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naki's blog

ある語録1万1千字。「七里ヶ浜1980年」(実名なのでクレームがあったら削除します。それまでお楽しみください)前編

俺です。

最近腰が痛くて波乗りしていねえんだ。
酔っぱらうと余計痛くなるつーけど、酔わなきゃやってらんないぜ、全く。
またニシグチでワインラッパ飲みしてえなあ、あれはうまかった。

おー、それで紹介してくれた湘南台にある先生にもかかったけど、

あの人は腰痛も末期になんないと手術してくんないだって、

俺みたいに痛えって言っているだけじゃ、

レントゲン撮って3分だけ問診して返されちゃった。

まあ、最後になったらあそこに行けばいいんだな、

ってわかったけどさ。

誰か助けてくれる人いないかな。

ふなきの知り合いすげえ人いるべ、紹介してください。

お願いします。

体がさ、年取ってくると、あっち痛え、こっちもだ、ってもう嫌だよ。

若い頃はさ、寝ないで仕事して朝から海行って、

それからまた仕事して、夕方また波乗って、

また現場戻って仕事してって、やってたけどなんともなかったもんな。

まあ、これが自然の摂理ってもんで、しょうがねえか。

俺もオンボロだもんな、

車風に言うと34年式だもんな、こうなったら完全レストアでしょ。

そーいえばおめえが「ドドゲ」って言い始めてから海でも

「ドドゲさん〜!!」って言われたり、

この間は東戸塚の駅で「サインください!」と言われてびびったね、あれには。
影響力、っていうの?

そうあれはパワーだなやっぱり人生は、言ってることがわからねえ、って?
ホントはそう思っているんでしょ?
もうやめろよな、

俺はおめえと話すと言いたいことがいっぱいになって、

わけわかならくなってくるんだよ。

なんの話してたっけ?
そう、ドドゲだ、それでな、そのドドゲステッカーまだある?
あったら下さい。
ヘヘー、あれあげるとみんなヨロコブんだよ。
俺の車にも貼ってあるしな。

でも最初の頃はあいつこんなところでドドゲって言っている?、

ってかなりむかついてたんだぜ、ほんと。
おもしれえからわざと言ったのにギャグって分かれよなホント。
まあ、いいや、おかげでこの年になっても新しい友だちも増えたし、

まあドドゲさまさまだよな。

サマサマとくりゃ、バリ行きたいねー
ピッチャとヌサドアでこんな掘れたの乗って、

グリンってこれもんで板返したいでしょー。
ビンタン飲んでさ、うめえサテ喰って。
シメはナシチャンプルなんだけど、

俺はあの辛えのが苦手なんだよ、レストランのさ、

ボーイに「赤いの、辛いの、入れるなよ、わかったな!」

と念押しして、

ボーイはしっかり俺の目を見て「ダイジョブー」って言うから

「よしよしチップ1000ルピーはずむぜ」って安心するわけよ。

でな、チャンプル持ってくると、

赤いのがぁしっかりそこにのってやがんだよ。
「だめだべ、あいつまったくダ、メ、

わかっていないの50乗!あいつ1000ルピー損したねー」

と怒りながらそれをよけて食うんだけど、

ちょっと赤いのくっついているだけで、

辛えんだよあれものすごく、

日焼けしたクチビルが火を噴きそうになって、

でさ、もっと怒りながらビンタンで流すとこれがまたうめえんだ。
それから俺は辛味に目覚めたね。
でさ、帰る日がくるわけだけど、毎回さ、

ピッチャやスウィトラとが、

口を揃えて「アシタカラうねり来るヨー」っていつも言うんだよ。
でね、あんまりにも居心地がいいからさ、

バリにいる日程を伸ばそうとして専務に電話すると、

「シャッチョー、そんなことできるわけないでしょ、

クライアントがみんな待っていますから」

って冷たく言われてあきらめちゃう優等生の俺がいたり、

まあ、しっかり日焼けして、

さみい(寒い)って言いながら成田に着くのがいいんだよな。
あーバリ行きてー。

ん?なになに?
イナリーズに来いって?

