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【サーフィン研究所特大渾身号】サンクスギビング・ウェーブ_キャッチサーフの歴史4_(1495文字)

Cosmos Surfboards TheOne6’4”

Original Twin + Twinzer

Shape, Design and glass by @hiroyuki_maeda

Photo by @nakisurf_chiba

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千葉タマサキ。

こちらの現況としては、

低気圧上陸中で、

南西猛風が昨夜吹き荒れた。

5時半ごろ、

東湘南のきんちゃんは、

「まだ暗いからわからないけど、頭半くらいあるかも!?」

そう報告してくれた。

南ブイ計測(上画像右)を見ると、

3m@8秒となっていて、

日曜日の3m@13秒に引き続き、

サンクスギビング波がやってきている。

タマサキ(外房)側ブイは、

2.5mの8秒であり、

南西風ベースなのでこれからどこでサーフするか思案中である。

Catch Surf®  Skipper Fish 6’0”

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モニース、

チバリーズ、

マリエルなどのブレイクが浮かんでいる。

【長い付録】

昨年の話だが、

総計13000字となるキャッチサーフの歴史を書き上げ、

キャッチサーフの日本総代理店が数々のメディアで展開されていった。

独占期間が過ぎたので、

キャッチサーフを創生から知るNAKISURFの読者に公開をはじめました。

今日はその4回目をお届けします。

4.

ビーターの完成

キャッチサーフのサンクレメンテでビーター・プロトの再制作が始まった。

キャッチサーフ創業当時は、

ネゴシオ通りに本社があった。

アベニダ・ピコを東上し、

アマネセラ通りを曲がる。

するとすぐにUSポスタル92673郵便局(ランチョ・サンクレメンテ)があり、

その向かいには、

トレンドを一世風靡したアーネット・サングラス、

そしてレインボー・サンダル社があった。

その角を曲がればネゴシオ通りだ。

短い通りの行き止まりのビジネス・コンプレックスだった。

1060 CALLE NEGOCIO #Eと書かれた入口を開けると、

ソファとピンポン・テーブルのエントランスルームがある。

左を見ると、

キャッチサーフのコーポレートロゴが、

カッティングシートで貼られたドアがある。

ドアの内側には、

ジョージとクリスのデスクがあり、

そのまま進むと、

ジョエルとジョニーの部屋となる。

さらに奥へと進むと、

冷蔵庫と小さなテーブルのカフェ・エリアがあり、

バックヤードへ通じる鉄製のドアを開けると、

2ユニット分の大きなバックヤードと、

キャッチサーフ工場があった。

この工場の上には、

トム・モーリーの監督室兼事務所が増設されていた。

Tストリートの天才サーファーのジョニー・レッドモンドは、

キャッチサーフ社の初代ファクトリー担当マネジャーとなった。

そこには自分と同じTストリートから招聘されたアルバイト工員たちがいて、

そこでジョニーは、

ビーター原型のレイル形状を換えつつ、

全体的に幅広のフォルムとした。

さらには剛性を高め、

プロトモデルを完成させていった。

のみならず、

さらにいくつかのプロトモデルを制作した。

一日数十度も工場エリアにやってくるジョージ・アルゼンテは、

いつもの優しいまなざしで、

すべてを見守るように微笑んでいた。

そのときジョージには、

近い未来に必ず全米のビーチがビーターで埋め尽くされることが想像していた。

「キャッチサーフは、
誰もが安全で楽しく、
そしてカラフルで廉価版海用品の基板となる」

そんなクリアな確信もあった。

やがてサーフボード・タイプ、

ボディボードタイプ・ビーターが完成する。

これは2010年のことで、

ちょうど映画『アバター』の大ヒットがあり、

アメリカの経済は、

大恐慌以来という不況から抜けだそうとしていたときだった。

(5に続く)

【キャッチサーフの歴史】

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