Cosmos Surfboards TheOne6’4”
Original Twin + Twinzer
Shape, Design and glass by @hiroyuki_maeda
Photo by @nakisurf_chiba
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千葉タマサキ。
こちらの現況としては、
低気圧上陸中で、
南西猛風が昨夜吹き荒れた。
5時半ごろ、
東湘南のきんちゃんは、
「まだ暗いからわからないけど、頭半くらいあるかも!?」
そう報告してくれた。
南ブイ計測(上画像右)を見ると、
3m@8秒となっていて、
日曜日の3m@13秒に引き続き、
サンクスギビング波がやってきている。
タマサキ(外房)側ブイは、
2.5mの8秒であり、
南西風ベースなのでこれからどこでサーフするか思案中である。
Catch Surf® Skipper Fish 6’0”
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モニース、
チバリーズ、
マリエルなどのブレイクが浮かんでいる。
【長い付録】
昨年の話だが、
総計13000字となるキャッチサーフの歴史を書き上げ、
キャッチサーフの日本総代理店が数々のメディアで展開されていった。
独占期間が過ぎたので、
キャッチサーフを創生から知るNAKISURFの読者に公開をはじめました。
今日はその4回目をお届けします。
4.
ビーターの完成
キャッチサーフのサンクレメンテでビーター・プロトの再制作が始まった。
キャッチサーフ創業当時は、
ネゴシオ通りに本社があった。
アベニダ・ピコを東上し、
アマネセラ通りを曲がる。
するとすぐにUSポスタル92673郵便局(ランチョ・サンクレメンテ)があり、
その向かいには、
トレンドを一世風靡したアーネット・サングラス、
そしてレインボー・サンダル社があった。
その角を曲がればネゴシオ通りだ。
短い通りの行き止まりのビジネス・コンプレックスだった。
1060 CALLE NEGOCIO #Eと書かれた入口を開けると、
ソファとピンポン・テーブルのエントランスルームがある。
左を見ると、
キャッチサーフのコーポレートロゴが、
カッティングシートで貼られたドアがある。
ドアの内側には、
ジョージとクリスのデスクがあり、
そのまま進むと、
ジョエルとジョニーの部屋となる。
さらに奥へと進むと、
冷蔵庫と小さなテーブルのカフェ・エリアがあり、
バックヤードへ通じる鉄製のドアを開けると、
2ユニット分の大きなバックヤードと、
キャッチサーフ工場があった。
この工場の上には、
トム・モーリーの監督室兼事務所が増設されていた。
Tストリートの天才サーファーのジョニー・レッドモンドは、
キャッチサーフ社の初代ファクトリー担当マネジャーとなった。
そこには自分と同じTストリートから招聘されたアルバイト工員たちがいて、
そこでジョニーは、
ビーター原型のレイル形状を換えつつ、
全体的に幅広のフォルムとした。
さらには剛性を高め、
プロトモデルを完成させていった。
のみならず、
さらにいくつかのプロトモデルを制作した。
一日数十度も工場エリアにやってくるジョージ・アルゼンテは、
いつもの優しいまなざしで、
すべてを見守るように微笑んでいた。
そのときジョージには、
近い未来に必ず全米のビーチがビーターで埋め尽くされることが想像していた。
「キャッチサーフは、
誰もが安全で楽しく、
そしてカラフルで廉価版海用品の基板となる」
そんなクリアな確信もあった。
やがてサーフボード・タイプ、
ボディボードタイプ・ビーターが完成する。
これは2010年のことで、
ちょうど映画『アバター』の大ヒットがあり、
アメリカの経済は、
大恐慌以来という不況から抜けだそうとしていたときだった。
(5に続く)
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【キャッチサーフの歴史】
【サーフィン研究所新作&渾身】『チーチー・フェス2024』CHEECHEE FES2024_キャッチサーフの歴史_(2539文字)
【サーフィン研究所渾身号】低気圧からの太い波_波乗道に集う_Blue.104は永久保存版_キャッチサーフの歴史2_(2270文字)
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