おやっさんの浜が赤く染まった。
おやっさんというのは中村さんのことだ。
1984年は、
ここで私は毎日サーフしていた。
毎日波に乗ったというのは語弊があるが、
とにかく波がなくとも毎日海に入っていた。
たとえ波がブレイクしていなくても、
潮が動けば干潮いっぱいから潮(海水)が陸にやってくる。
潮はうねりを集める力があると、
ボクだったころの私はこのときそんなことを知った。
または海岸が完全フラット(湖状態)ならば、
本気でパドリングの練習をしていた。
一切グラグラしないように、
両腕のバランスが良くなるように長い時間をかけて漕ぎ続けた。
ある程度乗れるようになると、
下重さんがサーファーズ岬に連れていってくれた。
昭和60年のことだ。
よく混同されるが、
サーファーズ岬は岬の前のポイント・ブレイクで、
サーファーズ前のリーフではない。
Kin Sone on
Tyler Warren Bonzer 6’5”
at the Cape Surfers
.
その日は台風のうねりが入っていたので、
すごいというか偉大な波だったが、
下重さんは、
「全員が君の名前をおぼえるまではインサイドでやっていなさい」
Catch Surf® Heritage Collection Nose-rider 8’6″ .
そんなことを教えてくれて、
波に乗りまくりたいボクは、
誰もいないインサイドで記録的なほどの波の数に乗った。
Catch Surf® X Nakisurf Special Skipper Fish 6’6″
Nakisurf Original Twin + Vektor VMK (rear) + VT
.
令和3年のナッキーもインサイドで波に乗りまくっていた。
Photo by Yasuhiko Hakamada
.
富士山がとてもきれいに見える日で、
この景色にも私はボクだったころを思い出し、
鎌倉ベーカリー、
岡田書店、
藤沢駅南口とんかつ・とんこ、
そしてナルちゃんヤマカ寮のご飯がよみがえった。
左が私、
中央がキンちゃん、
右が岡本さん。
岡本さんは、
ボクの面倒をよく見てくれて、
結局はスポンサーにもなってくれて、
ノースショアの長期滞在を実現してくれ、
そしてさまざまなことを教えてくださった。
波乗りはもちろんのこと、
運転の仕方等々。
あれから35年以上が経過した。
時は経ったが、
何も変わっていないような気もする。
夜はアーバン・アイランド・ソサエティのミーティングで、
鎌倉駅前、
小町通りの居酒屋に行った。
「オミクロンが来る前に集まっておきましょう」
そんなことらしいが、
これは国家間の策略なのか、
何なのかは小林よしのりさんでもわからぬが、
世の中はそんなことになってしまった。
画像左には偉大なる柄(ガラ)さんが映っている。
そのまま紹介すると、
ガラさんのお隣は中村のおやっさんと、
豪くんと一緒にノースハワイにやってきて我が家に1ヶ月間一緒にいたケンくん。
HNLを着ているのは、
アーバン・アイランド・ソシエティのビッグボスのジャイアン(小林トシくん)、
ドラグラ摂政の瀧朗。
そしてヤイくん。
明日に続きます〜。
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【巻末リンク:ジャイアン&ガラさん@土佐】
【巻末リンク*2:ジャイアン&ガラさん@千葉】
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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