北原白秋は、
童謡の達人であり、
それらの傑作はいまも歌われ続けている。
彼は詩人でもあり、
『邪宗門(明治42年=1909)』で、
官能的なアスティシズム
(唯美主義:aestheticism)という作風を創りだした。
やがて、
三木露風と共に
「白露時代」と呼ばれるようになった。
その北原白秋が、
大正6年(1917)萩原朔太郎著
『月に吠える』の序文に登場し、
読者がこれから読む内容について絶賛していた。
103年も前に今で言う「解説」を冒頭に持ってきていたのだ。
萩原朔太郎は、
神秘・象徴主義のきっかけを作った詩人であり、
「日本近代詩の父」と習った。
大正時代の文体のそれをみなさんにお伝えしようと、
現代語に意訳してみた。
欠損している事項があるが、
たいていはわざと、
または接続詞のコード進行の影に隠れて気づかないだけなので、
そんなことを含めて読んでみてください。
萩原朔太郎著
『月に吠える』
序文からの抜粋です。
by北原白秋
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君の感情は、
全てを瞬時に固体に凝結しないと止まらない。
竹の葉にまとわりついた水気が集まり、
一滴の露となるまでのことを表すことができる。
そこにひねりも加える。
例えば、
腐酒の蒸気が酒精となって部屋をさまよい、
水晶のような雫を形作ることも。
君は、
感動しながらも自身を傷めつけることで、
はてしないほどの時の長さを、
一瞬の間に縮めた。
炭が集まり、
ダイヤモンドになるまで、
そんな永い時間を圧縮して言葉にしたためていく。
摩訶不思議な真言。
真の言葉の秘密や意味は、
詩を読んで解き明かそう。
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【原文】
君の電流体の感情はあらゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。
竹の葉の水気が集つて一滴の露となり、
腐れた酒の蒸気が冷たい*ランビキの玻璃に透明な酒精の雫を形づくる迄のそれ自身の洗練はかりそめのものではない。
君のセンチメンタリズムの信条はまさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、
一瞬の間に縮める、
この凝念の強さであらう。
摩訶不思議なる此の真言の秘密はただ詩人のみが知る。
(ランビキとは、酒を入れる器のことで、玻璃とは水晶、金剛石=ダイヤモンド)
【第二章:久昇のブリ】
これはブリの刺身の久昇バージョン。
久昇(きゅうしょう)は、
湘南藤沢駅南口にあって
石田さん(故人)が大好きな、
「親子丼がおいしいんですよ」という名店だった。
「だった」と書いたのは、
スタッフのみなさんが高齢化し、
惜しまれて閉店してしまったからだ。
最高峰の名店だった。
久昇から学んだものは、
「材料は特級品のみを使え」
という明快なことだ。
「ワサビは伊豆の農家から取り寄せ、
花穂シソも大根も紫蘇も全て伊豆からです。
ブリは伊東の水揚げです。
伊豆は水が良いんです」
こんな端々を高齢の花板さんが教えてくれた。
これこそが外食の愉しさ、
きらめきであり、
違う業界の書き方をするのなら、
大谷翔平くんの逆方向への高い弾道のホームランを見た気になる。
サーフィンで言えば、
JOBのバックドアでのキャッチサーフ・バレル。
ダブル・ボーナス・セクション編だろうか。
ドラグラで言うところの、
マンライ成仏タキビポーズの*38万点だ。
(*サバマンテンと発音する)
「(花)板さんは何時から仕込んでいるのですか?」
メインの調理人さんに隣にいたお客さんがそう聞いていた。
「この仕事をしてからは、
ずっと、始発で来ています」
あまり言いたくなさそうにそう言った。
すかさずそれは何時の便ですかと聞くと、
「大船から5時10分です。ずっとこの電車です」
そんなことをおっしゃっていた。
お店の開店が17時なので、
「11時間も仕込んでいるのですか?」
「途中は休みますけど、そうなりますね」
このとき私は、
「プロの仕事はこうあるべき」
そんなことをこの花板さんから学んだ。
なので、
少し文章の勉強をしようと、
大好きな大正文学を読んでいての本日のポストです。
【さよなら久昇ポスト】
【特大号】アレックス・ノスト個展が金曜18時より品川区で_さよなら藤沢『久昇』8ホテルのフーディガイド_(3159文字)
Happy Surfing and Happy Life!!
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