6’4″ Tri-fin at Vinaka, Matuku Island, Fiji
June, 2003
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フィジーのヴィナカ。
もうすでに19年も前の写真になる。
この数日後、
私をたたき付けて、
数分間ほど聴覚や感覚を失わせ、
生死をさまよわせた恐ろしい波だ。
当時は、
まだ誰もこのマトゥク島でサーフしたものはいなかった。
発見は1990年代の終わりごろ、
インディ・トレーダー号がこのレフトを確認していたが、
なぜかサーフにはいたらなかったらしい。
ここに『サーフ・リゾート』を誘致したいと投資家が現れた。
ニューポート・ビーチとサンクレメンテ、
そしてサンタクルズからサーファーが集められて、
フォトグラファーの一人として私は招待された。
長い話となるので、
ここからは巻末リンクより、
当時書いた記事で読んでみてください。
結局そのサーフ・リゾートは、
「波が危険過ぎて、
一般サーファーはサーフできない」
そんな評価によって計画ごと頓挫した。
じっさいのところ、
物資が3ヶ月に一回程度、
郵便が1週間に一度。
海が荒れたら次回へ遅延。
他の離島の例を漏れず、
医者などはどこにもいない。
よって病気や怪我は、
祈祷によって暮らす純粋無垢な島民にとって、
他国からさまざまなサーファーがやってくるサーフリゾートはいかがなものか?
そんな懸念による結末でもあった。
それから19年後、
そこでサーフしたのは、
サンクレメンテのラスティ・ロングたちだ。
ワールドクラスのビッグウェーバーで知られるラスティは、
ビナカに乗ってストークしていたが、
もし失敗すると、
激烈に浅いカミソリ・リーフに叩き付けられることを知らないのだろう。
確かに「ワイプアウトしなければ良い波」です。(怖)
サーフィン用語というかスラングで、
「(波乗りで)ひどい目に遭う」ことを
「料理される」とあるが、
これは一般でも使うだろうか。
Photo by @kei_kojima
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この料理は総料理長によるもので、
アラン・デュカスの旗艦店である銀座『ベージュ』のメニューにあるという。
総料理長に作り方を聞いてみると、
炭火でアオリイカをあぶる。
真鰯を塩漬けにして、
それから燻製し、
25年物のシェリー・ビネガーでマリネする。
アボガドはグリエ(ル)し、
別にすり鉢でオゼイユとペースト状にするんだ。
奥に見える丸いタワーは赤玉ねぎ、
ズッキーニ、
ナス、
トマトにオリーブオイルを塗って、
それぞれをオーブンで焼いて重ねたよ。
でね、
グレープフルーツはふさにして半乾燥させて、
ソースは蜂蜜とグレープフルーツと根魚のスープとサフランで仕上げたんだ。
このサフランは、
佐賀県産で約300年もの歴史があるものだって。
そんなことを教えてくれた。
食の世界は深い。
ちょうどアマゾンプライムで、
『ザ・フード -アメリカ巨大食品メーカー』を見ているので、
1900年頃のアメリカの食事情がよくわかり、
現代のように食事に時間をかけられるのは幸せなのだと感じ入った。
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【巻末リンク:19年前の同じ波】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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