新刊のサーフ雑誌がカリフォルニア州、ダナポイント市より届いた。
世界中のさまざまな波の写真を見て、これはラグスライト、このフェイスはきっとあそこなのだろうと推測しながらページをめくった。
写真の波に滑走する自分を重ねて体に受ける飛沫、浅い珊瑚礁、斜面に反射する太陽のきらめきを想像する。
なんとも楽しい瞬間なのだろう。
これを感じたいがために俺はさまざまな場所に行き、それぞれの波に乗ってきた。
印刷された波を見ながら記憶をふくらませていく。
記憶波をモチーフに空想を続け、想像の海で永遠の夕陽を迎えた。
この想像度の精度が高ければ高いほど、サーファーとしては一流であるとも言える。
中世最大の詩人とされるフランソワ・ヴィヨン(Francois Villon、1431年-1463年以降頃)を山之口洋訳で読んだ。
「いま、この瞬間、おれは一人だ。おれは自由だ。この下劣な、くそいまいましい世界は、おれと何の関係もない。おれは、この世界の《外》にいて、おもちゃのように世界を手にとってながめる」
この言葉を読みながら波に乗る自分を想像して、「似ているなあ」と反射的に思い、ヴィヨンと自分を重ねて深い息を吐いた。
写真で見る美しい波の実際は、強く、重厚で、切っ先鋭く、それに相対する俺はいつも真剣勝負であり、こういう時の波乗りは武士や戦士の気持ちがよくわかるほど恐ろしい。
反対に恐ろしいはずの波の進行方向を解き、柔らかく滑ることができたときは、この世界がヴィヨンの書いたようにーー世界がおもちゃに感じられるほどーー優雅で楽しくなる。
風が海の上に作りだした『波』という芸術品。その上を滑走する遊び、言葉にすると単純なのだが、その世界には、膨大な数の幻想や妄想、神話と伝説がつきまとう。
不安定な波の上を自身だけで滑走、浮遊するというフィジカルな感覚、自然と遊ぶ大らかさ、さらには優雅豊穣な色彩を味わい、または海からのパワーに畏怖深沈する、というさまざまなことを絡み合わせる時間。
俺はそれらの体験をしっかりと心にしまいこみ、熟成させながら、時には引き出してその幸福を再び味わう。
その日一番の波に乗り、ボードを操り、波から外れる。自分がそこにいる偶然と奇跡に感謝する。
すばらしい波乗り体験と、その波の記憶は永年あなたの気持ちをたおやかに温めてくれ、永続的な快楽を与えてくれるでしょう。
美しい遊びの傑作「波乗り」。それを求めて俺は今日も海に向かっている。(了、10-26-2007)
初出 BLUE 2007
昨日の波です。
すばらしい 文章力 読んでいて心地よい感覚
なんて すばらしい 感じ んん~~すばらしい
船木さんの感じる世界 ちょっとわかる私に感覚
うれしい感想をありがとうございます。
この感覚は永遠ですね。