Catch Surf® Heritage Collection 8’6″
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千葉北小波悦楽日。
風も弱いし、
すっかり秋模様だ。
うれしかったのは、
前の日の夕方に人生最高の波を乗ったカリンちゃんが、
再びやってきて、
またすばらしい波に乗っていたこと。
エックスやジェフリーズ周辺にはハッピー・サーファーも増えた。
10年ほど前は無人エリアで、
年を追うと徐々に人が増えてきて、
例のいわゆる「怒っている人」もやってきたが、
そろそろついに初心者エリアとして認定されたのか、
目をつり上げている人が減った気がする。
とにかくこのハッピー・サーフィング派とは、
競技主義と一線を画す重要な集まりだ。
この方はこうして、
『ハッピーサーフィン1964』を貼ってくれていた🙏
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【おまけ】
摂政瀧朗の南カリフォルニア見聞録。
初日はフォード・アーチボルド。
フォード・アーチボルドはその高い芸術性が評価されはじめた。
彼は新時代サーフ・アートの彗星であり、
普遍というものを切り裂く刃のようだと感じている。
愛にはぐれ 愛を憎み 愛を欲し
そして何も求めない
これは私が彼の作品を一通り閲覧しての感想である。
フォードは波乗りのとき、
視界を荒野のようにザラザラとさせているのだろう。
フォードとは、
彼の実父マットと一緒にコスタリカを旅した。
この家に泊まり、
あらゆるところでサーフしまくった。
Pizote
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ピゾテはタヌキくんと同じように雑食かつ、
ぜいたく絢爛食好き。
開いている家の窓から入っては食料を漁ることしばしば。
コスタリカは日本の夏のように湿気があって暑い国です。
窓はどこも開いているでしょう。
よって、
地元の人には強烈に嫌われているが、
そのことを知らない日本人(私)が、
「これはかわいい」
と感動しつつシャッターを押した一枚だ。
Playa Hermosa, Costa Rica 2004
Ford Archbold
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フォードは1991年生まれ。
12歳ごろのショットだ。
18年前は、
カメラはまだフィルム時代だった。
私たちは、
全員でまだ見ぬカリブ海側の波に想いをはせていた。
フォードたちとは種子島にも行った。
台風が来ていて、
かなり強いカレントで、
いわゆる超ハード・コンディションだったが、
アーチボルド親子は軽々とパドルアウトしたのが印象に残っている。
瀧朗はフォードのいるコスタメサからハンティントン・ビーチに行き、
クリスチャン・ホソイとハングアウトしていた。
クリスチャン・ホソイとハングアウトするだなんて、
ファナティックなスケートボード・ファンにとっては超過激かつ、
感動的なことだろう。
クリスチャン・ホソイは、
今から15年前にノアたちのスケートボードを指導してくれた。
タキローの写真を見ていると、
「過ぎ去ってしまったものへの慈しみ」
そんな言葉が浮かんだが、
フォードの項と違うのは、
それを声高に言わないことだろうか。
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【巻末リンク*2:15年前のポスト】
【巻末リンク*2:ハッピーサーフィン1964とは?】
【サーフィン研究所】多くの人と、または一人でも楽しめるもの_1964年のハッピーサーフィン・ステッカー!_(1111文字)
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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