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naki's blog

【特大号テクニック思想編】真のサーフィンの心得_Life is good.(3888文字)

美しい海。

私たちサーファーは海の際の表面、

波で遊ぶことを常とし、

そしてその行為全体を愛している。

けれど、この海で遊ぶということは、

(一切保護されていない)

大自然の中で遊ぶということでもある。

もちろんディズニーランドでもないし、

ケリー・スレーターのウエーブプールでもない。

今朝はこんなことがあった。

.

波に乗るには、

波の場所、つまり沖まで行かなくてはならない。

このエリアは、砂浜などはなく、

大きな岩が重なり合って崖を形成していて、

その下には波打ち際まで玉石が敷き詰められている。

それら玉石は字のごとく丸いので、

歩くのにはうれしいのだが、

ちょっぴり滑る。

もし滑って、

石と石のあいだに足を落とすと、

そこには貝やウニがあって、

ざっくりと切ってしまう、

またはトゲトゲ手術をしないと数日間はとても痛むだろう。

サンクレメンテでもトレッスルズからサンオノフレの波の下が、

こんな玉石。

干潮時にロックダンスしたサーファーならば、

(岩踊り:パドル出来ない浅いところを歩くこと。名のように手や体がぶれる)

すぐにここがどんなものかを浮かべられるだろう。

崖の横の小径を降りて、

ボードを持ったまま波を見ていた。

満潮の波。

ショアブレイクがやってきては、

その玉石群に衝撃を落としている。

ちょうどセットの大きなふくらみ。

沖でブレイクした波の最後がまとまってやってきた。

.

 

ゴドンゴド

ゴド

ゴトゴトゴト

ガラガラガラ

そんな繰り返し。

「ゴド」

という音の大きさに驚き、

波の威力というのはものすごいと畏怖してしまう。

.

ゴルゴ13はNATIONのモチーフになっているが、

あのような鋭い目で注意深く、足の運ぶべき方向を見る。

まずはあれだ。

そしてそこ。

つぎはあそこ。

そうやって常に先を読んで、

ボードを片手に玉石の上をささっと歩いていく。

跳ねるように、

とん

とん

とやって、

とんとんとんと、

直径20cmから30cm程度の玉石の丸い、

そして平らなところ、

そして危険の少ない頂上部を数十もの候補がある中から瞬時に選び出して、

ふわりふわりと飛んでいく。

楽しい。

朝陽を浴びて、

酸素だらけの岬の下をひとり歩く。

沖には誰もいないピークがある。

そこまで行ったら、

きっと海藻の上にラッコがたくさん浮かんでいるのだろう。

昨日のアザラシもまた俺のことをチェックしにくるだろう。

波に乗った瞬間に太陽を煌びやかに反射させた斜面に包まれるのだろう。

宇宙的であり、けれど、これが真実。

こんなことって、

日常生活だと、

スーパーファミコン(死語)のマリオカート状態と言えばいいのか。

さらにうれしくなり、速度を上げていった。

下り坂でもある。

波打ち際に近づいてきたときに、

何かがあり、

瞬時に足を止めた。

けれど、体がもう動いていたので、

止まらずに、

その突起を踏まないようにするのが精一杯だった。

ひゃあ、危なかった。

岩牡蠣。

しかも分厚い。

グワ、とおののきながらよく見ると、

牡蠣は牡蠣でも珍しいほど尖っている。

これはほんの少し前にショアブレイクの玉石に挟まったかして割れたようで、

鋭利な刃物と化していた。

それはまるで縫製ハサミの根本を斬鉄剣で断ち切ったような貝の破片。

しっかりと玉石に挟まり、切っ先を上に向けていた。

無論私がそれを踏めば、

ぐっさりか、

ざっくり

ブスリ

またはザクっと切れるか刺さるかするだろう。

この怖ろしい破片の上を

あの速度で踏んでしまうことを想像しただけで、

尾てい骨が持ち上げられるような感覚となる。

ちょうど高いところから下を見たときに畏怖するあの感覚だ。

これがサーフ後でもここに着地するということも十分に考えられる。

足をざっくりとやってしまえば、

旅の楽しさが半減どころか、

数週間はああ無常という世界となる。

.

ということで、

サーフィンとはかなり危険なものだとわかります。

その大自然の罠のような危険を回避して、

沖に出たら今度は浅い海底があり、

頭を打たないように、

身体も傷つけないようにとやる。

もちろんサメもいるし、

噛まれたら5秒で死ぬといわれている

白黒ストライプの毒海蛇が、

海面を泳いでこちらに向かってきたこともある。(スマトラ島)

 

サーフィンとは、

生きている感謝を祈り、

幸運の連続の達成を祝うもの。

けれど、

このサーフィンブームだか、

オリンピック景気で、

「限りなく薄い波乗り」が、

泡の表面みたいにふくれあがっている。

.

