小波傾向だが、
確実なるうねりは確かにある。
あれだけ混んでいたイリエが数人だけになっていた。
グライダーでパドルアウトして、
新感覚というか、
瞬間的な感動を増幅させる愉しさを知った。
↑グライダーの初期型。
100年以上前のサーファーは、
波に乗るというより、
波の上部からグライドというか、
滑落していたようだ。
【新編】
キャッチサーフの歴史をNAKISURFの読者に公開中です。
本日はその5回目をお届けします。
5.
USAの夏休み
.
米国の学校の夏休みは長い。
およそ三ヶ月、
たいていは6月の頭から8月の終わりまで。
とても長いので、
この休みのあいだに何かにひたすら打ちこむ子どもたちがいる。
スポーツや武道は、
そんな没頭が重要だと感じている一人なので、
この休みを有効に使えるアメリカの子どもたちがうらやましく感じる。
さて、
2の『ビーターの登場』(末尾にリンク)
の舞台となる海水浴場は、
小学校高学年ならば、
親公認の遊び場だ。
海水浴場と冠がつけば、
ライフガードもいるので水難事故の心配もほぼない。
朝9時ごろになると、
親がそれぞれの車でやってきて、
海付近のカーブで子どもをドロップ・オフする。
ひとりで来るもの、
または選抜隊のように団体でドロップオフされていく子どもたち。
巨大なSUV、
例えば、
シェヴィのサバーバンで乗りつけてきた、
ワンダー・ウーマンみたいなお母さんが腕まくりして、
ラゲッジから子どもたちの遊び道具を降ろし、
そして全員のピックアップの手配や確認をしてさっと去っていく。
そのママは、
こんなことを毎日やっているらしく、
的確であり、
ベテランの風格があった。
ちなみにドロップ・オフ(Drop off)とは、
車で人を送り届けるという意味である。
ドロップされた子どもたちは、
海岸の一角に陣取り、
午後にピックアップされるまで波乗りに興じる。
このときビーターは、
子どもたちの最高の遊び道具だった。
年少時に燃えるのはスキム・ボードだろうか。
スキムというのは、
波が行ったばかりの濡れた砂浜にボードを滑らせるもの。
深みに行きづらいので、
泳げなくてもトライできるのが魅力だ。
ただこの遊具がサーフボードだと、
すぐにディング(壊)する。
耐久性のあるファイバーグラスを板状に重ねるのが、
スキムボードの大枠だ。
これだと海水浴場では危険なのでNGとなる。
けれど、
ボディボード素材ならば大丈夫。
で、
ビーターはトム・モーリーの草案を前回4の
『ビーターの完成(巻末にリンク)』に描かれた
ジョニー・レッドモンドたちによってポリッシュされたものだ。
ちなみにトム・モーリーは、
モーリー・ブギーの創始者であり、
ボディボードをブギーボードと誤謬(ごびゅう)させつつ、
販売数世界一になった人である。
この適度に硬く、
絶妙のレイルラインが傑作であり、
波打ち際で滑り、
そして波にぶつけて戻ってくるという修練が各地で行われていた。
ある子は天才的で、
考えられないようなムーブメントをして、
飛行だか、
奇術のような滑りをした。
ラグナ・ビーチの超天才ブレア・コンクリンや、
美形モデル一直線のタイラー・スタナランドもその一人だった。
スキム好きな子の夏の相棒がビーターとなり、
サーフしたい子たちもビーターに乗り、
目線が低い滑走が好きな子どもはビーターでボディーボードを楽しんだ。
ほぼ全員の遊具がビーターとなったのだから、
ネゴシオ通り突き当たりにあったキャッチサーフ社は、
ジョージの予感通りに社員が増えていった。