ノース・タマサキの波は、
ちょっとしたクセがある。
いわゆる
「(波先が)遅れる」
という、
野球でいうところのチェンジアップの動きを波がする。
波は崩れるのだが、
先だけが1拍(いっぱく)遅れる。
遅れると、
砕先だけが残る。
この波に入るのはちょっぴり難しい。
さて、
3日間をかけて集中して取り組んできたプロジェクトが終わり、
NAKISURF千葉に戻ってきた。
今回のプロジェクトは時間的な制約もあって、
割とチャレンジ系の難易度だったので、
GO判断には最後まで迷った。
けれど、
南系の風予想と、
快晴というYahoo天気のビジュアルを信じ、
「*不退転の決意」で突き進んだ。
*不退転とは、
退(しりぞ)くことはないといった、
いわゆるムネハリ状態かつ、
No hesitate.という心持ちのことだ。
運転時間を累積すると、
メジャーな移動だけで12時間もしていた。
郷愁的な理由(ノスタルジック・リーズン)から、
海沿いのルートを選択したので、
山道によって、
運転も少しだけうまくなった気がする。
泳いでいるとき、
潮位の動きを数度ほど感じた。
これこそが海からのメッセージのような収穫だ。
プロジェクトは、
波のショートムービー制作のための動画ファイルを撮ることだった。
陸からでなく、
海の上で波を撮った。
GoProも良かったのだが、
重いニコンD800で撮ったのは、
グランドピアノの感動を作品に使いたかったと、
ここに自己分析してみた。
今回は、
およそすべて美しい記憶を刻んだのだが、
ひとつだけ欠点がある。
それは多すぎる潮位だった。
未明3時だけに低い干潮があり、
ギリギリ朝陽時間だけが優しい柔らかい波がやってきた。
理想もあった。
それは太陽が天頂にあり、
青い海の、
白く砕ける水泡のプリズム反射を撮りたかった。
だが、
その時間は満潮なのと、
サーマル・ウインド(オンショア)が入ってくるので、
ざわついた波となってしまった。
うれしかったのは、
同じ歳で、
「波乗り」に向かっていまだ探求する人に再会できた。
自宅には、
42℃+〜という温泉水が24時間ふんだんに湧き、
見たことのない魚が釣れ、
波の高さがわからないほど透明な波に乗り続けてきた友人たち。
あとグルメ。
数十年かけてわかったのは、
南伊豆あたりは観光地であるためか、
誠実な飲食店が少ないようだ。
その結果、
まともな店にお客が群がり、
その繁忙に耐えられない店が次々と休業してしまう。
なので、
名店は行くたびに減っていく。
または前回までは名店だったが、
あまりの人気に慢心してしまい、
進歩を退化させたレストランもあった。
諸行無常なのだ。
各ビーチによって、
来訪者の歓迎度が違うこともわかった。
ある浜ではトイレ&シャワーが無料で完備、
駐車場もだいたい無料。
またある浜では、
駐車場とトイレは無料で、
ゴミ箱の設置も完璧だが、
水だけはどこにもなく、
または駐車場はほぼ有料(1000〜1500円)で、
水もなく、
トイレがコンビニエンスストアに頼る浜。
こんなそれぞれの区の、
海に来た人たちに向けての設定だった。
(地元民でも同じである)
けれど、
それはおいしい魚をいただき、
海藻たっぷりのみそ汁に感動し、
エイやサワラ、
ブリの幼魚たちと一緒に泳いだ。
車を停めた前に生息していて、
さわらせてくれるハンノーの良いネコもいた。
ハンノーとは反応と書き、
具体的には、
「ミ”ャーミャ”ー」というかすれた鳴き声がすると、
数分後に軽トラだったり、
外国人がやってくる。
ややあってこのネコが出現するという給餌システムがわかった。
ネコくんは多くの名前を持ち、
白いヘルメットとランドセルの少女にはタマちゃんと呼ばれ、
またはゴロッと転がったクロは、
逸品チュールチュールに服従し、
アラシという名前でレトルト生エサをもらい、
私にはムツクと呼ばれ、
ウルメイワシの頭を持ってきた老婆にはチビと言われていた。
ここに移住しているであろう欧米人には、
ガトーと声をかけられていた。
毛並み良く、
常設された海の家に生息しているようで、
もしネコに生まれ変わるのならこのネコをめざそうと目をつけた。
このようにロードトリップは、
外界探訪という気分であり、
普段の生活よりも危険の確率は増すが、
その見返りとして気づきと教えも多くあったし、
帰りに寄った銭湯の鏡では、
日焼けMAXの自身に驚くという収穫もあった。
さてさて、
NAKISURFでは、
シギーGがガチャガチャでcojicojiの銘品を当て、
TW氏謹製のドリームフィッシュが去った。
本日も2本が出発予定だが、
さびしいというよりも、
ボードがお店から出て、
海の上に浮かび、
波に乗ることを祝福したいと感じている。
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