潮水は目に沁みるので嫌い

ハダシだと足が痛いからサンダルかブーツを履こう

泳げないからリーシュをしよう

砂が足に付くのが不快だ

流行っているから

みんながやっているから

でもやるからには真剣にやります

じつはサーファーという聞こえがいいからやっているんだけどね

なので、いまだに

最初にサーフスクールで言われたようにやる。

雑誌のHowToを読んで、ボトムターンまではマスターしました。

よくわからないけど、

みんながいるから大丈夫だ。

みんなと同じようにしていればOK。

他のサーファーと関わると、なぜか叱られるから、

なるべく他の人を見ないように

目を合わさないように。

でも誰もいないところではできない。

誰もいないのだから、

波情報に書いていないから危険なんだと思う。

ゲッティングアウトって、

いまだにわからないから人の後ろについて沖に出て、

波が来ると面倒だから人より少し沖に出て波を待とう。

沖に出られた。

やった。

ああ、きれいだな。

陸から離れて、カモメが飛んでいる。

あの船はどこに行くのだろうか。

海って、いいな。

あ、

みんなと離れてしまったから戻らなくっちゃ。

遭難したらみんなに迷惑かけてしまうし。

でも大きな波が来たら怖いから、少し沖に出て、

今度は離れないように確認しながら波を待とう。

魚が跳ねた。

あれは鯉かなフナかな。

ん、それじゃ淡水魚だったか。

じゃマグロだったかもしれない。

波乗りっていいな。

自由だよね。

風も感じた。

もういいか、少し寒くなってきたし上がろう。

波が来ていないときに陸側に戻れば大丈夫。

えいえい(パドリング)

えいえい

あ、波が来た。

あ、人も乗っている。

こういうことはどうすれば良かったんだっけ?

ボードを押さえて、自分は波側。

もし危険を感じたら潜る。

バシャバシャ〜

波がぼくを揺り動かす。

波が過ぎた。

良かった。

ひゃあ、興奮したなぁ。

お、足が付く。

完璧完璧。

ああ、サーフィンが終わった。

今日も怒られなかったから、

さらにサーファーの仲間入りできた気がする。

これが有名なボードだから、みんな尊敬してくれたのかな。

.

車に戻って、

いつものようにシャンプーとリンス。

後半はスノコを使って砂が付かないように着替えて、

専用のウエットハンガーにかけて、

ボードをきれいに拭いて。

ああ海はいいな。

あまり波には乗れなかったけど、海は最高。

波乗り

サーフィン最高。

サーフィン

サーファー

.

そんなハッシュタグを付けてSNSに投稿していく。

悪くはないが、

こちらからすると、

逆にそれで、サーフィンの何がおもしろいのだろうか?

未知なる波に乗る。

波の崩れるのを近くで見て、その威力を知る。

流れを読んで沖に出る。

突然の大波を喰らって、

自身の小ささを知り、海をさらに尊敬し、そして畏怖する。

サーフィンとは自然の遊びではなかったのか?

それによって、人は学び、

野性に還るものではなかったのか?

「サーフィンをしているからステキ」

と言われたいからなのか?

そんなことを言われるのは、

言っている人がサーフィンをわからないからだ。

例えば、

外国人が日本にやってきて、

六本木だけにいて、

「ジャパン最高」と言っているのとあまり変わらない。

我が心の師である抱井さんも、

NALU誌の寺内さんの師匠、

南房総の岡田修平さんもかなり昔にこのこと、

薄いサーファーたちのことを書いていたが、

きっとあの頃から今は何も変わってはいないのだろう。

こんなことはどこでもあるし、どの国も同じ。

ここカリフォルニアでも、ハワイでも、

もちろん日本でも….。

サーフィンで一番大切なのは、

右向け右のルールでもマナーでもない。

もちろん道具でも経験や、

あなたが誰であるということも関係ない。

海、大自然とあなたの対峙することを楽しむ、

つまり危険を相手にするということであります。

潮水は確かに目に沁みる。

けれど、経験を積めば、慣れてくれば沁みない。

泳げなかったら、浅瀬でボディサーフしていればいい。

とにかく浮いていられたら、生きていられる。

海で遊べるようになり、

心がリラックスした瞬間、

自分の浮力値が上がる。

怖いと思って力が入るから沈むのです。

手と足を拡げていたら人は浮きます。

焦って手を挙げたり、足で掻くから溺れる。

浮いたら、両手をパドリングのように大きく、

深く、そしてしっかりと動かせばいい。

自ら「泳げない」とあきらめて、浮かないと信じて、

沈んでいって何の徳があるのだろうか。

サーフィンをするときに決意はないのか。

体の芯に力を入れ続ることはできないのか。

目を開けて、

風を感じて、

海の息吹を、

ささやきを、

そして大自然のすばらしさを感じて欲しい。

この波乗り世界は海のかけらであり、

それは偉大を超えた偉大でもある。

そんなこと思っていたら、

そらにハクが浮かんでいた。

(©千と千尋)

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私が作ったボードを積んで海に行くカイラ。

娘がこんな大自然むき出しの場所で私の作ったボードを乗っている。

サーフボードに付いたたくさんの傷。

その全てに彼女の思い出があるのだろう。

私が成人した娘と一緒にサーフする。

私が波乗りを始めたときは、

こんなサーフィンライフになるとは予想すらしなかった。

Life is good.

Happy Surfing.