ばかやろう、あれは人様の乗る波じゃねえんだよ。
おめえだって刺さりまくりでしょ
これもんで海面底まで掘れちゃっているのに乗る奴はアイアンズだけにしておけばいいんだよ。
もしな、俺があれに乗ったら体バラバラになって、レストアどころじゃなくてもう廃車になるだろ。
このあいだのヤマネコ島のビーナスだって、あんな掘れちゃうのやばいでしょ
あそこタヒチのなんっていうの、レフト激掘れの波だよ

そう、そのチョープーなんたらみたく掘れちゃうんだからヤバイねあれは。
毎日乗っている徳ちゃんなんか体の幅と厚みが異常だもんな。
清原かと思ったぜ、

肉体改造って言いいながらササミ毎日食べてあの波を喰らっているとああいう体になるんだろうね。

それでさ、船木文学に触発されて俺もその文学をやってみようと、

ヤマネコ島からずっと携帯で書き続けてきたんだけど、めんどくさいからもう止めたんだ。

俺のガクレキはさ、なんったってスペクターだからさ、

おもしれえことってさ、もうなんでも勘でわかっちゃうんだよ。

俺らの時代はね、単車全開でさ、ヨシムラ直管、エキパイ、

バッフル、CB、Z2(RS750)とかいじっていて、

もう波乗りなんてナンパもんのすることだ、って言って「あんな海遊び」は目じゃなかったね。

でもな先輩が波乗り始めて、

「おい、あれ最高におもしれーぞ三浦!」ってビックリマークつけて言うからね、

先輩、そんな単車乗るよりおもしれえんですか?って聞いたんだ、

で、波乗りに行ったらね、もう俺目覚めちゃって、毎日乗りに行くほどはまっちまった。
パー券売ってボード買って、暗い内から行って波乗って、家帰ってボード直して、

単車いじってる時間がなくなっちゃったなあ。
昔はほとんど毎日波乗れたぜ。

ん?
どこで波乗りしたかって?

ロアでしょ
あのころはさ、まだロアが良かったんだよ。
これもん(きっと手で波の形をしている)で掘れちゃうんだ。
テイクオフしたらそのままかがんでりゃいいんだよ。
そしたらチューブでしょー。
出てきたら、「こんなの小せえな」ってかっこつけんだよ。
メイクして喜んじゃうのは田舎者のすることでしょ。
例え10フィートのチューブをメイクしても
「こんな穴、小せえなあ、もっとやべえの来ねえかなあ」

って斜めの目でいきがるのがポイントだね。

何?
そんなに昔じゃなくて、お前が波乗りを始めたころの話をしろって?

うーん、記憶が混ざっちゃって難しいけど、まあなんとか思い出すよ。

そのロアにさ、おめえの元師匠だったナガヌマの下重さんなんかも来るんだけど、波が掘れちゃって掘れちゃって、でも行くんだよあの人変に根性入っててさ、バックサイドで、でも思いきり刺さっちゃって、沖に戻ってきたら「ここ良くねえ」って捨て台詞吐いてさ、エド(西隣のブレイク)にいっちゃうんだ。

薫(大野薫)さんも現役バリバリでさ、あの人やっぱかっこよかったね〜!

ガラさんは、

加山さんとか千葉の川井さんよりも早くからサーフしていたってね。

日本で最初のサーファーで、

しかも先輩なのに全くえばらないのよ。

俺と同じじゃんって、

お前何笑っているんだよ。

俺はやさしいだろ?

でね、美佐もさ、いい感じの波乗りでさ、「最高じゃん」っていつも言っていたんだ俺たち。
松岡くんに泰介さん、そして岡本さん、沼さん、そうちゃん、よっちん、アトムくん。
田川くんに磯部さんは玄人ごのみのサーフスタイルだった。
あまり交流なかったけど、川南たーちゃんと、カツ川南さん、出川さんは伝説だったな。
ラッシュの岡さんはボクサーあがりだったって言うし、デンチンもいたね。
蓮沼さんもいたね、その甥はハワイだって?
梅ちゃんにあと誰だ?
稲村にケーキ屋の川添ってのもいたね。
その親戚がサーフィンライフにいて、今編集してるべ。
お前の友だちでしょ?

