大きな低気圧が抜けていった。
「低気圧の目」付近は、
11mの波高(うねり)が出ていた。
しかも周期12秒のモンスターだ。
ノースジュクオンに行くと、
右エリアがバレル祭りとなっていた。
ライトが多かったが、
たまにやってくるレフトは長く、
何本かは川のはるか向こうまで行けるほどで、
春波のすばらしさを思い知った。
これは先日のトリスケル。
沖にある防波堤の横からブレイクしていた。
とすると、
岸まで直線距離で400mある。
このブレイクをよく知る人は、
台風でもないのにあそこから崩れるのを見たことがないと驚いていたが、
これも地球温暖化による異常気象のひとつなのだろう。
この日は、
沖で30発くらいセットを喰らったが、
それでも陸までは200mくらいあったので、
気を取り直して、
またパドルアウトして良波を得たことを思い出した。
泪橋のガッキーさんは、
ここでリーシュ・ロープを切ってしまった。
この長距離を泳いで戻ったが、
「あしたのジョー」
のように波乱続きなのもさすがだし、
なによりも根性がすごい。
私が中学1年生のとき、
カップラーメンの名作が登場した。
三橋美智也先生が推奨する「激めん」である。
大人気だと思っていたが、
いつのまにか姿を消してしまっていた。
近所のスーパーマーケットに行くと、
棚に復活していて46年の時を経てうれしくなった。
駄菓子というか、
お菓子のマーケティングにキャラクターは常套手段だが、
ブルボンはぬいぐるみを制作して売り場に動員していた。
この効果は絶大ではないだろうか。
WBPのエンゲッツで知られるシャッチョさんは、
元々は「社長」というニックネームだった。
よって、
これはもしかするとシャッチョさんのシオカラかもしれないと、
感じ入って写真を撮った。
SURFER Magazine 1963
.
私が生まれる前のサーファーマガジン。
表紙はジョン・ペックで、
グラブレイル以前のショットが焼き付いていた。
ジョンは、
ログでパイプラインを滑っていたという記憶だったが、
実際にこうして見ると、
ログよりも短いサーフボードに感じた。
明日は、
『銀鯖道の夜』その13です。
「シギパネルラの呪(しゅ)」は、
どうなったのだろうか?
3月のマンダラコーヒーのラベルが届きました。
https://mandalacoffeejapan.com/
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【巻末リンク:トリスケルの550m】
【サーフィン研究所台風3号特大号】トリスケル波とコスモス80シングルフィン_夢の550mライド_台風波や兵どもが夢の跡_(2773文字)
【巻末リンク*2:ジョン・ペックのこと】
【巻末リンク*3:ほんたうのイリエ論】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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