サーフボードにはフィン(スケッグ)がついているが、
取り外し式のものではなく、
グラスオンしかなかった時代もあった。
そのとき私はスペースインベーダーにはまり、
名古屋撃ちの奥義を得るべく反復練習していた。
細野晴臣さんのYMOなどをメタルテープにエアチェックしたが、
学校に行っていたため、
ラジカセにつないだタイマーの、
留守録機能で録音していたのだった。
携帯電話などは、
SF映画のなかで見るだけだった。
そんな昭和40年生まれ時代に生きる人がいる。
彼は、
タイムマシンを使って取材しているのだが、
それは重要な秘密であるので、
誰にも言わないで欲しい。
けれど、
たとえ情報が拡散しそうになっても、
当局があるのか、
一切どこにも何もなかったかのように消失する。
この10年くらいかけて、
トロピカル松村さんの名は浸透してきた。

トロピカル松村さんことトロちゃんは、
サーフィン・サウンズという聖書も書いたし、
サーフ&ディスコ系のサブカル・ムーブメントは、
だいたい45回転でこなしてきた。
その1970年代、
『宝島』という月刊誌が、
植草甚一さんの手によって世に出た。
植草甚一さんの宝島は、
シンパ片岡義男さんによって格式をおびたように思える。
NY滞在記はもちろん、
スケートボードという宇宙的な遊び道具を私たちに紹介しつつ、
カウンターカルチャーやサブカルを武器にし、
じつのところ精神世界を実装装備させる教育書だった。
ちなみに植草甚一さんはJ・J氏というニックネームで、
私がSS氏と呼ぶのはこのオマージュ感もある。
とにかく植草宝島は、
小泉徹(北山耕平)編集長が、
天才イトイ(糸井重里さん)の思考回路を
アラシさん(嵐山光三郎、元太陽編集長)効果によって露出させつつ、
安西水丸さんや湯村輝彦さんたちの、
ヘタウマ魅力を世間に開放した一大プロジェクトだった。
結果、
大流行のキザシが見えたころ、
オリジナル宝島は沈められてしまうが、
それぞれのキャラクターは、
スターウォーズの反乱軍のように各地に散らばり、
さらに個性を磨いた。
50年経つと、
赤胴鈴之助は大谷翔平くんとなって世の中に登場した。
アカドー(赤胴)ブームだと思いつつ、
いくつものMLB中継を見ていたが、
大谷くんは赤から青に変身した。
「もしかすると赤胴鈴之助は、
タキビ神がモデルではないでしょうか?」
そうハスラー・マシコさんが感得されたが、
文字数の関係でそちらには触れない。
ただ、
初期の宝島ファンがひとりでもこれを読んでいるとすると、
まとめないと満足してくれないだろうから、
かもめのジョナサンの一節を残す。
“Overcome space, and all we have left is Here.
Overcome time, and all we have left is Now.”
宇宙を越えると、ここだけが残る。
時を克服すると、いまだけが残る。
私は、
ジョナサン・リビングストーンのように時間を克服すべく、
去年の昭汰(しょうた)くんのペラペラ動画を見ていた。
「波乗り虎の穴」
というサーフィン養成機関の指導員である私は
タヒチ・バレルをこのように細密表現することができる。
これで猛特訓すれば、
超一流のサーファーになるはずだ。
波乗り虎の穴による
「10年計画」は、
年一度の本部道場合宿があり、
この日がその日だった。
あとは、
その指導を胸に、
それぞれが日々磨いていくのだ。
年に一回程度の指導だが、
その気になれば、
10年後には完全体のサーファーとなることができる特訓だ。
今年は、
敬老の日が選ばれた。
これは先日、
ターくんと行ったノースジュクオンが良かったからであり、
例によって波情報がバツ評価を付けたと聞いての逆説的なものだった。
文体が少し硬いのは、
トロちゃんが、
高名なエディター兼DJの二刀流でもあるので、
文筆の星を目指すものとして、
背筋がつい伸びてしまう結果だった。
話はそれたが、
波情報次第で人は右往左往するのだと、
さいきんようやくわかってきた。
とにかくその無人にパドルアウトというか、
ウォークアウトすると、
完璧な波の数々がやってきた。
昭汰さんはショッタさんとなり、
数々の銘波を38本連続で駆け抜けた。
陽が傾くまで乗って、
しかもジョウブツやマンライを取り混ぜて、
つい笑顔がこぼれるショッタさんであった。
*ジョウブツやマンライ=それぞれフィンが砂浜につくまで乗ること、
満足ライディングの略。
「カカ」と発音されるショッタさんの母もまたマンライを繰り返し、
このすばらしいセッションを心に刻むのだった。
何本かはスーパーパーフェクトもあり、
まるで海賊岬のインサイドのような波に、
アムトラックの汽笛が遠くに聞こえるほどだった。(幻聴)
ショッタさんは、
今年の終業試験だったバレルもハイタッチしながらくぐりぬけ、
加えてジョウブツもして、
家系ラーメン全部のせみたいな気持ちがあふれた。
「ぼくのDNAには山下達郎さんのカッティングギターがきざまれています」
突然ショッタさんがそう言うので、
父のトロちゃんにそのことを聞いてみると、
「フジロックすごかったみたいですね」
話を少しそらされた。
タツローさんが好きなら、
グーグルで「ラカリマスイブ」と検索してと伝えると、
マガジンハウスとロゴが入ったノートに
「昭和40年男はラカリマスイブと言った」
トンボ鉛筆でていねいに記入していた。
このスーパー・セッション波を背景に、
家族写真を撮らせていただいた。
めでたき、
そしてかけがえのない瞬間だ。
少し前のショッタさんは、
まだ赤ちゃんであり、
そう考えると10年はあっという間だと実感した。

実感しつつ、
いすみ市ではとっておきの名店に行き、
絶品味噌汁、
煮付け、
アジフライなどさまざまなおいしいものをいただき、
虎の穴合宿はピークを迎えるのだった。
トロちゃん
早織さん、
ショッタ、
ありがとう〜!!
オンオン〜〜!!
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【巻末リンク:昨年の虎の穴合宿】
【サーフィン研究所盛夏渾身バナナ号】デカダンスと3838GTB_トロピカル松村さん一家_昭汰さんの夏休み@タマサキ_アサガオ結集_(1970文字)
【巻末リンク*2:3年前はタキビシン登場】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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