ビーバーさんもアメリカに行っていたけど、

ちょうどその頃アメリカから帰ってきたんだ。
最高だよね。

あとは翻訳やってたジローさんでしょ、バードウエルの河野さん。
ヤングで天才シェフのコジマっていうのも憶えてる。

コジマの友だちが佐藤に裏、

ナチもいて、みんな今泉台から来ていたね。

裏はさ、やたらケンカが強くてね、

たぶん四国の芦原さんとやっても分けるほどだったてね。

か、かほりちゃんとかいたな。

あとさ、鈴木なんたら、

井上っていうどうしょうもないチョッカリ(真っ直ぐしか滑られないサーファーのこと、ドドゲ造語)もいたね。

ナガヌマの大友さんは忘れられないね。
朝早いつーか、暗い内から毎日やっているのはあの人だけだったよね。
ハードコアな人だよ、あの人は。
まだ毎日あれしているんだぜ、もう頭が下がるよ。

でもな、やばい時代だったね、あれは。

そういやあ、関本宗一郎さんが「マデカシムが来たから飯行こう!」って、海の上の珊瑚礁に行くんだ。
そうだ、あの時お前もいたな。

みんな並んでいる一番前に行って、

ソウちゃんが「予約が入っていないのか?」って大きなダミ声で言うんだよ。
そんな予約もなにも入れていないからよ、バイトがびびって支配人を呼ぶと、

支配人も分かってて、つーか暴れられたらまずいと思うのか、
「あー!入ってました入ってました」
と調子良く言って、次からは俺たちの番が来るわけよ。

しかも18人とかで行っているから最初テーブルがバラバラで、

それがだんだんくっついていくんだな。
でね、ビールガンガン飲んで、ガーリックポテト、

アンチョビポテト、サザエ、サカナのグリル、

ビーフサラダ、サテにスペアリブにカレー食って、飲みまくって、

でれでれになってデザートも2つくらいづつ食べちゃってしっかりと店の閉店までいてさ、

他のお客が帰った頃に支配人がすーっとやってきて

「○○さん本日のお会計です」って伝票を椅子より低く持っているんだよ。
そうすると○○さんがさ、それをずっと無視しているんだよ。
無視だぜ。
無視はやべえよな。
俺たち少し凍りつくんだけど、酔っぱらっているからそれを忘れてまた違う話をしているんだよ。
でね、あまりにも動かない支配人から逃げられないのを知った○○さんがやがて「おー、ツケとけ!!」と大声で言うんだ。
それを聞いてみんな顔が引きつるんだよ。
「そんなになってたのか、この飯はやべー」って。。

するとなその支配人はさ、小声で「いや・ずっとついているので、今日だけはお願いしますっ」ってもうほとんど土下座状態で言うわけよ。

そうするともう一回今度は低い恐い声で

「ツ・ケ・だぁ」

と3語だけしっかり言うのよ、

するとするするーって支配人がエビみたいに後ろ向きで下がっていって、

それからもう2度と姿を現さないんだぜ。
やばいよあれは。
犯罪だよな、無銭飲食だぜ。

俺たちが帰るときは何も知らないアルバイトが

「アリガトアシター」って言うところを

「おっ!ごちそうさん」って言いながら帰って行くんだ。

店を出てから俺が「いくらでしたか?」って聞くじゃん、

したら「俺のオゴリだ」って言うからみんなで

「○○さん、ごちそうさまでしたー!!」ってそこで散会よ。

マデカシムはそれから藤沢の新地に行ったって聞いたけど、

あいつバリまで帰れたのかな?

