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naki's blog

タキビシヤス@サンオノフレ_三蔵瀧朗著『傾奇者クリスチャン・フレッチャー』_バリー・マッギーDFW開祖の結集_(2222文字)

Ventura, California

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無事にサンクレメンテに戻りました。

カレンダーも無事に入稿し、

今は印刷が終わるのを待っている状態です。

タキビ詩でおなじみの、

一級焚火師ヤス(スーパータキビシヤス)が、

長女ルリちゃんたちと一緒にサンオノフレにやってきてくれた。

少し見ない間にすっかりと大きくなったルリさま。

お父さんのタキビ詩を糧に育っています。

日没後の真のサーフィン。

心の滑走を表現していました。

タイちゃんボードが、

タキビシと共にサンオノフレに里帰りし、

タキビ師家族の旅は続いていきます。

同じ日に偶然会ったのは、

タイちゃんボードを持ったタイキ。

DCSKやウミカフェ一平くん、

谷沢くんやぜひトモくんたちと同じく、

アメリカに志高くやってきて、

勉学に励む青年です。

さて、サンタクルズの北まで足を伸ばした旅が終わりました。

その出発は、

クリスチャン・フレッチャー家からだったとは知られていない。

この一件を200年前ほど前の文体で書いてみる。

*享和という元号の頃です。

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享和(きょうわ)。

寛政の後、文化の前(1801年から1804年)。

光格天皇。

徳川家斉。

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平成二十九年(二千十七)、

三蔵瀧朗は、

『**傾奇者クリスチャン・フレッチャー』

と云ふ新物を書きしより、

**かぶき者(かぶきもの。歌舞伎者とも表記)は、

戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮だと書いてある。

異風を好み、

派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。

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其(その)本の書き始めにて、

生涯数萬番の傾奇者物語を書作して名を発する。

是より私の日記(ブログ)に

三蔵瀧朗(さんぞうたきろう)といふ名の元祖となりぬ。

元来、

瀧朗は衆生化度(導き。悟りに到達させること)

せん為の奥念より書作するゆへ、

是までの波乗物とは異なり、

俗談平話を鍛錬して、

愚痴闇昧の者どもに人情を貫き、

神儒仏の奥義も残る所なくあらはし、

俗文は古今の名人、

遖(あっぱ)れ古今一派の文者といふも更なり。

瀧朗の浄瑠璃(じょうるり)本を百冊よむ時は、

習はずして三教(上記の神儒仏)の道に悟りを開き、

上一人(ハービー・フレッチャー始皇帝)より

下万民に至るまで、

人情を貫き、

乾坤(けんこん。ここでは天と地のこと)の間にあらゆる事、

森羅万象(しんらばんしょう。あらゆること)弁へざる事なし。

真に人中の竜(ここではウナギクネクネのこと)ともいふべきものか。

なつかしの、

どこまでも愛したあの赤いボンザーが横たわっていた。

アンディ・ディビス_マーク・マシューズがキャッチサーフに!_1970年のボンザー_新生NALU_(1158文字)

すばらしい、美しいボードであり、

さらには歴史的なものであります。

なつかしく、うれしくてチラチラ見るのだが、

持ち上げてしまうと、

また借りてしまうことになりそうだった。

ただそうしてしまうと、

また返す日が悲しくなるので、

あまり見ないようにしていた。 (笑)

この日はカリフォルニアには珍しく雨。

クリスチャン家に寄ったのは夜。

私は北(モントレー&サンタクルズ)へ、

クリスチャンと瀧朗はサンフランシスコにそれぞれ向かっていった。

この日の朝から夕方まではボードの発送日。

NATION工場に行くと、

ライアンが1本1本検品していた。

これをQCというのだが、

何の略かと言いますと、

クオリティ・チェックのことです。

この間、

私とライアンはサーフボード話をしていた。

おもしろかったのが、

フィン位置には、

ボードとターンとの密接なる関連性があるのだそう。

なんでもフィン位置を求める際に、

波長のパルスを用いると良いらしく、

フィンエリアに曲線を引き、

その場所だけに3つのフィンを取り付けると、

パフォーマンス達成率がほぼ100%になるらしく、

そんな話を聞いているだけで楽しい。

ボードに入れるラミネート。

日本で言うところのデカール(ディケールとも)ですね。

私がサンタクルズに到着すると同時に、

そのさらに北のサンフランシスコでは、

無事に到着したクリスチャン一行が、

バリー・マッギーDFW開祖と一緒にいる写真が送られてきた。

これは後に知られる

「三蔵の結集(さんぞうのけちじゅう)」だが、

マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)の集まりでもあった。

クリスチャンのボードに目を入れるバリー・マッギーDFW開祖。

結集とは、

こうして尊者たちが集まり、

ウネクネの教えを誦出(じゅしゅつ)し、

お互いの記憶や事項を確認しながら、

合議のうえで鰻典(ウナクネマニュアル)を編集していく。

なんと、この結集にMax Schaafが参加し、

しかもキャッチサーフに乗っていた。

しかも人気のブラック。

やたらと親近感が湧いてしまった。

オーシャンビーチでのサーフ後は、

そのまま座長である開祖画室王舎城(ラージャグリハ)に流れ、

あの赤いボンザーに開祖がDFWとしたためた。

この結集を後日まで残そうという心持ちだという。

三蔵瀧朗のアレックス・ノスト総帥ボンザーにもしたためられた。

三蔵によると、

「開祖は『無我』ではなく、

これらは『非我』であると説きました。

衆生(生きし、生きるもの)と、

生命でない物質との境は、

ある存在が認識する働きを持つか否かで区別されています。

全てが流転し、無常、すなわち変化の連続です。

“描かれたものはここにあるが、描いた者はいない”

と説明されます。

これはDFWの精神であり、ウナクネ式の経典でもあります」

そう締めくくった。

何がなんだかわからないが、

こうしてDFWは後世に伝えられていくのだろう。

【テクニック思想編】[必読]新サーフィン時代到来記念!_DFWフィンレスで無尽蔵のエネルギーを得た日_(1656文字)

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