろう。
こんにち、中継がすばらしく、
ドローンや海面、
陸からのアングルで見ると、
フォーム・ボールと呼ばれる泡の層の仕組みがすこしだけ、
理解できた。
バレルもフォームボールもつまりは壁なのだ。
波壁に張り付けば、ハイラインとなるし、
滑らせて過剰な速度を得たり、
その立体的な動作が、
チューブ・ライディングの持つ感覚的快楽の秘密のようだ。
速度を過度に落とす。
ほんとうにみごとなチューブ・ライディングは、
そこから始まっていることが多い。
そして、
もうひとつのチューブ・ライディングは、
波のなかに全速で飛び込んでしまうもので、
さらには波によって、
バレルがもうひとつ続くボーナス・セクションも数名のサーファーたちは抜けてきた。
イタローは、
このボーナス・セクションのフィナーレで、
ボードがフォーム・ボールに吸われ、
しなるように跳ねてしまい、
なんとか立て直したが、
ハイ・ラインを保てずに、
リップという波先に弾かれて終わってしまった。
もしかすると、
これをメイクすれば、
ケリー・スレーターがメイクしたバレル並の距離だっただろう。
「パイプ側のバック・ドアからオフ・ザ・ウオールまで抜けてきたんです」
隣に住むローガンが、
ガレージに入れる前に、
ビュイック・ステーション・ワゴンの窓の中から驚いた顔をして教えてくれたことを思いだしていた。
中継画面は、
イタローのリ・プレイ映像に切り替わり、
スロー・モーションで、その瞬間を映し出していた。
あらゆる角度からリ・プレイされていく。
ストライダー・ワズリースキー横の水中アングルから見ると、
チューブ内の動きのこまかなところまではっきりわかる。
このおかげで、
実際に波に乗った感覚や、
体験を六感のなかによみがえらせて、
自分がスロー・モーションで、
このフォーム・ボールにボードを吸い込まれながら、
そうはさせまいと、
波壁に張り付いていることを想像しているのはわるくない感覚だ。
Gavin Beschen / Surfer Magazine
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チューブ・ライディング、
バレル・ライドを感覚的に楽しむサーフィンは、
ぼくの最後の楽しみかもしれない。
そしてサーフィンとは、
宇宙との、地球との、
そして海との、
きわめてすてきな遊びであり、
人生そのものだ。
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All photo by naki