でもさ、あれじゃほとんど暴力団並だったけど、

後から聞いたらあの人たちの間で色々ないさかいがあったみたいだよ。
それであんな嫌がらせをしていたんだってね。
まあ俺たちには関係ない話だね。

まあ、それからロアだけじゃなくて七里正面、

そして峰が俺にとってのシマとなったんだ。

それからお前が峰に来て、モリタンこと石森、ツーもいたね。
後からモンクスができたんだ。
飯はうまかったね。
金光くんがコックやってて、あの兄弟は天才だね。
もうあそこになくなっちゃったけど。
あれが七里の黄金時代だったね。
あそこのムスターファーって大きな虎猫を撫でると波が上がるとか言っちゃって、

そんなんで寄ってたかってあのおとなしいムスターファーを捕まえて撫でてると、

あそこのフランス人の奥さんが露骨に嫌な顔をするんだよね。
なつかしいねぇ。

駅前のパン屋、新井屋だけどね。
あそこは昔八百屋でさ、

そして改装してケーキとか菓子パンを売るようになったんだけど、

そこがファンシーな白い壁になっているのに親父はさ、

まだ八百屋が抜けられなくて、八百屋の汚え前掛けして

「らっしゃい、らっしゃい」

って渋い低い声で売っているのがミスマッチの頂点で面白かったね。
あそこのフルーツサンドがうめえんだ。
まだあるんだっけ?
コンビニなんかなかった時代だからな、

若い奴にアイス買いに行かせたりしたなぁ。

あとは昔のドロップアウトの前にあった坂巻商店でしょ、

あそこは新井屋が休みの時に行くんだな。
そして駅とローカルタウンのあいだにあった「ウラメシ(裏飯)屋」ってあったよな。
本当は「行会食堂」って言うんだよね。
あそこは漁師の親父が料理作るんだけど、鯵をたたいたり、魚がやたらうまかったんだ。
とにかくアトムさんがよくそこによく行ってたね。

後はネムラ食堂(腰越駅前)の出前でしょ?。
あそこ不思議な味がするんだけど、はまるとうめえんだ。
もうあの店もつぶれちゃったしな。

駐車場にはさ、

石井さんがいつも違う女連れて来て、

酒飲んだりBBQしたりしているんだよ。
あの人波乗りはさっぱりうまくなんなかったけど、

死ぬほど正面が好きだったんだね。

金寿司って奴憶えているか?

そう、そういやあ斉藤秀樹っていう本名だったよな。
なんでお前はそんなことまで憶えているんだ?
みんな金ちゃん金ちゃんって言ってたから金太郎っていう名前だと思ってた。
背が小せえのがコンプレックスみたいで、背伸びしながぴょこぴょこ歩いてたな。
あいつもモリタンと一緒で、どんなことをしても正面しか入らねえ奴だったな。
あいつ変わっていて、変でおもしろい奴だったな。
今は何やっているんだ?

ふーん誰も知らねえのか。

それにしてもツーは傑作だったね。
おめえらがいじめたから故郷に帰っちゃって、かわいそうだったよあれは。
試合も出てたでしょ。
あんまり勝てなかったけど、お前たちと同じヒートじゃ、乗る波もねえから勝てるわけねえよな。

そうそう、最近マーボーに良く会うぜ、マーカスは何をやっているんだ?

モルガンスタンレーの日本社長!?
すげえなあいつ。
やっぱ半端じゃなかったね。
あの二人はガイジンだから波乗りもうまかったって、ね。
ガイジンにはかなわねえよ。

マーボーはさ、サンディエゴで世話になったんだけど、

その時のあること無いことをみんなに言いふらしているから、

一度シメてやりたいんだけど、あいつの顔みちゃうと何も言えなくなるんだよ。
天真爛漫つーか、いい顔だよな。アル中だってね。

そういえばシェーン・ホランもスターフィンを売り込みに来たね。
変なサーフィンだったけど、うまいのなんのって、ガイジンはやばいでしょー、って言いながら見たのを憶えている。

耳鼻科のカク、ソバヤでバイトしていた松川、名前忘れちゃったけどチビの、なんだっけ、チビの奴?

