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naki's blog

【サーフィン研究所渾身特大号】ノースハワイ到着まで_NAKISURFがアムステルダム・コミュニティに参加しました!_(2638文字)

North Hawaii

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移動日や結婚式関係のいろいろがあって、

これまでの経過を書いていなかったのでここに。

夜に成田を出発したハワイアン航空。

なぜか出発が44分も遅れ、

ホノルルで乗り継ぎ便が間に合うのかと気になる。

こうならないように最大間隔で予約したのだが、

入国審査等々を考えるとやはり心配だ。

ホノルル国際空港に到着。

さきほど書いた遅れは変わらなかったが、

入国審査の列がやたらと少なく、

もっと書くと、

機内がガラガラだったので、

審査する人が少なかったと想像してみた。

入国し、

税関検査を終え、

荷物を再び預け、

無事に離島ターミナルに入った。

バーガーキングのメニューを見ると、

噂通りものすごく値上がりしていた。

例えば朝食メニューの、

「ダブル・クロッサン(クロワッサン)・ミール」

ですら18ドル95セントだ。

これを1ドル=140円で計算すると、

なんと税込み2,760円で、

アメリカのインフレの威力と、

日本円の弱さを思い知った。

空港食は高いけど、

芝山のリュウゲツを持ってきてよかったと、

草だんごをかじりながら、

すぐにやってくる飛行機を待った。

ノースハワイとは、

ジュラシックパークなどでおなじみのカウアイ島のことで、

ホノルルより離陸後30分も飛べば到着する。

ここはハワイ諸島の最初の隆起であるらしく、

古代島であり、

屋久島と同じようにやたらと雨が降る(世界一)ので、

ガーデン・アイランドと呼ばれている。

到着して、

TUROという配車スタイルで車を借りるべく、

その駐車場に行ってみた。

すると、

いままではKマートだったのだが、

すでに「ターゲット」という超大型総合商店の

チェーンストアになっていた。

ターゲットに入店すると、

2ドル程度だったスパム・ムスビが、

ごらんのように4.25ドルだった。

計算すると、

こんな小さなものが税込みで619円…。

となりのまずそうな焼きそばも1000円近くしていた…。

前述したように雨が多い島なので、

やはりそのようになったが、

ものすごい波に乗ることができた。

冬のあいだ、

トレーニングとサーフィンに取り組んできてよかった。

でないと、

ひどい目に遭うほどの波質だった。

陸から見ると、

まったくショボショボだが、

近づくと、

台風からのうねりのように詰まって、

そして猛烈なる威力の波だ。

しかもどこまでも無人。

やはり古代から巨人が住む島だ。

(伝説では、

小人=メネフネが住んでいたとあった。

この項、続きます)

AMSTERDAM WETSUITS

ついに!

NAKISURFで、

アムステルダム・ウェットスーツの取り扱いがはじまりました。

そして私のスーツのオーダーも完了した。

天才石田さんがよくおっしゃっていたのが、

「ウエットはさ、

ラバーの着心地と美的感覚だよ」

そんなことで、

アムステルダム・ウェットスーツは、

私たちカリフォルニア・サーファーたちの憧れのブランドだ。

元々は、

石田さんがジョエルに

「日本製が世界一だからさ、

きみに宇宙一のウェットを作ってあげるよ」

そんなことから始まったと記憶している。

ジョエルとは、

ジョエル・チューダーのことだ。

石田道朗(みちあき)さんは、

California General Storeを主宰していた人で、

このアムステルダム・ウェットスーツの創始者だ。

大きな視点で書くと、

石田さんはサーフボード業界ではカリスマ的存在だ。

それでいて聖人であり、

トーマス・キャンベルの処女作『シードリング』の背中を押し、

ドナルド・タカヤマ・サーフボードを盛り上げた辣腕プロデューサーだ。

はたまた

「バリーくん」などと、

バリー・マッギー大先生を呼び、

互いにその神力を通じ合わせてもいた。

Photo by Takiro

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『潜り』

ウェットスーツのエジソンである「オニール」も、

老舗ボディグローブもこの範疇で名高いが、

ダナ・ポイントの名誉漁師だとして知られるほど、

石田さんは潜りも得意だった。

Killer Dana,

Dana Point, California

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果ては見たことのないほどのアワビを捕ってきてくれて、

私にダナ・ポイントの由緒正しきエナジーを注入してくれた。

また実験的な人生を送るアレックス・ノストが来日した際には、

鎌倉極楽寺のハレノバ環境と、

小田のそば(石上)と久昇(南口)の親子丼の、

クラシックかつプログレッシブなコード進行で感銘を与え、

その包容力で、

石田さんのことを生涯のオヤブンだとアレックスに認識させた。

もっと書くと、

日本で歴史上唯一の、

JT’sダクトテープ・インビテーショナルが湘南鵠沼で開催されることになった。

石田さんの地元でもある。

ダクトテープは、

ジョエル・チューダー(JT)が、

このサーフ(ログ)界で伝えたいことのすべてだった。

ただ、

会期が近づくにつれ、

波予想が貧困で、

具体的には会期中はフラットからスネという予想だった。

このメインはサーフイベントであるが、

バンズ主催なので、

スケートボードのセッション、

そしてライブもあり、

出店も含めてその日にMust Goサインだった。

小波でもログ(ロングボードの重いもの)なら乗れるだろうと人は言うが、

スネ波であれば何もおもしろくない。

さらには、

世界から集まったオルタナ・サーファーたちが日本の波に対して、

悪い記憶を抱いてしまう懸念があった。

これはあくまでも推測だが、

故人となり、

空に浮かんだ石田さんは、

天からの天力(てんりき)で、

誰も予測すらできなかった南うねりを出したのだと、

多くの人がいまだに信じている。

冷静に鑑(かんが)みても、

あの時期(11月頭)の湘南鵠沼に、

低気圧もないのに二日間も波があったスペシャルなサーフイベントとなり、

ジョエルが、

「ミチアキ・ウェーブだ!」

とストークしつつ、

私たちが手を合わせるほどの感動を与えてくれた。

アムステルダム・ウェットスーツは、

そんな石田さんがプロデュースしたすばらしいウェットスーツです。

ジョエルから見ると、

これが世界一の天力であり、

トーマス・キャンベル、

アレックスとバリーにしてみると、

我らオヤブンが作った渾身のスーツがここにありました。

【巻末リンク:アムステルダム・コミュニティとは?】

【特大号:NALU誌特集記事】エントロピー:ーENTROPYーアムステルダム・コミュニティというメッセージ_(9172文字)

【巻末リンク*2:ダクトテープ湘南】

【サーフィン研究所&ドラグラ】ここまでのまとめ1_ダクトテープ・インビテーショナル、藤沢駅周辺編_(1728文字)

【巻末リンク*3:バリーくんのこと】

タキビシヤス@サンオノフレ_三蔵瀧朗著『傾奇者クリスチャン・フレッチャー』_バリー・マッギーDFW開祖の結集_(2222文字)

【巻末リンク*4:最高敬語のお勉強】

【ウナクネ大全】天上天下唯梵参独尊_アレックス・ノスト総帥は龍顔麗しく教会岬にお着きになった_(1887文字)

【巻末リンク*5:総帥ハレノヴァ日以降】

文字と、言葉を持たない日(総帥湘南編)_#76

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!