新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【通常ブログ特大号】1930年代ボードをハーちゃんアトリエで_ブルースとアイラが登場_ブラ師匠少々_クリスチャンのCANVAS_小さくなってバックサイドバレル_空手チャンピオンのがあたんがキャッチサーフのサイトに!_「ずっと原宿」_お帰りシェーン!_(3063文字)

こんにちは、

暑さはやわらぎましたか?

この数日は、

「テーマに沿って書くブログ」を書いていた。

その結果、

画像がたくさんフォルダーに貯まってしまった。

ということで、

今日はいつもの日常ブログを書きます。

ミッドレングスにはまり、

昔のボードを調べていた。

思いついたのが、

どの博物館よりもすごい歴史的なボードを所有しているのが、

ハーちゃんこと、

ハービー・フレッチャー。

ここで彼のコレクションを見せていただいた。

「これはな、ヌイーヴァのスクエアテイルで、

そしてフィル・エドワーズだろ、

一番下にあるのがパシフィック・システム・ホームズのボードさ」

「そのレッドウッドのプランクですか?」

「そうだ、カリフォルニアでは、大昔(1930年代)

にバルサとレッドウッド、そしてパイン材を使って

量産プランクを作っていたんだぜ」

「80年も前に!アメリカってすごいです」

「*当時は40ドルから60ドルの販売価格だと聞いたな」

「そんなに安かったのですか!」

「今とは物価が違うからな、一体いくらぐらいだったのだろうな?」

*で、1930年の貨幣価値を調べてみると、

平均年収が2000ドルだった。

現在のアメリカ平均年収が40000ドルなので、

2012=1930は1/20(0.05)。

このボードの当時価格を今の物価に当てはめると

800ドルから1200ドルとなった。

(9万円から13万円くらい)

とすると、

80年前も今もサーフボードの価格が変わっていないということ。

それにしてもアメリカでは、

そんな前に量産サーフボードがあったのだ。

そのサーフ人口はどのくらいだったのだろうか?

彼のコレクションのいくつかを見ていった。

今回探していたのはそれから20年後、

つまり1950年代のサーフボード。

昔ーー60年前のボードは、

じつにあいまいなボトムで、

それを支えたのが、

揺るがない意志を持ったアウトラインと、

直感的なロッカー、

そして絶妙なるタッチのレイルだろうか。

こんなボードが最新鋭だった時代に、

今と全く変わらない波に乗る自分を夢想し、

そして乗り味を想像してみた。

「Yeah! Uncle Herb!!」

と声がする方を見ると、

ノースハワイからブルース・アイアンズと番長アイラだった。

なんでも先週の南うねりメキシコに行ってきたのだそうで、

その映像をハーちゃんに見せていた。

ものすごいビーチブレイクでのバレルセッションだ。

うねりを追いかけて、

カウアイからカリフォルニアまで来ているのがすごい。

何ごともフットワークだろう。

新しいボードにアストロデッキを貼るブルース。

それを手伝うハービー。

ブルースは息子ネイザンの友人なので、

私にとってみれば、

ブルースはノアの友人のセイジといったところだろう。

ハービーの詳しくは、

今月末発売のGLIDE誌に掲載されるので、

どうぞお楽しみに!

サーフボードの歴史表を見ると、

ボックスは1930年代に主流だったことがわかった。

ここにパシフィックホームズが載っていますね。

ボックスと同じ時代の最新型のサーフボード。

当時のサーファーたちは中空のボックスか、

またはプランク(板)の選択をして海岸に向かっていったのだろう。

この後、

1930年代よりやってきたブラ師匠こと、

ブライアン・ベントのところに行く。

ワンオフの新作が多数完成していた。

ブラ師匠は、

1960年代のスケートで逆立ち乗りをしていて、

それを見るだけでかなりのタイムスリップ感を味わった。

さらにNATION/CANVAS工場に行き、

オンザボード誌のメキシコトリップ出発前のクリスチャン。

自分がオーダーした幅広サンオノフリーボードの確認をし、

クリスチャンは、

CANVASボードの管理をしていた。

こうして毎日見て、

確認しているクリスチャン。

時代は、

デイブ・ネイラーのボへミアンラミネート全盛で、

その美しさといったら類を見ない。

でも最近は真似をされているらしく、

「しょうがないよ」となぐさめる一幕も。

ライアン・イングルと『happy glide』。

これは先日の南うねり。

このビーチブレイクの質がすばらしい。

パワーがあり、

そしてセクションができる。

小さいバレル。

タキビ師ヤスくんのように体を小さくすることが要求された。

こうして見てみると、

バックサイドだらけの日々で、

けれどバレルの楽しさが詰まっていると思える。

クリスチャンはポンパドール・ラウンドで、

エアをぶちかましていた。

彼のようにログから、

ショートボードまで乗れるサーファーというのは数少ない。

コール・シェイピングベイ。

「じつはあることを研究しててね」

コールは、

『ミニボード』をハンドシェイプしていたところだった。

彼が指で示している箇所の浮力が大事なのだそうで、

前足と後ろ足をつなぐブリッジ部にこだわったボードを研究中。

尽きない情熱だろうか。

さて、キャッチサーフのサイトに行くと、

があたんが掲載されていた。

「日本のジュニア空手チャンピオンのガータンの、

オディシーでの初ライド」

http://www.catchsurf.com/blog/2012/09/random-pix-wednesday-64/

というような説明だった。

「初ライド」ではないが、

まあいいか。

手が”シャカ”サインになっているところに感激(^-^)/

キャッチサーフのオフィス。

国際営業部長ジョエル。

昨日もドヒニー・セッションしたほどのサーフ・フリーク。

主宰のジョージ。

私と同じタンクトップだったので、

記念に一枚。

ジョージに稚書『happy glide』をジマンしました。

これはアボットキニーでのヒトコマ。

日本の文化が誇張されているようです。

ちょっとクヤシイ。

これは原宿。

CUTSさんのテリトリーである

「とんちゃん通り」での光景。

原宿を象徴するような個性的で、

アニメ感覚に浸ったジャパンガールの撮影だろうか。

昔タケノコ族、

多種多様なるファッションの発祥地原宿。

今も美しいハイファッションがあって、

それを支えているのが、

ビームスさんに代表されるファッション・ストア群。

「ずっと原宿」

そして「これからも原宿」ですね。

さてさて、

大阪と東京で一夜ずつ開催された

『ペプシ×B’z PREMIUM LIVE』

から戻ってきたシェーン。

「熱くて暑くて最高でした!」

ということ。

この写真は少し前のものだが、

日本通の彼は、

お箸はもちろん上手に使え、

納豆が大好きなのがすごいと思う。

日本語も上手になった。

最近は奄美とインドネシアの波に夢中で、

「いつかトリップに行きましょ!」

と言っている。

シェーンの写真かと思ったら

ライアン・カールソンだっった。

これだけクアッドが主流になってもライアンはトライ一辺倒ですね。

そんなこだわりもサーファーがそれぞれ持つ時代で、

前出した80年前ボードとくらべると、

躍進に近い進化を遂げたのがサーフボードだ。

80年後、

2090年にはどんなサーフボードがあるのだろうか?

法王は誰なのか?

全て興味深いことだ。

それでは、

すばらしい週末をお迎えください。