The Connector 6’5″
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サーフボードの歴史を読んでいくと、
カリフォルニアの、
サンタバーバラからオーストラリアに引っ越したジョージ・グリーノウが、
『流線型で、細く、長く、しなるフィンを考案した』とあった。
その美しいフィンを使ったナット・ヤングが、
サンディエゴはオーシャンビーチで開催された国際選手権で優勝したのが1966年のことで、
さらにはそのフィンデザインが、
現在も続くサーフボードの性能に大きく寄与している。
それからややあって、
グリーノウはボードの中心部を凹ませ、
その両端にはハードなエッジを付けたボードを誕生させた。
それはフラットなセクションでも止まることなく、
スケートし続けられる極端なシングルコンケイブと、
“もう一つの”ボトム面を融合させたエッジボードの誕生でした。
さらに、カリフォルニアでは、
キャンベル・ブラザーが、
そのエッジボードとほぼ同時期に『ボンザー』を完成させていた。
これはエッジボードのような円筒形の溝を、
シングルではなく、ストリンガーの両側に彫りこみ、
そして新しいタイプの細く長い、
三角定規のようなサイドフィンを
「サーフボードの極端なウイング」
として機能させ、
さらにはセンターシングルフィンの前頭部と、
サイドフィン後部を1/8″(3.175mm)でかみ合わせることによって、
完全なる水力水流を発生させるという、
類い希なる究極的なデザインがこのボンザーでした。
The Fletchers Cambell Brothers Bonzer
@rvcasurf
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しかしながら、
サーフィンというのは、
この後、姿をプロスポーツとして変えていき、
「基準値がある演技」
「技術点」
という要素が主流となり、
さらには、3フィンの出現により、
サーフィンは直進性やスケート力よりは、
回頭性の高い、
つまり円弧の小さいものが主流となった。
さらにはボード浮力をぎりぎりまで切り詰めることによって、
波のポケットに留まる性能を得て、
滑走よりも回転性が重要視されていった。
その間、
これらのエッジボード、ボンザー、
果てはシングルフィンライダーは、
隠れるようにしていたが、
15年前くらいから始まったオルタナティブ・ムーブメントによって、
隠されていた銘品が次々へとリバイバルが始まった。
で、そんな中このNATIONコネクターは、私のアイディアから誕生した。
上記したグリーノウの『止まらないボード』
ボンザーの『完璧な水流』。
これらふたつを混ぜ合わせ現代のサーフボードを作って欲しいと、
ライアン・イングル博士に依頼し、
コスタリカ出発日に6’5″版が完成し、
私はこのコネクターと1月に渡るサーフトリップに出て、
結局一度もどこも壊さずに無傷でカリフォルニアに凱旋した。
コネクターの調子は上記したものを体現できるものであるし、
毎日5時間以上も岩場でサーフして、
しかも干潮時、スーパームーンのロータイド。
ここでは水深30cmというものまであった上での無傷だから、
かなりの意味で幸運なるボードだと認識している。
たまにそんな守護神みたいなサーフボードを手に入れるが、
まさにそんな気持ちであります。
新型サーフボードは多数誕生するが、
こうして幸運をまとった逸品は少ないように思える。
サーフしていて、こういうことは奇跡だと思う。
けれど必然。
人生はこうあるべきだろうと確信したサンクレメンテは、
嵐の翌日快晴強風夜。
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