ヨッチ!
そうだ、ヨッチもいたなあ。
七里キッズは後、ターゲにタカオ、井口にガメラ、村山ダイスケかな。

俺の不肖の弟子でウニってのもいたけど、あいつ心身症になっちゃんだんだぜ。
サンディエゴ行ってから頭がヘンになったんだ。
あれはドラッグやり過ぎでしょ。
やばいもんはやらねえ方がいいって、体あっての人生でしょ。
逗子のハイランドに住んでいたあいつのお母さん今頃泣いているよきっと。
悲しいねえ。

わざわざ横浜中華街から来ていた陳コクリューってのもいたね。
グーフィーの奴でさ、あまりっていうか無口でほとんどしゃべらないんだよ。
中国人だからしゃべれねえのか?って言ったら突然「俺シャベレルヨ」って言うから、
「おめえ、それなら今度肉まん持ってこい」って脅かしたらその次にちゃんと肉まん持ってきたっけ。
それがめちゃくちゃうまくてね、「コレ幾らするんだ?」って聞いたら500円って言うんだよ。
そんなに高いものくすねてきちゃダメだよ、って説教しながら食べた味だった。
あいつ弟とか妹がいっぱいいるんだよ。
難民だったのかもな。
いい奴だったよな。
高校卒業した後、渋谷スペイン坂にあった

「オクトパスアーミー」ってナンパな洋服屋に就職して、

その時に会ったらガイジンにかぶれていて、

「ミウラさん、俺はチンコ・クリューじゃなくて、チェィン・クーロンですから」

って強気で言うんだけど、どっちでもいいよ、そんなのって言ってやったんだ。
あいつ結局台湾に越したんだってね。
今は弟と二人で台湾でナルーワンってサーフショップやっているらしいぜ。
今度一緒に行って、あの肉まんをまた食べようぜ。

(後編に続きます)


8 thoughts on “ある語録1万1千字。「七里ヶ浜1980年」(実名なのでクレームがあったら削除します。それまでお楽しみください)前編

  1. わんちゃん

    すごい大作ですねー。
    ナキさん、本当にシメられるのでは。(恐)

    一度、ドドゲさんにお会いしたいです。

  2. マーボー

    懐かしい名前がドンドン出てきますねー。会社のデスクで笑いこらえながら読ませてもらいました。ツケの○○さん、(僕が勘違いしていなければ)よく日曜日正面の階段の横のところで昼間から酔っ払ってます。七里の変わらない部分が最高に好きです。チンコクリュウさんがナルワンのオーナーだとは気づきませんでした。今回のブログエントリーは永久保存版ですね。

  3. Fg

    素晴らしい!!
    待望のDDGワールドですね。
    嬉しいなぁ。(笑)
    僕も三浦さんのサイン希望!
    ぜひ~

  4. z35

    最高ですね。独特の言い回しかたとかは天才的です。
    弟子入りしたいです。

  5. ふなき

    いやあ、先輩から怒りのメールか電話が来ていないかヒヤヒヤで眠れませんでした。
    「噂の真相」とかの編集長の気持ちがよくわかりました。

  6. さぶちゃん

    寝る前にこの記事発見して、早く寝なきゃいけないのに熟読してしまいました。(爆笑)

    最高です。この前も、峰で派手なウエットで全員を威嚇してました。(^-^)/

    ドドゲさん最高!
    昔、良くアライヤまでパシらされた若手より。

    きっとシメられますね。(怖)

  7. ふなき

    あの派手なウエットは伝統的ですね。
    アライヤに行きましたか。
    アライヤ買い物舞台Tシャツを制作しようと思っているんですよ。

  8. nagaimatsuge

    とても懐かしい名前のオンパレードで驚きです。
    完全に当時にフラッシュバックです。
    昭和36年生まれの自分は、学生時代ホットバタードでアルバイトしてました。
    みんな今も元気なんでしょうかねぇ・・・
    ゆりちゃん、佐藤せいじ君、ジミーさんレスリーさん元気かなぁ。
    オーシャングライドの板に乗ってたアトムさんの名前が出てこなかったですけど。美佐くんも元気かなぁ・・・
    そういえば奥さんの料理はいつもニンニクたっぷりだった。
    とにかく懐かしすぎて涙が出てきましたよ。ありがとう!!
    ちなみに三浦さんて、ちょっと小柄でいつもオーシャングライドの青いスエット来てましたよね。
    とても感じの良い優しいお兄さんだった記憶があります。