おお、かっこいいビュイックだ!
しかも新車同様のコンディションはすごい。
弊社ヤザワのこころの故郷がここエンシニータス。
すばらしい街でして、
『上品なサブカルチャー&サーフタウン』
と銘打ってみた。
1960年代のフォード・ムスタングが駐まっていて、
それも新車同様にピッカピカだった。
で、この運転手が出てきたら驚いた。
それはティーンの女の子だった。
こちらでは16歳から免許が取れるけど、
初心者でこれほどの名車に乗っているのがすごい。
サンオノフレの午後。
混んでいるが、波があり余っている。
ここでサーフして70年になるというローカルレジェンドが言うには、
このサンオノフレは、
波1本につき100人まで一緒に乗っていいのだという。
「ただ101人目からは数えきれないか、
誰かがワイプアウトしてしまうので、
いまだに問題になったことはないんだ(笑)」
たったひとりの意見だから鵜呑みにはできないのですが、
ゆるやかなルールっていいですね。
遊びのサーフと、
究極のサーフィングという両極があって、
そのどちらかに属すか、
または両方を行ったり来たりできる許容範囲も必要だと感じました。
サンオノフレ通りを永遠の名車がニンマリ走っていた。
すてきな車です。
聖書サーファーズジャーナル。
あいかわらず深く、すばらしい内容です。
どうしたらこんな雑誌が作れるのだろうか?
しばし瞑目する。
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そのままNATION/CANVAS工場に行くと、
マックスが「パイポ・ボードを自作したよ!」
と見せてくれた。
ニーボードか、ボディボードみたくして乗るのだそうで、
やんわり系なボードであることは確かですね。
これはボディボードの前身で、
キャプテンクックが1778年にハワイにやってきたときは、
「島民は、木製のこのボードに寝そべって波に乗っていた」
と記録を残している。
とすると、235年以上の時を経て、
ここにモダンなフィンが付いて復活したのですね。
俺の大好きなサーフ文筆家のひとりである抱井さんが、
某誌連載コラムで、
「多様なボードチョイスがある今日」
と書いていらしたけど、
ボードデザインは、
こんな時代にまで遡ってインスピレーションされているのですね。
ものすごいことです。
ディーンのお店に寄って、ロッキーと少し遊び、
オフィスにやってくると、
ジャワトリップの杉本さんからメール&電話があった。
「(人気がありすぎて生産中止となった) ガリガリ君コンポタージュ味が復活していました」 という写メールを受けて、
「次はサテ味らしいですよ」と電話してみた。 「えっ、サテって、そんな流行っているのですか?そんなの嘘ですよ」 「パッケージ写真がありますよ。ほら」「えー!なんですかこれ?ヨッシー(杉本さんの妻)までいます!」 「ジャワ限定です」 「それにしても安いです。60ルピアということは、えーと一円もいかないので60銭ですね」 「ジャワですからね」 「すごいです。でもセンパイがこれ見たら怒りますよ」 「大丈夫です。もうお見せしました」 「なんと言ってましたか?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー これをメールでセンパイに送ると、 すぐにSkypeがあって、 「お前な、こんな夜中に何やってんだよ?」 「こっちは朝ですよ。サテアイス見ましたか?」 「あのな、時代が違うからこれじゃ誰もわからないぞ」 「いいじゃないですか。でもセンパイはわかりますよね」 「そりゃそうだよ。鉄人世代だからな。赤影とか、 サンダーバードやハリス(の旋風)、いいのがたくさんあったぜ」 「佳い時代でしたね」 「あのよ、ガリガリ君ロゴがジャワトラ模様じゃんよ。細かすぎるぞ」 「良くわかりましたね」 「B級ぽくて、古くさくていいね。全員手がグーだけど、わざとやったべ?」 「いえ、偶然ですよ(汗)」 「あのよー、これいつ載るんだい?」 「えーと、今日かな?明日かな、でもなんでですか?」 「孫に教えたいんだよ。ジージがアイスになったと思うでしょ。名誉高いんだねアイスは」 「そうなんですね。 それではセンパイがジャワ旅最終版を書き終えて、掲載後ではどうでしょうか?」 「おい、まごまごするんじゃないよ」 「センパイ、それって孫にかけてますか?」 「へへー。さすがだね291」 「早めに出しますね」 「お、頼みます。お前も遅いから早く寝ろよ」 「まだ朝ですって」 「ふーん。ジサってやつは変だな」
というやりとりでした。
それではまた明日ここで!
すばらしい日になりますように。
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